ある男の幸せ追及と子育て日記

元役者で転職15回、結婚4回、50歳を過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。子育てや所感を中心に人生の幸せを追求していきます!

自分の中での矛盾ってありますか?

 

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いよいよ2022年に突入しました。

突入と同時に仕事に忙殺され気味の私ですが、瀕死状態のの宿泊業に携わっているだけに、致し方ないかなとも感じます。

 

重症化の恐れは低いとはいえ、感染者激増中。

また、忙しく動くだけ動いて実にならない予感が新年早々しますが、「何とかなる!」を信念にやっていくしかなさそうです。

 

さて、年初は「あれやろう!これもやろう!」と色々決意する時期かと思います。

昨年は「ブログを始めてみたい!」と思い、ブログを始めました。

最初は100日連続投稿を目指し、それも無事成し遂げることが出来ました。

 

今年も新たに色々挑戦したいと考えておりますが、経営陣の焦りから「あれやれ!これやれ!そしてこれも!」のようなトップダウンの雨霰、、。

心に余裕が無いと本当に思考って停止する気がします。

経営層含め会社のWEB会議でも焦った感満載。

それが上から徐々に私たちに伝わり、完全な負のスパイラル。

人間の気持ちって周りの雰囲気に左右されますね。

 

話が新年一発目から逸れてしまったので本題に戻ります。

 

今回の内容ですが、自分の中での矛盾についてお話させていただきます。

自身の矛盾とは簡単に言うと二重人格的なことです。

皆様の中にもあるかと思うのですが、例をあげていきたいと思います。

 

矛盾その1

※夜道や夜の墓場は全く怖くないのに、お化け屋敷は異常に怖い!

 

今まで生きていて、ひとりで真っ暗な夜道を歩いていても怖いと感じた事は一度もありません(もちろん夜の山道とかはどんな獣が出てくるか分からないので、そこは別問題として)。

あと、私の前の実家の近くに墓地が歩いて7~8分のところにあったのですが、夜中とかにひとりで考え事をしたい時には歩いて良く墓地に行っていたので、夜の墓地も全く怖くありません!

 

そんな私なのに「お化け屋敷は絶対無理!」なんです。

なぜ無理なのかと言いますと、「わざと驚かせようとしてくる作りになっているから」です。

夜道は全く怖くない私ですが、物陰から音もなく現れる人は異常にビビります。

お化け屋敷はそれを音や照明を巧みに使い、急に人を驚かせるのが目的のアトラクションです。

だから「いつ来る?いつ来る?」と身構えてしまうため、正直前に進むことが出来ません。

かなり昔、一番最初の妻とデートの時に、流れでお化け屋敷に入る事になったのですが、最後は3つの扉から出口を探さないといけない仕組みで、あまりの怖さに彼女に思わず「先に行って開けてみて!」と懇願しました(情けないですね)。

そこは彼女の勘の良さで一発で出口を探し当てた訳なのですが、その情けなさからお化け屋敷というアトラクションは規模を問わず、それ以降入ったことが一度もありません。

 

そこで見捨てられらなかったのは、普段は暗がりとかでしっかりと彼女をエスコートして上げていたからでしょうね。

※ちなみに驚かせるのが目的であるホラー映画も観ません。

 

 

矛盾その2

※高所恐怖症にも関わらず、ジェットコースターやビルの屋上からの眺めが好き!

 

これも自身の中で不思議です。

私は断崖絶壁に近づくことも出来ませんし(せいぜい1m手前が限界)、吊り橋も真ん中しか歩けないくらい高所恐怖症です(吊り橋でもやたら木と木の間が広いやつは無理ですが)。

ご存知の方も多いかと思いますが、東京タワーの展望台にガラスの板のみが床にあるスペースがあります。

私はそこには絶対に立てません(何かの拍子に抜けるという恐怖が先にきます)。

 

そんな私なのに絶叫マシーンと呼ばれる類のものには平気で乗れるんです。

有名なところで言いますと、富士急ハイランドとかの絶叫マシーンも平気です。

 

その違いはいったい何なのか、未だに私には分かりません。

ただ関係あるかどうかは別にして、私のジェットコースターデビューは今の私の息子の年令とほぼ同じの3才でデビューしています。

 

私が3才になる年は昭和でいうと47年で、西暦ですと1972年です。

当時の私は父の故郷である東京に住んでおり、母と2人で後楽園遊園地に遊びに行った際に、母が大のジェットコースター好きで、係の人に無理にお願いして乗せてもらったのが最初です。

母も後先考えないといえばそうなのですが、私に「ここを終わるまでちゃんと強く握っておくのよ」と言い、バーを必死に握っていた記憶がうっすらと残っています。

 

子供の頃は素直すぎなくらい素直だった私はめいいっぱい力を入れて、鉄のバーを終わるまできちんと握っていたそうです。

コンプライアンスに何かとうるさい今の世の中では考えられない、今となってはいい思い出です。

 

そこで鍛えられたのもあったのか、高所恐怖症なのに絶叫マシーンでどんなに高く上がろうが平気な私です。

ちなみに気球のようなものに乗り、上下運動する乗り物(名称が分かりませんが)は無理です(途中風で放り出されそうなイメージが湧き、恐怖しかありません)。

要するに囲まれているものや、絶叫マシーンのような固定される器具があるものは、何となく自身の中で安心感が生まれるといった感じですかね。

 

 

矛盾その3

※大勢でいると控えめな行動を取るのに、一人だと大胆な行動に出る!

 

私は基本的に平和主義者です。

酒も一滴も飲めないので、年中しらふ状態ですし、気持ちが大きくなることもありません。

なので相手に何を言われようと、そこで腹が立つということはほとんどありません。

そこは接客業に従事している事も関係しているかもしれませんが、そんな私も大胆にキレる場面もありますので、キレた例を2つほど取り上げます。

 

切れた場面①

私は東京在住の時に京王新線という私鉄の初台駅の近くに住んでおりました。

職場は新宿でしたので1駅だったのですが、言わずと知れた大ターミナル駅新宿です。

通勤時間帯であれば乗車率もかなり高く、駅で降り口のドアに立っている人が一度降りないことには人が出れません。

 

その切れた時は私が新宿駅で降りようとした時に起こります。

 

ドアは真ん中から開くタイプで、私はドアの開口部の2人目に並んでいました。

「しんじゅくー。しんじゅくー」とアナウンスが流れドアが開いたときです。

なんと目の前にいるまあまあガタイのいい男(悪く言えばデブ)が降りずに出口を塞ぎ立っています。

 

私の後ろからは何で進まないんだという殺気がビンビンに伝わってきます。

まだスマホも無い時代。

その男は空気にも気づかずただただドアを塞いで立っています。

 

車内の雰囲気にいたたまれなくなった私は「すいません!すいません!」とその男に言います。

それでもどきません、、、。

もう一度、さっきより大きな声で「すいません!!すいません!!」と言いますが、その男は全く気づきません(それか聞こえているけど、自分じゃないと思っているのか)。

 

そこへ怒りの神様が私に降りてきます。

 

そして

膝を使い、思いっきり男の尻を蹴ります!

すると男は、ワニワニパニックか!(知らない方はすいません)という体つきに似合わない甲高い声で「いてっ!」と言います。

 

そして私は「いてっじゃねえよ!てめぇがドアを塞いでっからみんな出れねえんだよ、このデブ!」とその男に言い電車を降ります。

 

私が睨みつけながら電車を降りると、後ろから雪崩のように人々が一斉に降りだしたため、特に揉めるということはありませんでしたが、気をつけないといけないなと思った瞬間でした。

 

 

切れた場面②

 

これは3番目の妻と福岡市に住んでいた時の事です。

住む駅の近くのコンビニで事件が起こります。

 

そのコンビニは駅に近いということもあり、電車の到着時間と重なるとかなり混雑するコンビニで、私が行った時も店内はかなり混雑していました。

 

私はその日は休みで、何を買ったかは覚えておりませんが、買う物はひとつだけだったため、商品を手に取りレジに向かいます。

 

すると、ある老夫婦がカウンターに二人で横並びになり、自分たちのバッグから何やら色々な物を出してレジのカウンターを占領しています。

何が発端かは分かりませんが、夫婦で店員さんにずーっと絡んでおり、私はその後ろでしばらく(2分から3分程度)様子を見ていました。

 

それでもなかなかその夫婦の怒りは収まらないようで、グダグダ言いながらようやく会計を済ませます。

私は「はー。ようやく会計したな」と思い、進もうと考えますが、会計が終わってからもその夫婦は店員さんに対しグダグダ言い続けています。

私は「えーーー。何言ってんだろう」とちょっと困惑顔になり、それに気づいたのか

店員さんも後ろに並ぶ私を見て困った顔で軽く会釈をします。

 

その会釈を夫婦の旦那さんが気になったのか、後ろを振り返り一度私の顔を見ます。

 

その時に私が並んでいることに気づいたはずなのに、それからまたグダグダ始めてしまいます。

「さっき俺をみたのに、何でかなー」と呆れます。

さらに3分ほど経ち、私もおもむろに後ろを振り返ります。

 

すると

10人以上列をなしているではありませんか。

会計は終わったはずなのに、何なんだこの人たちは!

 

そしてまた電車の時のように

怒りの神様降臨です!

 

「おじさん!会計終わっているよね。邪魔だからレジ開けてくれる?」

「後ろ見てみろよ!こんなに人が待っているじゃねえか。早くどいてくれ!!」

 

するとその男性は

「きさん!なんば言いよっとか!」と逆キレです。

私も私で

「あーーーーーっ。迷惑なんだよ!見てみろよ。てめぇらのせいで、こんなに人が並んでいるんだよ。グダグダ言ってないで、早くレジを開けろ!邪魔なんだよ!!!」

すると今度は奥さんが

「あんたも失礼な人やねー」

そして旦那は

「こいつ、せからしか!」

そして私

「はーーーーっ???何を言ってんのおじさん。俺が言うことが気に食わないなら、俺を殴れば??はい、どうぞ。ほらほら、はい、どうぞ」と言い、そのおやじの顔の前に私は顔を出します。

すると

「こいつ頭がおかしか!」

と最後に言い、ようやく店から出ていきます。

 

一連の流れを見ていた他のお客さんから拍手が起こり、店員さんにも「本当に恐くて訳分からないし困っていたんです。助かりました。ありがとうございます」とお礼を言われましたが、私がこれを望んでいたことでもなかったので、非常に恥ずかしい思いだけが残りました。

 

最近の流れでいくと、一歩間違えば刺されていたかもしれません。

決して正義感を振りかざしたい訳でもなく、群衆の見えない圧力に私が勝手に特攻隊長になったのかもしれません(境界性パーソナリティー障害の気も)。

 

ただこれは完全に父親譲りですね。

父は正義感の塊で、銭湯、駐車場、ショッピングセンター等の公共の場で、勝手な行動を取る人に対し、わざわざ文句を言いにいっていました。

 

私は息子に対し、あまりそんな姿は見せたくはありません。

妻と息子を守るため以外では、むやみに他人と争うのは止めようと今は思っております。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

良い一年にしたいですね。

 

 

親の背中の方が大事!?

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前回「子育ての正解とは何か」で、子育てをする上での教育方針についてお話させていただきましたが、言葉で伝えるだけが子育てや教育ではないなと、我が家の息子を見ていて思いました。

いくら口ではきれいごとを言っていても、子どもは親の表情や行動を観察し、それを基に成長していきます。

 

すでにみなさんご存知かもしれませんが、言葉で伝える以外に、自身の表情や行動が成長過程にかなり影響するなと感じた2点をお話します。

 

 

 

tyusen-yo.hatenablog.com

 

 

1.親の表情を読み取りながらの成長

 

我が家の息子含め、幼児全般に言えることかもしれませんが、とにかく子どもは感受性が豊かです。

やはり言葉をきちんと話せないからかもしれませんが、とにかく親の行動と言動に対して敏感です。

※余談ですが、同年代の女の子の言語の発達には目を見張るものがあります。違いは何なのでしょうね。

 

例えば、私が在宅勤務でやることに追われていると、慌ただしい雰囲気を醸し出しているのかもしれませんが、ちょっと前までの息子であればそんなことはお構いなしに「遊んで!遊んで!」と私に近寄ってきましたが、最近ではその雰囲気を察するのか、時々様子は見に来るものの、私の邪魔をしなくなりました。

 

でも、息子は息子で遊んで欲しい気持ちを抑制している訳ですから、私がやるべき事を終えてデスクチェアーに座っている状態であれば、その雰囲気を察してか「かまって!かまって!」がマックスになります。

そこで息子と思いっきり遊んであげれば、息子は大満足となりいつもの明るく元気な状態に変わるのですが、日によっては朝から晩までPC作業と電話やメールのやり取りもある場合もあり、その時は息子に我慢を強いることになります。

 

そういった日の息子は、自分の気持ちを抑えていた反動からかなり荒れ模様となり、急に泣き出したり、わめいたりして情緒不安定になって、非常にかわいそうだなと思います。

 

小さいなりに、頑張って気持ちを抑制しているのは、やはりいじらしいです。

 

私と妻もたまに夫婦喧嘩になることもあります。

その時の息子はじーっと黙って、私たちを見ているのですが、ある程度お互いがヒートアップしていると、その光景を見たくない衝動に駆られるのかいつの間にか寝てしまいます。

 

これも見たくない世界が目の前にあるのが辛いという、自己防衛の手段なのかなと思います。

「パパとママがいつもと違う。嫌だ嫌だ!」という気持ちを眠ることでカバーしているんでしょうね。

 

また、息子が何か見て欲しくて、私がいる部屋と別な部屋へ手を引っ張って連れていこうとするのですが、その時に少しでも「今は面倒だなぁ」という雰囲気が少しでも出ていれば息子は癇癪を起します。

息子が食べていたお菓子が床にこぼれた時でも、妻が「あー」のような顔を少しでも見せれば、同じく息子は癇癪を起します。

 

とにかく全ての情報を、私たち夫婦のちょっとした表情から読み取り、言動に関してはその発する雰囲気で察し、喜怒哀楽を判断しているわけです。

なので、その時に息子に対して怒や哀の表情を見せたりすれば、息子はすぐさま反応するということです。

 

だから息子と一緒に楽しく遊んでいれば、息子はずっと満面の笑みですが、私や妻が息子に対して100%の気持ちで接している時と、50%の気持ちで接している時では、明らかに息子の反応が変わります。

 

散歩中も知らない人に話しかけられても、その人が笑顔で接してくれた場合、息子も笑顔でその人に寄っていきます。

普通にすれ違う人には見せない行動なので、子どもながらに「あ、この人はぼくに対して好意的だ」と捉えてうれしくて近寄るのだと思います。

 

それだけ自分の周りにいる大人の表情を注意深く読み取っているということですね。

 

 

2.親の行動を見ながら、社会生活を送る準備の為の成長

 

行動についても、いつの間にか私たち夫婦の行動を見ていて、かなり進化を遂げています。

 

自販機、スーパーでの買い物、車の乗り降り、家の玄関の鍵等何も教えていないのにやり方を覚えています。

自販機だとコインを入れて、自分の飲みたい飲み物のボタンを押しますし、スーパーでは自分が買いたいお菓子を手に取り、それを持ってレジに行こうと私の手を引っ張ります。

車に乗る時は、リモコンキーで車のドアを開けるのを待ち、ドアノブに手をかけようとしますし、家に着いたら着いたで、私から玄関の鍵を受け取り、まだ開けることは出来ませんが、自分で鍵を開けようとします。

 

いくつか例を挙げた他にも色々ありますが、これらはすべて息子が私たち夫婦の行動を見て自身で覚えたことです。

 

よく職人さんの世界で「技術は教わるだけではなく、見て覚えろ!」と言いますが、完全にこの世界と同じです(最近はパワハラと言われるから、手取り足取りが主流のようですが)。

 

言葉で教えるだけが教育ではないですね。

「子は親の鏡」「子供は親の背中を見て育つ」

まさしくその通りです。

 

親がいい加減な行動ばかりを繰り返していれば、子どもも同じような大人になるでしょう。

 

まとめ

 

前にもブログでお伝えした部分と重複するかもしれませんが、親は子どもにとっての一番身近なお手本です。

その一番身近な人間が、社会生活を送る上で恥ずかしい行動をしているならば、子どもは同じ道を間違いなく歩みます。

 

親がスーパーで肉をツンツンすれば、子どもも同じ事をします。

親がお金を投げるようにレジで渡せば、子どももお金を雑に扱うようになります。

 

だから子どもの前で下手な行動は取れません(まぁそういった行為が、普段から恥ずかしい行為って気づかない人には、はなから分からないのかもしれませんが)。

 

夫婦喧嘩も、喧嘩に全く関係のない息子がかわいそうなので、「子どもの前ではやめよう!」と普段から心に誓っているのですが、いかんせん喧嘩は急に始まるものです(笑)。

妻とも喧嘩のあとにその話題になるのですが、なかなか私たち夫婦も成長出来ません、、。

 

でも、寝てしまうほどに現実逃避したいわけですから、このブログを機に今度こそ息子の前では喧嘩しないと誓いたいと思います!

 

子育ては本当に奥が深いです。

やり方次第で自分の完全なコピーで終わるのか?

それとも自分たちをはるかに超えてくれるのか?

 

息子の日々の成長を楽しみにしながら、息子が普通のパパ(私が50才の時に生まれてきたなんて、今の段階では分かっていないので)と思っている間は、出来る限りかっこいい背中を見せたいなと誓うのでした。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子育ての正解とは何か

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我が家の息子も2才6ヶ月。

少し前まではよちよち歩きしていたのに、今では油断すると置いていかれるほどのスピードで歩行します。

 

あっという間に成長しますし、最近は自我もかなり出てきました。

そんな中で、「子育てって確かに言うけど、きちんと考えてことはなかったな」と、ふと思いました。

 

「やはり習い事は必要か?」とか、「今教えておかないといけない事はないか?」とか、「よく英才教育って聞くけど、小さい間が大事な時期か?」とあげればキリがなく、色々と心配になってきます。

 

今回は、子育てについて私なりに考えてみたお話をしたいと思います。

 

私たち夫婦はどちらかというと、無理に言葉を教えたり、やろうとしている事を無理に止めたりもせず、基本的には息子がやりたいように自由にやらせています(公道や公共の場を除いて)。

 

私の父は何度もお伝えしているように、かなり厳格な上にべらんめえ口調の江戸っ子で、「てめえ」」や「おめえ」を連発しながら、本当に些細な事でもすぐに怒り出し、その結果私は何をするにも人の顔色を伺って生活する子になりました。

 

そんな父でしたから、実家で生活している間は挨拶する程度しか話さず(もはや会話じゃないですね)、まともに話をするようになったのは、嘘のような話ですが私が成人して以降です。

それも私が最初の結婚した後である、26才以降だと思います。

 

実際幼い頃から成人するまで、私は父親と全く遊んだことはなく、7才年下の弟が生まれるまでは、引っ込み思案で人見知りの私は全く友達らしい友達も出来ず、幼い頃はいつもひとりで遊んでいました。

 

父の教育方針は「てめえのことはてめえでやれ」が基本で、幼稚園に入る頃には百科事典を私に買い与え、それまで私に本を読み聞かせるとかは全くなく「これを見て色々と勉強しろ!」でした。

 

学生時代に勇気を出して「〇〇って漢字を教えて欲しいんですけど」と一度だけ言ったことがあるのですが、父は「そんな漢字もしらねぇのかよ」と言って別の部屋に行き、戻ってくる時に緑色の小さな辞書を手に持ち、それを私に渡す際「これから分からない漢字があったら、これで調べろ!俺に二度ときくんじゃねえ、てめえで調べなかったらいつまで経っても覚えられねえからな」と言い、私にその小さな辞書を渡しました。

 

その辞書は「用字便覧」という物で、漢字は調べられますが意味は載っていません。

あくまで意味は分かっていながら、その漢字がどれだったかなというのをすぐに引けるのがメリットですが、意味が分かっていなければあまり意味のない辞書だったため、意味から分からない場合は先に国語辞典を引かなければならないので、そこで漢字が判明します。

 

ただ、それをもらってからは、世の中には沢山の漢字が存在するんだなと思い、ただ眺める機会も増えたため、常識の範囲内での漢字を覚える上では非常に役に立ったかなと思っております。

 

母は母で非常にマイペースな人で、怒りもしませんが、気が向かない限りは、そこまで私の相手もしないというスタンスの子育てでした。

そこは子供の頃から、親となった今でも変わらず、母から私に連絡が来ることは一切ありません。

 

それでも実家に息子を連れて帰ればかわいがってくれますし、妻にとっても非常に良い距離感かなと思っております(最初の妻から今の4番目の妻まで、そこは変わることなく、私にも妻にも全く干渉してきません)。

 

ちょっと脱線したので、話を戻します。

 

私が幼い頃に一番影響を受けたのは、母方の祖母です。

 

母方の祖母は本当に優しく、いつも私を可愛がってくれましたが、遊び相手という感じではなく、生きていく上での知恵を授けてくれるような人でした。

母方は代々教育者の家系ということもあり、祖母は大正1ケタ生まれでしたが、大学まで卒業し、戦争が始まるまでは幼稚園の教諭をやっておりました。

 

祖母の兄も校長、祖母の父も校長、それでいて剣道の師範代という完全に文武両道の家系です。

 

私が祖母の一番近くに住んでいる孫だったこともあり、母に「若いうちは二人でしっかりと働きなさい」と言い、母には私が赤ちゃんの頃から仕事に行かせ、母の代わりに私の面倒をずっと見てくれました。

私が幼稚園から帰ると、まずは百字帳をおもむろ出してきて「これに平仮名を書いて練習しなさいね」と言い、毎日毎日ひたすら書かされました。

 

素直だった私は何の疑問も抱かず、毎日100字書く事をひたすら続けました。

書き終わると必ずジュースとお菓子を出してくれ「頑張ったね」とニコッと笑います。

 

私は祖母の優しい笑顔とお菓子が目当てで、毎日書き続けます。

すると何が起こるかというと、いつしか字がとても上手く書けるようになっていたのです。

 

学生時代はもちろんのこと、大人になってからも、周りにいつも「小学校の国語の先生みたい!きれい!」と言われます(まぁクセがなく読みやすいということですが)。

 

今でこそ、報告書関連の書類はパソコンを使って作成しますが、昔は手書きの書類が当たり前でした。

26才で初めて就職し、27才で店長になった時、上司にいつも「〇〇の書類は字がきれいだから店長の中で一番読みやすいよ」と褒められました。

 

今考えると、当時祖母はひらがなが細かい点で構成されていて、それをなぞってつなげていくと字が完成するノートを使い、私の字の練習を開始していました。

まずはひらがなの形を正確に覚えるという面で、非常に役に立ったのかもしれません。

そこから徐々に点線の無い、普通のマスのノートに変えていきました。

 

祖母がどこまで考えていたかは分かりませんが、これからは完全に硬筆の時代になっていくだろうし、筆を使って書く練習より、鉛筆を使った練習の方が役に立つと思っていたのかもしれません。

 

ちなみに、祖母は書道の師範免許を持っており、私が東京に上京してからも達筆の手紙を良く送ってくれました。

祖母は11年前に亡くなりましたが、その手紙は今でも実家で大事に保管しています。

 

読み書きは全て祖母に教わりましたし、おつかいなんかも祖母に教わりました。

 

息子はまだ2才児ですから、言葉もまだまだですが、親として子育てを行っていることで、子どもの頃の自分はどうだったかな?と最近良く考えるようになりました。

 

私の父は放置するのに厳しいタイプ。

祖母は優しく諭すように伝え、いつのまにか何かが出来るようにするタイプです。

 

私の中では父のパターンは辛く嫌な思いばかりしていたので、その教育方針はありえませんが、祖母のような優し過ぎるパターンは、息子と同性だけにあまり考えられません。

 

ただ、社会で生きていく上で私は挨拶が一番大事だと思いますし、それがしっかり出来ていればコミュニケーションも自然と取れていくようになるのかなと思います。

父に怒られ過ぎたせいもあり、気軽に「おはよう」「こんにちは」すら、近所の人やクラスメートにも言えない子どもでした(向こうが言ってきたら必ず返しますが)。

 

私は、人に話しかけられたり、話しかけるのが怖いと思う子だったんです。

 

息子は知らない人にも、大して話せもしないのに、積極的に謎の言葉を使ってどんどん話しかけます。

妻も私同様、完全な「人見知り」なので、夫婦でしょっちゅう肝を冷やす場面に遭遇します。

 

ただ、もしかしたら息子の姿は本来の私たちで、私も妻も本当は気軽に色々な人とお話ししたいのが本音だったのかもしれません。

 

私も妻も良い子を演じよう演じようとしてしまったがために、意識し過ぎて逆に暗い闇の方へと向かってしまい、結果「人見知り」になったのではないかと感じます。

 

最近は減った気がしますが、子どもが何かぐずったりしていると「誰誰が見ているでしょ。止めなさい!」と第三者のせいにして制止しようとする親が多かったと思います。

 

最近は最近で、自分の子どもがどんなに他人に迷惑をかけようが、お構いなしのスタイルがトレンドとなっていて、それはそれで嫌な気持ちがします(私の教育方針という家の中なら良いが、公共の場では間違ったやり方や、同じく家の中なら良いが、公共の場での子どもの自主性は違うでしょと思います)。

 

素直に他人に迷惑をかけたのであれば謝るべきですし、社会で生活する以上そこは最低限のマナーかなと私は思います。

 

だから私が息子に望むことは、「挨拶がきちんと出来る」、「素直に謝ることが出来る」、「人の痛みを分かってあげることが出来る」の3つ位しかありません。

 

その3本柱を基に、あとは本人がやりたいことや挑戦したいことがあれば可能な限り応援しますし、勉強がやりたくなければ無理にやらなくてもいいと思っています。

 

親が勝手に盛り上がって「名門私立」だの「インターナショナルスクール」だの言っていても、子どもに無理強いしているのであれば、その子にとって良い結果や結末は迎えることが出来ないと思いますし、そこはあくまで自主性の問題だといえます。

 

最近では東大に入学出来る学生は、親の資金が潤沢な家庭が多いといいますし、貧乏家庭の私が語っていても説得力も無ければ、僻みにしか聞こえないかな?

ただ、子どもがこれを頑張りたいって思った時に「お金の事は心配しないでいいから、納得いくまで頑張りなさい!」って言える環境は、正直うらやましいですけどね。

 

「親の心子知らず」

自身に置き換えてもらうと分かるのですが、一から十まで親と全て意見が一致なんて人いませんし、(稀にいるかと思いますが)いくら「自分がこう!」と思っても子どもに必ずしも伝わるものでもないと思います。

 

どんなに大事に育てても、なぜか凶悪犯になる人もいれば、大して真面目に育てなくても立派な大人になる人だっています。

 

だから私は「子育てに正解なし!」ということを念頭に、これからも今と同じペースで息子を育てていきたいなと考えております。

行き当たりばったりでもいいから、悪い事は悪い(道義的な面で)という事だけを教えられたらいいのかなと。

 

色々悩み、考えるだけ損です。

 

ただ、私の周りで成功した人を見て思うことは、とにかく人に愛されますし、慕われます。

そういう人っていつも笑顔だし、明るく前向きなんですよね。

だから人も寄ってくるし、成功していくのかなと思います。

 

結局社会生活の中では、何をやるにも人と関わりを持たずに生活していくのは無理です。

 

息子に唯一望むとすれば、人生の節目節目でこれから出会うであろう、様々な人とのつながりを大切にして欲しいという願いだけです。

「パパの年令まで約半世紀!明るい未来に向かってね!」

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

 

サービス業の闇と私の悲しい性

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さあ今年も残すところ僅かです!

 

「今年の汚れ今年の内に」ではないですが、今回は長年サービス業(主に接客業)に従事している私が、2年近くコロナ禍が続いている中で感じたガス抜きブログです。

※あとから読み返すとかなり文章が長いうえに、結構怒っているなぁと思いますが、正直にお伝えしたかったのですいません。

 

ただ、あくまで内容は経験に基づく個人的見解なのであしからず。

 

では本題に入ります。

 

さて、みなさん接客業にどんなイメージをお持ちですか?

 

「笑顔でお客を迎え入れていればいいし、とても楽そう」

 

「接客だけやっていればいいし、とても簡単そう」

 

「食事を出したり、物を売ったり、チェックインしたり、すべてが受け身だし、専門知識もいらないから誰でも出来そう」

 

今まで全く接客に携わっていない方からすれば、このようなイメージもあるのではないでしょうか。

 

まあこれは半分正解で、半分は不正解です。

正解と言える根拠は、まず「門戸が異様に広く、就業しやすい!」。

だから、学生のアルバイトでもすぐに仕事が出来る上に、あまり専門知識がいらない等、とにかく始めやすい仕事です。

 

不正解の根拠は、社員として働くのであれば非常にブラックな側面がある事です。

通常の接客義務にプラスして、様々な事務作業が出てきます。

スタッフ管理、店舗の運営管理、管理や運営するにあたっての行政関係への提出物の作成や、原価管理、売上管理、報告書などの資料作成、さらに取引業者との折衝業務や新規開拓業務、取引先との関係性の構築。

 

そして経営層でもないのに、「店舗運営は経営者と同じだ!」という無茶な理由から管理職として扱われ、安い基本給にある程度の役職手当が上乗せされ、いくら勤務超過になろうとも残業代は一切出ません。

 

一般社員の間はただ現場で働いていればいいいので、特に責任も何もないのは事実ですが、接客業の管理職は非常にやることが多く、サービス残業をしている店長、マネージャーは世の中に数多く存在します(今の会社にはいませんが、過去には部下に対してサービス残業を強要する会社も多々ありました)。

 

門戸が広い分、あきらかに接客には向いていないなという人材も採用しなければ店舗が回らないため、仕方なく採用する場合も多いですが、結局そういう人は無断欠勤や遅刻等を当たり前のようにします。

そしてそれがすべて責任者に跳ね返ってきます。

 

そうなると自身の通常業務にプラスして、店舗のオペレーション業務もこなさないといけなくなり、過労死レベルの拘束時間になる人も多いです。

 

門戸が広い=通常では考えられないくらいの感覚のズレた人たちを管理しなければいけないのです。

 

幸いにも私が飲食やホテルで現場にいる頃は、最悪でも日に3時間程度の残業で済む事が多かったですが、酷い人は早朝から深夜まで店舗にいる場合もあります。

 

私がなぜそれを回避することが出来たかというと、ただ単にそんな会社の時はとっとと見切りをつけて転職するからです。

 

皆さんご存知かどうかは分かりませんが、接客業界に携わる人間って、言い方は悪いですが、性根の腐ったクソみたいな人たちの集まりです。

パワハラやセクハラは当たり前で、昔の体育会系的なノリが多く、やたら威張っている割には能力も低く、気に食わなければこれでもかと言わんばかりに平気でいじめますし、自頭が悪い人間が多いです。

 

自分の能力が低いから、劣等感を抱き、保身のために少しでも自分より上に行きそうな人を、潰していこうとします。

 

接客が好きだから入社したのではなく、新卒でどこにも引っかからなかったり、中途採用で致し方なく入社した連中も数多くいます。

もちろん中には、人間性がしっかりとした上に、自頭が良い人もいます。

ただ、そういう人は非常に少数派なのは間違いありません。

 

そして経営層は現場経験が全く無い、一部上場企業出の異業種の人ばかりです。

要はサービスを受ける側の人間が、サービスを提供する人間を支配するということです。

 

そんな方たちに現場の苦労など分かるはずもなく、現場経験もないまま机上の空論で物事を決断するため、現場はさらに苦労を強いられます。

 

常に会社は右肩上がりに成長していくと思い、毎年毎年予算は高くなるばかり。

 

株主や銀行筋の顔色ばかり伺って経営するため、現場の人員はどんどん減らされ、高い予算をクリア出来るはずもないため、ただでさえ民間と比べて安い賞与は減るのみ。

 

この業界は、素直に現実の状況を冷静に見ることの出来ない人が多すぎます。

 

ここで正直に告白します。

「私は接客は好きですが、接客業界は大嫌いです!」と。

 

一見矛盾していますが、私は売れませんでしたが元役者です。

自分に関わる人たちを楽しませようという気持ちは根底にありますし、自分で言うのも何ですがサービス精神も旺盛ですし、困った人を見捨てることも出来ません。

 

ですので、お客様対応は当たり前として、現場のスタッフたちにも楽しく仕事が出来る環境になるように心掛けています。

 

私自身も接客業を最初は完全になめていましたが、そこは以前お話したサービス業の師匠とも言える方にお会いしたことで、私は改心致しました。

 

 

tyusen-yo.hatenablog.com

 

現在は飲食業界も人手不足、ホテル業界は施設の供給過多で売上が伸びずと、明るい材料は何もありません。

飲食に至っては、緊急事態宣言下で従業員をクビにしておきながら、またお客が戻って来た途端に「人が足りないから、困っている」などと言っていますが、それは従業員を大事にしてこなかった証拠ですし、あくまで自業自得だと思います。

 

「時給を上げても人が来ない!」なんて言っておりますが、後悔先に立たずです。

それだけ時給を上げられる余力があったのなら、なぜスタッフがいる間に国からの支援金や補償制度なりを利用してフォローしてあげなかったのですか。

それが一番の原因ということに何で気づかないのでしょう。

驕り高ぶる人が多い、この業界を現す出来事だと思いました。

 

この業界にいながらいつも思う事は「世の中の仕事のヒエラルキーの最下層にあるだけに、経営者以外は金銭的にも人としての扱い的にも酷いことしかない!」という事です。

 

悪いことは言いません。

下記の理由以外で接客業に就きたいならば絶対に止めるべきです!

 

 例えば将来的に独立したいから接客の基本を習得したいとか、学生時代のみのアルバイトで等、期間が決まっているならいいと思います。

 

言っちゃ悪いですが、この仕事は何のつぶしも全くききませんし、今後技術が進歩していけばAIに取って代わられることは必至の業種です。

 

そして何より年々クレームの内容も複雑化してきてますし、自分が悪いのを棚に上げ、サイト上でウソをでっち上げ、点数を一番低い点にした上に、本社に対してお詫びを求めてくる輩が増えたのも事実です。

 

先日も一生懸命仕事を頑張っていたあるスタッフが「僕が悪い訳ではないのに、どうしてここまで怒られる必要があるのですか?」と言い、退職したい旨を支配人に伝えて来たそうです。

 

要は日々の接客で段々と心が折れたのです。

 

そのスタッフは私も良く知っておりますが、非常に笑顔も爽やかで、性格も穏やかで真面目な青年です。

 

私が接客業を始めた頃は、誠心誠意つくしていれば、お客側もあまり無茶な要求などはしない時代でしたし、嘘も方便ではないですが、ある程度は嘘もつきながら対応する事が出来ました。

 

それが時代の進歩とともに、どんな情報でもスマホがあれば簡単に検索出来る時代になったため、下手なウソはつけません。

そして何よりもイヤな面は、簡単に調べられる時代になったからこそ、自分自身の頭で考えて行動出来ないお客が増えてきました

 

あるテレビ番組で「今日誕生日や記念日なんです!と言えばホテルがケーキを用意してくれます!」のような情報を流せば、実際にそれを信じて実践するお客が沢山現れますし、情報過多の時代になった途端、お客側も完全に思考が停止しているとしか思えません!

 

二人で6,000円程度の宿泊代しか支払わないのに、3,000円、4,000円するホールのケーキを用意出来ると本当に思っていますか???

 

ホテルにもランクは存在するんですよ。

一泊一人数万円のホテルと、一泊一人数千円のホテルで同じサービスを受けられると思いますか?と強く言いたいです。

 

また別の番組で「美味しい地元の店はホテルのフロントに聞け!」という特集が組まれます。

そうすると、すぐにフロントスタッフに聞いてくるお客がその放送以降に一気に増えます。

 

そしてスタッフが地元の有名店を案内した時には、決まって同じ台詞が出てきます。

「そうじゃなくて、穴場みたいな店を聞きたいんだよ」と。

 

先程も言いましたが、ホテルのフロントスタッフなんてヒエラルキーの最下層です!

※ちなみに以前は飲食業が最下層でしたが、ひとつ上の宿泊業と逆転して最下層となりました

だから手取りが10万ちょっとの人ばかりなんです!

給料が少ないため実家から通ったり、水筒や弁当を持参するスタッフばかりです。

 

そんな給料で気軽に外食出来ると本気でお思いですか?

出来るわけがありません!

そりゃ美味しい物もたまには食べたいと思うでしょうが、みんな欲しい物も買わずに我慢して生活しているんです。

 

日本も長年給料が上がっていないと言われますが、その通りです。

私が26年前に最初に入社した飲食チェーンの時の年収と今の年収はほぼ同額です(悲)。

 

一部を除き、大半の国民は長い間景気が悪く「いくら頑張ってもね。給料上がらないしね・・・」という不透明な社会の行く先に閉塞感を持っているのも関係しているのか、昔からすると非常にギスギスした世の中に今の日本はなっている気がします。

 

それが人々の心をどんどん狭めていて、そのはけ口が店員さんに向かっているような気がしてなりません。

その人の心に余裕が無いから、店員さんのひと言に対しすぐに揚げ足を取ったり、平気で土下座を強要したりとめちゃくちゃだと思います(土下座は強要罪というれっきとした犯罪ですよ!)。

 

ちなみに海外ではサービス業従事者と、お客は対等な関係がスタンダードな考え方です。

さらにチップの文化を持つ国も沢山あります。

 

ドイツなんかにいたっては、「閉店法」という法律まであり、ライフラインに大きく関わる店以外は日曜と祝日は完全に店を閉めてしまうなんていうこともしています。

そこまで徹底しなくても良いかと思いますが、お店が開いているありがたみと、あくまでお客と店員は対等だという文化は見習わないといけない部分かなと感じます。

 

日本はサービス提供は無料な上に、無理難題を押し付けられますし、同じ人権がある人間として酷い扱いを受けることも多いです。

 

そしてさらにさらに!

私が宿泊業に携わった18年前と違い、日本人だけではなく外国人までもが考えもせず、すべてホテル任せで行動する方も増えました。

「おもてなし」なんて発言した人たちも、考えてみれば普段サービスを受ける側の人たちばかりです。

 

昔は外国人の旅行客を見て「日本人と違って行動が受け身ではなく、自発的だなぁ」と感じていたのに、今となっては、、、。

 

まだまだ書こうと思えば、いくらでも書けますし、その他にもかなりダークなエピソードもありますが、ブログ用に軽いジャブ程度のエピソードを選びました。

 

こういった話を聞いてどうでしょうか?

それでも接客業に従事したいですか?

私なら全力で止めます!!

 

「じゃあなんでお前は続けているんだ?」と言われそうですが、私はある程度感が働く人間でしたし、リスクのある転職を繰り返してきましたし、何より前述したとおり「人を喜ばせたい」という気持ちが根底にあったからです。

 

普段から気が利く、感が働く、やるべきことの優先順位に迷わないという方であれば、ある程度の地位までは上り詰めることが出来るので、それなりの給料は得られるかと思います(それでも一般的にいえばかなり安いですが)。

それに全く当てはまらないなら、潔く他の道を探すべきです!

 

ただ、私は生まれ変わったのなら絶対に接客業には従事するつもりは一切ありません!

 

ここで少しサービス業という職種について触れたいと思います。

 

◇サービス業とは

サービス業というと、まずは頭に浮かぶのは接客業だと思います。

ただあくまでサービス業の中のひとつであり、辞書では以下のように説明しています。

 

 物財の生産を主とする業種に対し、消費の対象となる役務を提供する業種。商業、金融、保険、宿泊、修理、医療・保健、教育、運輸、宗教、興行、調査・情報、小売り、飲食などの業種をさす。ほぼ第三次産業に等しい。サービス産業。

出典:日本国語大辞典

 

何が言いたいかといいますと専門職のサービス業と、小売り、飲食、宿泊のサービス業では雲泥の差があるということです。

 

人のために何か役に立ちたいというのであれば、頑張って専門職のサービス業を目指して下さい。

その方があなたの未来はまだ明るいし、スキルアップを図る事が出来ますよ!

 

「職業に貴賎なし」

私は社会に役立っているという面では、この言葉もありかと思いますが、差別のない世の中なんて存在しないので、接客業は他業種と比べて軽く見られているのは間違いありません。

 

話が逸れたので元に戻します。

 

最後に私の悲しい性のことです。

 

アルバイトも含め30年ほど接客に携わった私は、良く言えば「人当たりが良く見られる」、悪く言えば「完全になめられる」といった人間になりました。

 

スーツ姿で買い物をしていると、知らない人に商品の場所をよく聞かれますし、駅や道路でも知らない人から道や行き方をよく聞かれます。

別に聞かれることが辛いとも思いませんが、数多くの人が往来している中で私に声をかけてくるというのは完全に「店員顔」が染みついている証拠だなと感じます。

 

私がスーツ姿でよく言われる台詞は「あら!店員さんじゃないの」です。

※ちなみに店員じゃないのと言いつつも、なぜかそのまま私に聞いてきます

 

だから国籍問わず色々な人に、お店や駅、道端で話しかけられてしまうのです。

※ただなぜか変な勧誘は受けたことがありません。ありがたい!

 

でもそこは長年培ってきた悲しい性。

 

自身が初めて行った店でも「私店員ではないですが、、、」と言いながら一緒に商品を探してあげますし、初めて訪れた場所でも駅の行き方を聞かれれば、乗換案内のアプリを見ながら案内してあげます。

 

デパート、ホームセンター、ドラッグストア。

どこにいても店員と間違われる私。

それでも嫌な顔をひとつもせず、案内してあげられるという方であれば「接客の世界へようこそ!」と素直に歓迎します!

 

誰かがやらなければならない仕事なのに、もう少し優しい気持ちで見てあげて欲しいなと思いました。

※完全にやる気がない店員はもちろん別ですよ

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

この1年でかなり成長した息子と、全く成長しなかった私

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 いよいよ師走に入りました。

昨年に引き続き、大半が緊急事態宣言下の年でした。

 

 私がいる宿泊業界はもろに打撃を受け、どうにかこうにか倒産はしなかったものの、人員整理や経費削減、定期昇給は一切無し等、見通しが明るくなる材料は皆無といった状況が続き、現段階でも予断を許さない状況に変わりありません。

 

 年初に始めたいと思った事も、ブログを除いては金銭的な面で諦めざるを得なく、なかなか新たなチャレンジに向かう事は出来ませんでした。

 

 昨年からボーナスという言葉も消え、頼るは私の通常の月給のみ。

 

 自身で選んで入った業界ですし、それはそれで仕方がないことだとは思いますが、物価もどんどん上がっていますし、さらに保険料も上がりました。

正直、実入りが少なくなるのは辛いです。

 

 良くも悪くもサラリーマンの限界を思い知らされた1年でした。

 

 何か副業をとも考えましたが、遠距離通勤な上に家事や子育てもありますし、営業職なので急な出張もある為、決まった固定時間が取れません。

 

 会社も今年から、外部より来た新社長体制に変わりましたが、給料は上がらないのに以前よりも業務量と会議も増え、会社の存続をかけて必死にもがいている感が現場にも伝わってきます。

 

 また営業職ということもあり、今年はほとんど営業活動が出来ず、「自分は何をしているんだろう??」という自問自答の繰り返しでした。

 

 営業に出向いても、コロナ禍の中なので先方に対して気を使いまくりますし、門前払いを受けることもしばしば。

さらにアポが取れたとしても、人の動きも特にないため、良い案件も全く取れません。

 

 「待てば海路の日和あり」と言いますが、去年から待ちすぎです(笑)。

 

 そしてここへきて、何が起こったのかも分からずに感染者が激減。

もちろんそれは良い事だと思いますが、今までダラダラ続いていただけに、急にアクセル全開も出来ずに、何かしら気持ちが空回り。

 

 そこへまたまた「オミクロン株」のニュースが、、、。

次から次に新たな敵が現れるなんて、まるで映画かゲームの世界のように感じ、ここまでくるとギャグなのかと思ったり、何かの陰謀なのかなと疑ったりします。

 

 それはあくまで冗談ですが、またまた感染状況が再拡大しない事を祈るばかりです。

 

 そしてこの1年は、今の会社に入社して、全く何も貢献していないなと感じた年でした。

ただそれでも会社員ですから、給料をいただけるのはありがたかったですが、何か心の奥底で納得しきれない自分がいたのも事実です。

 

 感染状況に常に振り回され、今年は何も成長しなかった私。

在宅勤務が多かったこともあり、唯一ブログを始めたのだけは良かったかなと感じました。

 

 そんな私と比べ、我が家の息子はこの1年で目まぐるしい成長を遂げております。

 

 体格で言えばこの1年で10㎝以上身長が伸び1m超え。

体重は15kgから1.5kg増で16.5kgになりました。

 

 去年はまだまだ赤ちゃん体型だったはずの息子が、2才6ヶ月にして普通の人の体型に変わっていきました。

 

 赤ちゃん体型は赤ちゃん体型で、キュートなので好きでしたが、これも息子の成長の証と捉えていくしかないですね。

 

 言葉も今年の初めはほとんど話せなかったのに、今では自分の意思を伝えようと必ず言葉を発して(まだまだ理解不能な言葉も多いですが、必死に言葉で伝えようとする姿勢がいじらしいです)私や妻に言ってきます。

 

 もちろんペラペラに話せるわけではないですが、「にんじん」「ジュース」などの名詞や「なーに?」「どーこぉ?」などの疑問詞など、年初では考えられなかった言語を少しずつマスターしてきており、話すのは完璧ではないものの、私や妻が息子に対して言っている言葉はほぼほぼ理解しているので、その言葉に対する自分の思いを喜怒哀楽できちんと表現します。

 

 年初にはストローを使用した密閉容器で飲み物を飲んでいましたが、今は教えてもいないのにコップで直接飲みますし、こぼさないようにしっかり両手でガードしながら飲む姿は最高にかわいいです。

 

 さらに、ドアの鍵や戸棚なども自分で開けますし、どこに何があるかを理解しているので、自分の手が届かないところにお目当ての物があれば、私の手を引っ張ってそこへ連れていき、指を差して「こーこぉ、こーこぉ」と言い、開けたところを見てさらに指を差し「こーれっ」と言って、自分の取って欲しい物を受け取ります。

 

 冷蔵庫や食器棚などもしょっちゅう開けるので、冷蔵庫が冷えなくなりますし、陶器が割れてケガをするのも恐いため、いたずら防止用のロックを付けましたが、今ではどんなタイプのロックでもいつしか開けられるようになります(ちょっとした鍵師ですね)、、、。

 

 確かに息子は、普段から私や妻がやることを注意深く観察していますから、それを見ていて覚えるのでしょうね。

 

 スプーンやフォークなども食べさせてあげる時に見て覚えたのか、今では自分でスプーンやフォークを持って食べますし、1才6ヶ月だった去年と2才6ヶ月の今では信じられないくらい成長しているんだなと改めて感じました。

 

 以前は公園に行っても同年代の子には人見知りをして近寄らなかったのに(どちらかというと年配の方に積極的に寄っていっていました)、最近は公園でもあえて同じくらいの年の子のところに積極的に行き、一緒に遊ぼうとアピールすることも多くなりました。

 

 ただ、いかんせん大人の事情もあります。

 

 息子が近づいていく子の親御さんによっては、あからさまに嫌な顔をされる方もいらっしゃいますし、私の方が今ではヒヤヒヤしたり、ドキドキしたりしています(言い方が悪いですが、最近はハズレの親が多く、あからさまに嫌な顔をされます。そういう人に限って「すいません」と言っても無視しますし、最近は公園に行くのに対して、気持ちが折れているのか、私の胃が痛みます)。

 

 単体の親子ならまだチラッとはこっちを見ますが、先日ママ友グループの子どもたちのところに息子が行った時は、まるで私と息子がそこの空気かのように無視され続けました(息子は素直に遊びたいって気持ちなわけですし、別にあなたたちの公園でもないし、遊具もみんなの物でしょと心の中で思いましたが、グループパワー恐るべし、、、)。

 

 「世の中いい人ばかりではない!」とは52年間生きてきて分かってはおりますが、子どもの前でそういった対応する親を見ると、「こういう人の子って、大人になったら同じ対応をする親になるんだろうなぁ」と思ってしまいます。

 

 子育てに正解は無いとは思いますが、挨拶や礼儀は親の姿勢でその子の将来に大きく左右されるんだろうなと感じます。

 

 前にもお話しましたが、子どもは生きることに一生懸命です。

何でも素直に吸収し、今を楽しむことに精一杯で、ひとつの人格となるために、迷いもなくどんどん新たなコミュニティに参加したがりますし、常に未来へ向かって進みます。

 

 それが大人になると、私のように出来ない理由を見つけては自分を正当化し、成長することを自ら諦めてしまいます。

今回の仕事の件、新たにやろうとしていた事の件、私も何かしら突破口は必ずあったはずなんです。

 

 でも見つけなかったんです。

もっと言えば見つけようともしなかったんです。

 

 幼い息子の成長は、私にとって「カンフル剤」的な役割を果たしてくれています。

 

 自分が遠い昔に忘れてしまった夢や希望。

ひとつひとつの息子の行動を見ていると、何かがうまくいく度に「キャーッ」と手を叩いて思いっきり喜び、自身を讃えます。

 

 それだけ目の前のことに夢中な証拠ですし、ひとつひとつ出来なかったことを出来るようにし、自分自身で鼓舞しているのです。

そしてまた新たな出来ないことにチャレンジします。

 

 私は幼い息子に感謝しかありません。

 

 「いつもパパの膠着する気持ちを動かしてくれてありがとう!」

 

 社会の枠組みの中で生きる大人と、社会の枠組みという形にとらわれないで生きている子ども。

枠組みに組み込まれることは、けっして悪いことばかりでもありませんが、枠組みにとらわれない考え方も必要だなと感じた師走のある日でした。

 

 今年も残り約1ヶ月。

悔いのない年にして、良い状態で来年につなげたいですね。

 

 最後までご覧いただきありがとうございました!

気にしすぎる人間の視点から見た世の中②

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ほぼ皆既月食89年ぶり。次は65年後(要は生まれて初めてって事ですね。次回は息子しか見られない気が)

 さて、本題に戻ります。

 

 少し前に同じタイトルでアップした話の続きです。

今回は日常生活を中心に気になる点をあげていきたいと思います。

 

【身だしなみ編】

 

・眼鏡のレンズが脂ぎっていたり、汚かったりする

※私も眼鏡とコンタクトの両方を使用するため、それでちゃんと見えているのか?と気になる

 

・寝ぐせがついたまま電車に乗り、その姿で出社する

※私は接客業にずっと携わっているので、その髪でも仕事が出来るんだと気になる

 

・ブランドロゴがあちこちに点在しているファッションで身を纏う

※ロゴが全てに無ければ落ち着いて見えるが、上から下までロゴだらけだと統一感がなく気になる

 

・ヨレヨレのスーツ、折り目の無いズボン

※ただ素直にアイロンをかければいいのにと気になる

 

・曲がってたり、ゆるゆるでヨレヨレのネクタイ

※せっかく着けるのであればと気になる

 

・なりふり構わないくしゃみや咳、急な大きな声のくしゃみ

※最近は大半がマスク姿なので以前よりはマシだが、していない人に限って、、、気になる

 

・強めの香水

※気に入っている香りかもしれないが、ものには限度がと気になる(以前その人の香水で車両一両が全部その匂いになるという強者もいました)

 

・リュックに大量のワッペンやバッジ

エスカレーターで私の前にそういう人がいると、にぎやかすぎてただ気になる

 

・ベルトのバックルがズボンの中心にきていない

※これもこれで真ん中にないとだらしなく見えるので気になる

 

・靴が汚い

※登山などではいいが、街の中で特に革靴が汚いと気になる

 

・靴ひもの結び目の長さがあきらかに均等ではない

※自身の視点から靴を見たときに気にならないのかなと気になる

 

 

 

【作法編】

 

・基本生活音が大きい(ドアの開け閉めやドスドス歩く等)

※ただ単純にこっちがビクッとするので気になる

 

・ドアの押すと引くを確認せず、開けるのを失敗する

※ドアが近づくと私は確認するので気になる

 

・TPOを考えない声量

※場の空気感を読めないからそうなるのだろうが、気になる

 

・他人なのにやたら近い距離感の人

※これも一時期はコロナ禍で良かったのですが、また元に戻ってきているのが気になる

 

・目の前に置いてあるコップや食器との距離感を考えずに動き、こぼす

※幼児じゃないんだから、記憶しておいてよと気になる

 

・公共交通機関でのメイク

※家かトイレでやって欲しいなと気になる

 

・雨の日に傘を持ちながらすれ違う際に、気にせず真っすぐ歩いてくる

※私が傘を左右上下に動かしてよけているから普通に歩けるんですよと気になる

 

・空いているエレベーター内なのに、なぜか近くに立つ

※パーソナルスペース取れるのに、取りましょうよと気になる

 

・デパートやスーパーで店員がお客に道を譲らない

※宿泊業の私は、お客が来たら止まって通り過ぎるのを待つので気になる

 

・飲食店への入店時に「消毒のご協力をお願いします」の台詞を無視して入店しようとする

※せっかく収束に向かっていても、こういうことでまた増えるのではと気になる

 

・飲食店でサラダバーや、ドリンクバーをこれでもかと汚く使う

※自分の家だとそうはしないでしょと気になる

 

・都合が悪い時だけ「年寄りだから」と言う

※みなさんが悪いお年寄りではないですが、こういうずるい人は気になる

 

・肘をついたり、足を組んで食事する

※見ていて気持ちいい感じがしないので気になる

 

・くちゃくちゃ噛みながら食べる

※これも見ていて気持ちがいい感じがしないので気になる

 

・お札を舐めて財布から取り出し、さらに数える時に舐めてそれを店員さんに渡す

※乾燥しているのかもしれませんが、受け取る側は嫌でしょと気になる

 

・自分が手に取った商品を元通りに戻せとは言わないが、戻し方が雑な人

※それが消費者の権利だと思っているような雰囲気が気になる

 

 

【運転編】

 

・ウィンカーを直前にしか出さない、また全く出さない

※後続車両のことを考えていないのが気になる

 

・突然減速して、加速してを繰り返す等、スピードが一定ではない

※大抵スマホ等のながら運転か、後続車を全く気にしない人が多いのが気になる

 

・わき道から勢いよく飛び出して本線に合流するが、合流すると遅い

※相手に急ブレーキを踏ませる合流はちょっとなと気になる

 

・車線をずっとはみ出して走行する

※下手なのか、気が散漫な運転なのか分からないが、山道のカーブなどは特に気になる

 

・赤信号時に前方車両のだいぶ手前から減速して前方車両からかなり離れて停止し、止まったのかと思えばズルズル前に出て、また少しずつ出て止まって、出て止まってを繰り返す

牛歩戦術じゃないんだから、前方車両の近くで停止して、じっとしていて欲しいと気になる

 

・暗くなっても点灯しない、トンネル内で点灯しない

※あえて事故を起こしたいのかなと気になる

 

・横断歩道を渡ろうとしている人がいるのに、ためらわずに突き進む

※車優先ではないので気になる

 

・赤信号なのに横断歩道をゆっくり渡る歩行者

※お年寄りとかならば仕方ないが、スマホを見ながらとか、しゃべりながらとか「いえいえ赤ですけど」と気になる

 

・狭い道や路地裏、駐車場等をを猛スピードで駆け抜ける

※これも頭のネジが緩んでいるのではないかと気になる

 

・合流時にあえて入れないように前に詰める

※いじわるだなぁと気になる

 

・高性能車や高級車なのに運転が下手

※購入できる資産があるのは素晴らしいが、車の見た目と動きがリンクしないのが気になる

 

・人が抜こうとするとスピードを上げる

※1車線の高速道路では後ろの事を考えずにダラダラ走っていたのに、2車線区間になった途端に抜かれまいとスピードを上げて阻止しようとするのが気になる

 

 他にも沢山あるのですが、上げればキリがないので、ここからは私個人が自分自身で気になる番外編です。

あくまで自分のこだわりで、妻には強制しておりませんのでご安心ください。

 

【番外編】

 

・玄関の靴やスリッパが並んでいないと気になる

 

・鏡が曇っていたり、汚れていると気になる

 

・水回り(シンクや洗面所)に水滴があると気になる

 

・手を拭くタオルが湿ってくると気になる

 

・キッチンのシンクに洗っていない食器が置いてあると気になる

 

・換気扇のフィルター、エアコンのフィルター、掃除機のフィルターが汚いと気になる

 

・床に食べかすや髪の毛が落ちていると気になる

 

・物の住所に置かれていない使っていない物があると気になる

 

・食器や調理器具を洗った後に、汚れが取れているかどうか気になるのでにおいを嗅ぐ

 

・ガステーブルに飛び散った油汚れ等が気になる

 

・使用済みの包丁が出ていると気になるので、使用後に水分を拭き取り包丁入れに片付ける

 

・カーテンがきちんと閉まっていないと気になる

 

・机が部屋に対して真っすぐに置かれていないと気になる

 

・ダイニングテーブルから出たままのダイニングチェアが気になる

 

・同じくPCデスクから出たままの椅子が気になる

 

生ごみが出た際に、虫の発生等が気になるので、ゴミ出しの日まで冷凍保存する

 

・ドアを鍵で閉めた後、閉まっているかどうか気になるので、一度必ず閉まっているかどうかドアを開けてみる

 

・就寝前に戸締りとガスの元栓がしまっているか気になる

 

・床のマットがずれると気になるので、ずれ防止シートをひく

 

・リモコン類が散乱するのが気になる

 

・封が開いたままの袋(お菓子や食品)だと気になるので、輪ゴム等で封をする

 

・消耗品の減り具合が気になるので、こまめにチェックして買い足す

 

・財布の中のお札の向きが揃っていないと気になる

 

スマホの充電残量が気になる

 

・掛け時計や、カレンダーが真っすぐでないと気になる

 

・ボウルなど重ねる時に下が大きい物から徐々に小さな物を重ねないと気になる

 

・庭の雑草が生えだすと気になる

 

・普段閉まっているのが当たり前の物が開いていると気になる(押し入れやクローゼットの扉等)

 

・洗濯機の乾燥機能を使う時にきちんと乾くかどうかが気になるので、一度すべての洗濯物を洗濯機から出してシワを伸ばす

 

・スポンジが汚いと気になる

 

・こたつ布団の机の面に対して均等に布団が出ていないと気になる

 

・並べた本の高さがちぐはくだと気になる

 

・字を書くときに均等の間隔、大きさじゃないと気になる

 

・字を消しゴムで消す時に、きちんと消えないと気になる

 

・トイレットペーパーの残量が少なくなると、あとどの位持つかが気になる

 

・自動巻きなのに、腕時計の時間が合ってないないと気になる

 

・レンジで加熱中に中の様子が気になる

 

・あくを取る時にあくが永遠に気になり、止め時を見失う

 

・ホットケーキや、お好み焼きの焼き目加減が気になり、ちょこちょこ確認する

 

・本を購入して読む際に、丁寧にページをめくる

 

・テレビなどの配線が乱れていると気になる

 

・掃除機のコンセントの巻取りがスーッと入っていかないと気になる

 

・ポストに入った封書が雨で濡れているのが気になる(ちゃんと入れて欲しいなと気になる)

 

・カランとシャワーの水栓で、使用後はカランにしていないと気になる

 

・袋菓子や、袋に入った食品をハサミで切って開けないと気になる

 

・健康に気遣っているわけではないが、原材料や製造した企業が気になるので一通り見てみる

 

・電池を使う懐中電灯を使用していてしばらく経つと、いつ切れるのかどうかが気になってくる

 

・ポイント利用時に端数が出ると気になるので、キリが良い数字になるように使用する

 

 

 今浮かんだだけで、これだけ出てきました。

「お前は神経質か!」と突っ込みたくなりますが、浮かんだだけでこれだけなので、もっと沢山出てきそうです、、、。

 

 ただ自分のこだわりなので、先に述べたように妻には一切強要しません。

だから家にいる間はどちらかというと、子どもと遊ぶ時間以外は何かと家のことをやっていて、ほとんど座っていない状況が多いです。

 

 あまり色々考えすぎる人ほど痴呆症になりやすいとも聞いたことがあります。

あまり神経質にならずに最低限(その線引きが難しいからこうなっているのですが)のやることをやったら、のんびりすればいいのかもしれませんね。

 

 再び個人的検証にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

トラウマから得た教訓と生き方

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 私は人に話せるトラウマと、一生自分の心にしまっておきたいトラウマがあります。

どちらも小学校に上がる前の出来事なのですが、52才となった今でも鮮明に覚えています。

 

 本当に幼い頃に受けた心の傷って、いつまでも残るものですね。

 

 今日はその話せるトラウマから得た教訓と、そのトラウマが私の人生の生き方に影響したお話をさせていただきます。

 

 当時私は幼稚園の年長組で、弟が翌年に産まれるという年の出来事です。

母の出産準備の買い物に、祖母と母と私の3人で出かけた時にその事件は起こりました。

 

 私が長時間の買い物だと退屈するのではないかと思い、買い物をしていた途中、母がカバンから小銭入れを出し、「私とおばあちゃんは買い物するのにもう少し時間がかかるから、これを持ってゲームコーナーで遊んどけば」と言います。

 

 私は私で確かに退屈になっていた事もあり、その小銭入れを母から受け取ると、そのままひとりでゲームコーナーに向かいます。

ゲームコーナーに着くと、私より上の小学生や中学生のお兄さんお姉さんばかりがいます。

 

 人見知りの私はその場の雰囲気に圧倒され、隅っこにあったベンチに座り、ぼつんと佇んでおりました。

 

 それからしばらくしたその時です!

見知らぬ小学校高学年くらいのお兄さんが私に近づいてきます。

 

 「何かぼくの方に来ている気がする」と思った矢先。

 

 「ねーねー、何かいいもの手に持っているね」

 「それをぼくに見せてよ」と言ってきます。

 

 人に対して何の疑いも持っていない幼い私は、手に持っていた小銭入れをその彼に渡します。

受け取った彼は「中も見ていい?」と言うので、私は「うん」と答えます。

 

 すると次の瞬間「これはまだきみには早いんじゃないかな?だからお兄さんが使ってあげるね」と言い、財布の中に入っていた1円玉と5円玉以外の硬貨をすべて出し、自分の服のポケットに入れ、少し気まずかったのか1円と5円をわざと床にバラ撒き「あー、落ちた落ちた。ごめんごめん。それ拾っておいて」と言い、空の小銭入れを私に渡しその場を後にします。

 

 幼い私は、あまりの一瞬の出来事にただ呆然とし、母にここで待っていると約束したこともあり、すぐにでもその場を離れたかった気持ちを抑え、母と祖母をその場で待ち続けました。

その彼はというと、友達と一緒に私からカツアゲしたお金でゲームに興じています。

 

 それからどの位待ったかは定かではないですが、母と祖母が迎えに来るまでの時間は異常に長く感じました。

 

 ようやく母が私を呼ぶ声が聞こえてきて、母と祖母を見た瞬間に私は涙が溢れ出しました。

母が「どうしたの?遊ばなかったの?」と言い、両手で大事に持っていた小銭入れに何かあると思ったようで、渡した小銭入れを私から受け取ると、中身を確認します。

 

 すると中を見た母が、「全部使ったの?」と言うので、私は泣きながら横に首を振り、まだそこで遊んでいる彼を指差して「あのお兄ちゃんが、、、」と震えながら言います。

 

 その光景を見ていた彼は、「やばい!」と思ったのか、逃げるわけではなく逆に私たちのもとへ寄ってきます。

 

 そして

 

 「さっきまでぼくたちと一緒に遊んでいたんだよねー」と言いながら、蔭で私を睨みつけてきます。

「本当のこと言ったら分かってるよな」と言う脅しですし、今思えば常習犯ですよね。

 

 その冷酷無比な態度と、イヤな目つきは今でも忘れられません。

 

 何となく場の雰囲気を察した祖母と母は、「あーそう。ありがとうね」と彼に言い、私の手を取りその場をあとにします。

祖母も母も私を叱ることもなく、泣いている私に「何か美味しいものでも買って帰ろうか!」と明るく言い、ドーナツショップに私を連れて行ってくれました。

 

 祖母も母も、その彼が悪いとは分かっていたのでしょうが、証拠も何も無いわけですから、埒が明かないと大人の対応をしたのだと思います。

 

 自身の体験談とはいえ、今考えてもひどい話ですね。

 

 ただ私はこの事がきっかけで得た教訓があります。

それは非常に当たり前の事ですが「自分はいじめは絶対しない!」です。

 

 もちろん自身では「いじめ」のつもりではないですが、若い頃の私を振り返れば、「知らぬ間に人を傷つける」という言動は絶対にあったと思います。

なので私は、年を重ねるごとに他人の悪い所よりも、良い所を先に探すようにしてきました。

 

 そうすることで相手に対する接し方がだいぶ変わってきます。

 

 逸れてしまったので、話を戻します。

 

 そしてその事件から月日が流れ、私は小学校へ入学します。

 

 以前もブログでご紹介しましたが、自分が入学前に抱いていたような、明るく楽しい学校生活を送ることの出来ない子でした。

 

 そして、やはり目の当たりにしたのが「いじめ」です。

 

 障害や持病がある子、家庭が貧乏な子、容姿があまり良くない子等へ、容赦ない言葉の暴力や、男対男だと直接の暴力行為が行われます。

 

 私は小学校の高学年からいじめを受ける事になりますが、入学してからしばらくの記憶はあっても、その後は本当に記憶に残っておりません。

詳細は以前のブログに綴っておりますので、ご興味があればご覧ください。

 

 

tyusen-yo.hatenablog.com

 

 かなり記憶を封印してしまっている時代なので明確ではありませんが、当時私はいじめられていた子たちに対し至極当たり前ですが、何も気にせずクラスメートとして、普通に話しかけていた記憶があります。

 

 ひとつはっきりと覚えている事もあります。

それは幼稚園時代に仲が良かった子が、小学校に入学してから私を避けるようになったことです。

 

 それは近所に住む女の子で、病気で髪の毛が抜け落ちてしまうという子でした。

幼稚園時代は、自宅まで行って普通に遊んだりしておりましたが、小学校に入学して髪の毛の事で他の男の子たちからいじめられるようなり、人が変わったように暗い子になってしまいました。

 

 その恐怖からか、その子は男の子を避けるようになっていき、全くいじめに加担していない私に対しても話もしてくれなくなり、私も幼なかったため、何のフォローもしてあげられず、自然と遊ばなくなりました。

 

 私は心で「何でそんなことを平気で言うんだろう」と思ってはおりましたが、そのいじめる側の子たちに対して、面と向かって文句を言う勇気もなく、その現場も見たくなかったので、何も出来ずにその場から離れていくだけでした。

 

 今思えば、高学年から私がいじめを受けだしたのは、私はいじめに全く加担せず、いじめられる側の子たちと仲良くしている機会が多かったので、後々いじめの対象となったのかもしれません。

 

 私の場合、以前のブログで述べた通り、どうにか自身でいじめを克服しましたが、この令和の時代でも、いじめを受けて自ら命を絶つというニュースが多いのが残念で仕方がありません。

 

 むしろ今の時代の方が陰湿化していて、SNSなどを駆使してじわじわ追い込んでいくようですし、自殺者は昔より増えているようです。

目に見えない敵に追い込まれていくほど怖いものはないかと思います。

 

 異論反論が多いと思う中、私個人の考えは、「いじめがなくなることは永遠にこない!」という考え方です。

 

 「いじめは絶対ダメ!」「いじめをなくそう!」のポスターを貼ってなくなるようなものでもないですし、いじめられている人間からすれば、そのポスターはかえって逆効果な気もします。

 

 人は弱い生き物です。

弱いからこそ誰かを見下していないと生きていけないのだと思います。

 

 いじめる側の人間は実は弱く、脆く、人より優位に立っていると思わなければ生きていけないかわいそうな人たちなんです。

 

 大人の世界にも「いじめ」は存在します。

子どもから大人になっても、いじめる人はいじめるんです。

 

 もしかしたら子どもの頃にいじめを受けた分、出世とか何かで地位を得た人の中には、「今度は自分がいじめる番だ」と歪んだ考えに変わってしまう人もいるでしょう。

 

 いじめも、いじめる側の人間には何か心にぽっかりと穴が開いてしまっていて、それを埋めるために愚かで間違った行動に出るんだと思います。

 

 だからといっていじめていいという正当な理由は全くありません!

 

 前にも述べましたが、いじめを受けているのであれば逃げればいいんです(以前どこかの媒体で、「逃げていたらダメ」という論評を見た事がありますが、私は逃げていいと思っている派です)。

 

 実際、「逃げるが勝ち」という言葉もあります。

 

 身勝手な意見に聞こえるかもしれませんが、学校がいやなら行かなければいいですし、今は私の時代と違いインターネット授業で単位を取り、卒業出来る学校も沢山あります。

 

 会社でいじめを受けているのであれば、その会社から転職すればいいだけの話ですし、転職していたらいつしか天職も見えてきます。

また、誰にも負けない得意分野があるのであれば、その武器を使って起業してもいいと思います。

 

 私は変なプライドや会社のブランドよりも、「自分らしさ」を重視したい人間です。

自分が自分でなくなる事が、私にとっては一番つらい事です。

 

 会社の数なんて星の数ほどありますし、生き方も多種多様にあります。

現に私はアルバイトを含めれば40以上の職を転々としてきました。

 

 労力を考えれば大変だなとお思いでしょうが、私の場合は以前ブログで綴りました「職場の環境はまず人ありき」がモットーなので、わざわざ嫌な人間がいる職場に勤めている方が私には精神衛生上良くないのです。

 

 

tyusen-yo.hatenablog.com

 

 

 それに確率論ではないですが、転職も「数撃ちゃ当たる」なんです。

 

 私は根暗で細かい事が気になる人間なのですが、なぜかいつも心のどこかには「何とかなるし、何とかする!」という楽観的で前向きな気持ちだけは持ち続けて生きてきました。

 

 現に40才を過ぎてから、所持金が8円という恥ずかしい時代もありましたが、それから本当に何とかなりましたし、今は愛する家族もいます。

その「何とかする!」という気持ちを失うと、私の人生の魔法は解けてしまう気がします。

 

 人生って本当に山あり谷ありです。

幸せな気持ちを感じられる時よりも、苦労してストレスが溜まる事の方が実際多いのも事実です。

 

 経験上、大きなストレスであれば取り巻く環境を一新すれば何かが変わりますし、小さなストレスであれば「今は大変だけど、結局何とかなるんだよなぁ」と心でつぶやいてみて下さい。

 

 私は人生でかなり回り道をしましたし、「自分で自分の首を絞めているんじゃないか?」と思う時期もありました。

でも、様々な人生の壁にぶつかった分だけ、その都度その都度少しずつ強くなってきたと思います。

 

 「経験は財産」って言葉もあります。

いじめられたり、ミスをしたり、恥をかいたり、好きな人にふられたりetc、それらは全て次の自分の人格を高めてくれるアイテムなんだと今は思えます。

 

 

 長文になりましたが、私が幼い頃のトラウマから得た教訓と生き方のお話でした。

 

 最後までご覧いただきありがとうございました!