ある男の幸せ追及と子育て日記

元役者で転職15回、結婚4回、50歳を過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。子育てや所感を中心に人生の幸せを追求していきます!

気にしすぎる人間の視点から見た世の中

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 私は昔から周囲の細かい事が気になって仕方ない人間です。

それが原因なのか、十二指腸潰瘍で中学校1年時に初入院。

 

 

 その後もちょっとした事でずーっと胃痛に悩まされ、34才でピロリ菌を除去するまで胃薬とお友達でした。

除去してから、しょっちゅう胃薬を飲む生活からは抜け出したものの、除去して約18年経ちました。

最近、会社の健康診断で少し炎症が出ていると指摘されるようになり、またそれで何か色々と考えてしまう日々。

 

 元来持っている性分なので、色々な事を気にするのを止めたいのですが、今回私の頭の中をアウトプットして、胃痛を起こす原因を検証してみたいと思いました。

 

 「あー分かる分かる」という方、「いやいやそんなことは全く思わないよ」という方の両方がいらっしゃるかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

 

 それでは項目ごとにご紹介します。

※印は私がなぜ気になるかのひと言解説です。

 

 

【鉄道編】

 

・自動券売機で切符を購入したにも関わらず、そこで財布の整理やカバンの整理を始めるので、いつまで経っても切符が買えない。

※購入したら次の人に場所を譲ればいいのに、その間にも後ろにどんどん人が並ぶのが気になる。

 

・新幹線の通路側指定席をあえて選んでいるのに、テーブルを出してノートパソコンを置き、窓側にいる私の動きを塞いでしまう。

※トイレに行きたくても、その人がすべてを片付けるのを待たないといけないし、そういう人に限って足元に荷物を置いているので、全く通るスペースがないのが気になる。

 

・BOXシート時に前の座席の人が何の前触れもなく、急に30度から40度ほど背もたれを倒してくる。

※そこまで倒す必要ある?と思いますし、後ろの人の事は全く考えていないのがある意味すごいなと。また、膝の近くまで前の座席があり、圧迫されて気になる。

 

・ホームの停車位置から電車が大きく外れるとモヤモヤする。

※並んでいた列がそのことで乱れるので気になる(動いた列についていかない方もおりますし、ちょっとした

カオス状態になります)。

 

・2列でと標記してあるのに1列だったりバラバラに並んでいたりする。

※上記同様、乗り込む時に列が乱れるので気になる。

 

・発車ギリギリに乗り込もうとしているのに、ギリギリまで走らない。

※結局その結果ドアに挟まれ、出発が遅れるのが気になる。

 

・車内の座席にゆったり座る。

※本来ならもっと多くの人が座れるのに、その人のせいで座れなくなるのが気になる。

 

・混んでいるのに「なぜそこ?」と思うような場所に立ち、絶対動かない。

※降りる駅の事もあるのでしょうが、出来れば詰めて欲しいと気になる。

 

・電車が遅延している際に駅員に暴言を吐く。

※遅れた理由を聞くだけで充分では?と気になる。

 

・改札を出る時に残高不足でエラーを起こし、後ろが詰まる。

※乗る時の改札で表示される残高を見ないのかなと気になる。

 

・ひとりなのにBOX席であえて窓側に荷物を置き、横に来るのを阻止する。

※座りたいし、早く降りたいしという欲望が見えて気になる。

 

・混雑時に優先席に堂々と座る対象外の方たち。

※赤ちゃん連れや妊婦さん、お年寄りがその周囲にいるとなおさら気になる。

 

 

【公共の場編】

 

スマホを見ながらのキャリーケースを引きながらの移動は最強だと思っている。

※周りを全く気にしない縦横無尽な動きを見せるのが気になる。

 

・すれ違う相手の導線が気になる。

※先ほど同様、スマホを見ながら歩いているので私が避けてばかりが気になる。

 

・3人グループであろうが、5人グループであろうが横並びで歩く。

※避ける空間が無いので気になる(最高で12人が横並びの強者もいました)。

 

・トイレの後に手洗いをしない(男性用トイレしか知らないので男性用トイレの話です)。

※昨年コロナウイルスが始まった頃は男子トイレの洗面所も大行列だったのに、今は大半の人が手を洗わない通常の景色に戻ったのが気になる。

 

・用を足しながら「アーッ、アーッ」とか「ふぅー、ふぅー」と言う人。

※声を出さなくても出来るのでは?と気になる(変な話ですいません)。

 

・私の前を歩いていて突然立ち止まる。

※周りを見てから止まってくれないと、ぶつかるので気になる。

 

・人の往来が多い場所で携帯電話で話をする。

※そういう人に限って立ち止まったままではなく、急にウロウロと動くのが気になる。

 

・同じく人の往来の多い場所でカバンの中身を整理する。

※隅っことか、人の往来が少ないところでやってくれないかなと気になる。

 

 

【買い物編】

 

・駐車場の区画をはみ出したまま平気で駐車する。

※この人のせいで1台停められるのが停められなくなるのが気になる。

 

車いす専用等の思いやり駐車場に健常者が駐車する。

※あきらかに対象者じゃない人が堂々と停めるのが気になる。

 

・横に誰かが停めたがっているのにドアを全開で塞ぎ作業している。

※一旦作業を止めて譲ってあげてもといいのにと気になる。

 

・駐車場内の一方通行を逆走してきた上に、停めようと待っていた人を気にもせず自分の車を駐車する。

※ただただ見ていて残念な気持ちになる。

 

・電話で話しながらレジで支払する。

※店員さんが何か言っていても聞こえていないから、もう一度説明したりして時間を要する上に、支払いもスムーズにいかないので後ろに行列が出来るのが気になる。

 

・レジで小銭入れから必死に小銭を出そうとする。

※そういう人に限ってレジで金額が確定するまで財布を出しておかないし、小銭入れがどこかにいっていて見つからず、それを探すのにかなり時間を要し、やはりレジに行列が出来るのが気になる(私は並ぶ前に財布を手に持って待機し、小銭入れも硬貨の種類で保管場所を分けています)。

 

・カートで道を塞いで話込んだり、商品を見ている。

※カバンの中身の整理同様、何で端に寄ってくれないのかなと気になる。

 

・私が空いているレジに向かおうとするとスピードを上げて先に行く。

※今まで何か違う物を見ていたのに、私がレジに行こうとするとスピードを上げて割り込んでくるし、そういう人に限ってスムーズに支払いしないのが気になる。

 

・本来の陳列棚ではない商品を違う陳列棚に放置する。

※気が変わるのは仕方ないと思うが、元に戻す行為が面倒だなと思ったことが気になる。

 

・陳列棚から物を取った時に、他の商品を落としても知らんぷりをする。

※落としたのは分かっていて、戻さないのが不思議でしょうがないし、結局私が戻すのが気になる。

 

・会計時にお金が足りずに、買わない商品の選別作業を待たされる。

※買い物行く前に事前に所持金を確認しないのが気になる。

 

・対面レジが混んでいるからセルフレジに行くもののやり方が分からず時間がかかる。

※結局店員さんを呼びつけ、全部やってもらうのが気になる。

 

・店員さんにタメ口で話すもしくは高圧的態度を取る。

※私はどんなに自分より若かろうが、他人に対しては丁寧に話すので気になる。

 

・飲食店で自分がこぼしたにも関わらず店員さんに謝らない。

※対応してくれている店員さんにお礼を言う事も無く、連れとそのまま話続けられる神経が気になる。

 

・同じく飲食店で「何々をご注文のお客様」と言っているのにも関わらず答えない。

※答えないくせに違う場所に置かれると文句を言う神経が気になる。

 

・袋詰めをする作業台で真ん中を占領する。

※右と左で2人が作業出来るのに、その占領のおかげで場所が無くなるのが気になる。

 

・不要レシート入れがあるのにそこに入れずそのまま放置する。

※目の前にあるのに、そこに捨てないのが気になる。

 

 

【公園編】

 

・家族で遊具を延々と占領し、他の家族を気にしない。

※個人の所有物ではないので、少しは気を使ってもいいのではと気になる。

 

・ベンチに食べ物や飲み物を置き、そこを確保したまま遊びに出る。

※上記同様、気になる。

 

・草むらもしくは隅の方にゴミを捨てて帰る。

※ゴミを車で持ち帰るのは嫌かもしれないけど、そこに捨てるんだと気になる。

 

・親同士でずっと話していたり、ずっとスマホを見ていたりして子どもを放置する。

※そういう親の子に限って順番を守らないし、遊具を譲らないから気になる。

 

 

【会話・言葉編】

 

・本来、重複(ちょうふく)だったはずなのに、じゅうふくが市民権を得てしまい、正しく言っているのに間違っているように思われる。

※これが正しい読みなのに、周りに指摘されるので気になる。

 

・一所懸命が、近年一生懸命に変わってきている。

※一生懸命の語源の一所懸命を使用する際に、上記同様間違っている雰囲気になるので気になる。

 

・続柄(つづきがら)が正しいのに、ぞくがらと言う人が多い。

※一般の方ならまだしも、役所で係の方に「ぞくがら」って言われた時にはさすがに残念な気になる。

 

・目上の人に「なるほど」「ご苦労様」「了解です」と言う。

※最近、この言葉を正しい敬語と思って使う方が多いのが気になる。

 

・マスクが常にずれてきて、しょっちゅう上げる行為をしながら話す人。

※だったら普通の不織布のマスクを使えばいいのにと気になる。

 

・「ら抜き」言葉での話し方や文章を書く人。

※「✖見れなかった」「〇見られなかった」等がやたら散見されるのが気になる。

 

・手書きの看板の送り仮名や表記が違う。

※「終りました」「帰える」「月決め駐車場」等が気になる。

 

 

 思いつくままに書いてみましたが、まあまあ出てきました。

こうして見ると公共の場でのモラルに関する事が多いですね。

 

 私は父親から「人様に迷惑をかけるんじゃねぇ!」と幼い頃から厳しく教育されてきました。

長男で期待も大きかった事も関係しているのでしょうし、現に7才年下の弟は全く厳しい事を言われず育ちました。

 

 それでも弟は他人に迷惑をかけておりませんし、むしろ「他人は他人だし、気にならない」と言っております。

 

 私は、幼い頃から父親に言われ続けたために、いつしか周りの行動や顔色を必要以上に気にするようになったのだと思います。

だから今回気になった行動は、私自身取りませんし、周りに強要もしません。

 

 ただ書いていて思ったのですが、マイペースにやっている人たちへの羨ましさもあるから、逆に気になるのかなとも考えられます。

 

 私は公共の場で、「道徳を守ろう!守ろう!」とばかり考えているから、そういった行動や言動が気になるような気がします。

 

「本当は自分も自由にしたい!」

「でも、社会生活を営む上で誰かがきちんと模範にならなければ、世の中が乱れてしまう」と、勝手な使命感に駆られているんでしょうね。

 

 見てくださった方も疲れたのではないでしょうか。

 

 考えすぎもダメですし、考えなさすぎもダメですし、何事もバランスですね。

 

 まだまだ思いつくことも沢山あるのですが、かなり長い文章になってしまいましたので、また次の機会にお話出来ればと思います。

 

 

 個人的な検証記事を最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

実は誰も悪くないのに

 

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 先週の日曜日、人生で初めての経験をしました。

 

 それは「肉離れ」です。

 

 その日は珍しく、我が家の息子が同世代の男の子に興味を持ち、公園で一緒に遊んでおりました。

 

 普段どちらかといえば、大人に興味があり、知らない人でも大人だと全く人見知りをしません。

そんな息子が初めて同世代の子に興味を持ったわけです。

その子は息子より1年ほど先輩の3才の男の子です。

 

 その3才の男の子に必死でついていき、一緒に遊ぼうとする2才の息子。

その公園にはやわらかい素材で出来ている山があり、なかなかの結構な急坂です。

 

 その山にロープがあり、ロープを使いながら登ったり、同じ山の違う場所にはロッククライミングのようなプラスチック素材の石が固定されて、それをつたって登ることも出来ます。

 

 何度かその公園に足を運ぶうちに、いつしか息子もロープを使わず、ひとりで登ることが出来るようになりました(つい2ヶ月前くらいは登ることすら出来なかったのに、成長が早いですね)。

 

 ただ、その日は3才の男の子のペースで、いつもの息子のペースではない、あきらかにハイペースな動きで登り始めました(そのおにいちゃんに必死でついていこうとしていたんですね)。

 

 私が登り始めた一瞬だけ何かに気を取られ、気づいた時には山の中腹くらいまですでに登っており、「これは危ない!落ちるかも!!」と、私は息子を目掛けて急に走り出し、山を駆け上がりました。

 

 ただ、幸い息子は何とか登り切ったのですが、問題は私です。

 

 登っている最中に、ふくらはぎにテニスボール位の鉄球が当たったような、かなり強い衝撃を受けました。

「え?何か当たったかな???」と思いましたが、時すでに遅し。

 

 その坂を登ったあと、私は足を引きずらないと歩けなくなっていました。

「肉離れ?、こむらがえり?、こむらがえりだといいけど」と心の中で思っていましたが、いくら時間が経っても痛みは増すばかりです。

 

 その日は日曜日だったので、家にあったテーピングを患部に巻き、翌日の朝に会社の上長に連絡をし、そのまま病院へ行きました。

結果は残念ながら「肉離れ」で、全治2週間と診断されました。

 

 診察が終わってすぐに再び上長に連絡をし、その週はすべて「在宅勤務」にしていただきました。

そこまでは良かったのですが、問題はここからです。

 

 息子としては、私が家にいるイコール「ぼくと遊んでくれる」なのですが、肉離れの私は一緒に遊べるはずもなく、しょっちゅう私に寄ってきて「遊ぼう!」と言わんばかりに手を引っ張る息子に対し、ただただ微笑み返すことしか出来ません。

 

 始めの方の息子は、「あれ?おかしいなぁ」という雰囲気でしたが、それが2日目3日目ともなると、息子のフラストレーションは徐々にマックス状態になり、片言でしか話せない息子が「なにー。なぁーにー」と絶叫するようになります。

 

 言葉をまだ完全に理解出来ない息子に「ごめんね。パパは足が痛いから遊べないんだ」と何度も言いますが、息子は不満そうです。

 

 その不満からなのか、最近は早めに就寝して良い子だった息子が、22時になっても寝ない日々が続きました。

 

 そしてそれが、徐々に妻にも負担をかけていきます。

 

 普段であれば、家にいる時は掃除や洗濯も私がすべてやるのですが、足が痛くてあまり動けないため、足の動きが少ない料理と洗い物をする位しか出来ません(子育てに休みはありませんし、平日私の仕事中は朝から晩まで妻に家のことをやってもらっているわけですし、私はそれが当たり前だと思っています)。

 

 朝起きてから元気いっぱいの息子。

朝から晩まで一緒に遊べ遊べとせがまれる、私たち夫婦。

 

 私がいると息子は昼寝をしない(これも我が家の七不思議です)ので、普通に動ける妻が家事をこなしながら息子の相手を朝から晩まですることになります。

 

 妻も在宅で仕事をしている私に気を使い、近所の公園に息子を連れて出かけようとしてくれますが、息子が「パパー。パパー」と言って私を一緒に連れ出そうとします。

そして挙句の果ては「イヤー。イヤー」と言って外に出ようとしません。

 

 息子としては「何で家にいるのにぼくと遊びに行ってくれないの?」なんでしょうけどね。

 

 息子が誘ってくれるのはうれしい限りですが、在宅勤務なのでデスクワークの仕事もありますし、いかんせん足が・・・。

 

 結局、私は息子が寝付いた時間から夜中まで仕事をこなし、何とか毎日会社の提出物を作成しました。

 

 そんな生活が一週間毎日続けば夫婦共々疲労感」しか残りません。

 

 ほんの些細な出来事(今回は肉離れ)から、家族全体の生活リズムが大幅に変わってしまった一週間でした。

 

 子ども(息子)は成長しようと日々何にでも興味を持ち、どんどん吸収していきます。

 

 だからいつも元気一杯で、「いぇーい、いぇーい」と歓喜の雄叫びをあげていたかと思えば、何か思い通りにいかず急に怒ったり泣いたりします(これはイヤイヤ期も関係していると思いますが)。

 

 言葉が完全に通じれば、怒ったり泣いたりしている息子に上手く説いて上げられると思うのですが、まだ言葉が完全ではないので、怒ったり泣いたりしても私は息子を怒らず、バカな事をしてその場の空気を変えたり、ただただ「ごめん。ごめん」と言いながら抱きしめてあげます。

 

 子育ては本当に親になるための修行ですね。

私が子どもの時も親はこんな苦労してきたんだなって50才を超えて初めて知りました。

 

 そんな毎日が大変な子育ては夫婦の協力なくして成立しません。

 

 ただ、色々な事情でワンオペ育児を行っている方のご苦労は計り知れないかと思います。

だから無理をせず、多少怠けるのは全く問題ないと思いますし、心にゆとりを残しておかなければ、何をしても自身がどんどん押し潰されていくだけかと思います。

 

 だから頼れる身近な方がいるのであれば、どんどん頼っていいと思います。

 

 そして気持ちをリセットし、また子育てに奮闘する。

そうでもしないと正常な心の状態を保てないのではないかなと、子育てをしていて強く実感しました。

 

 子育ては「頑張ろう!頑張ろう!」や、「ちゃんとしよう!ちゃんとしよう!」と思う人ほど、追い込まれるような気がします。

 

 頑張るだけ頑張って、それが思った結果にならないと考える人ほど、その後精神崩壊に追い込まれるくらい、新手のテロリスト的な面もあります。

 

 子育てって、安楽(喜び)と苦労(悲しみ)が常に表裏一体になったものだと個人的には思っています。

 

 「親は無くとも子は育つ」って言葉もあります。

親自身も緩急をつけていかないと、なかなかうまくいきませんね。

 

 今回、私のちょっとした不注意(まぁ老化が一番かと)から、我が家の雰囲気が暗くなり、その空気が子どもをグズらせてしまい、それが原因で息子がいつまでたっても寝ないという結果になり、家族が各々疲れてしまうという流れになってしまいました。

 

 家族みんな本当は誰も悪くないのに

 

 何だかんだ色々あっても、子どもの最高の笑顔と日々成長していく感動が勝るから、本当に大変でもどうにか成り立っているんでしょうね。

 

 皆様もくれぐれもご自愛下さい!

 

 「体が資本」を身を持って体験した52才でした。

 

 最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

子どもには簡単でも大人には難しいこと

 なぞなぞのような始まりですいません。

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 最近息子と出かける度に、息子を含む子どもたち全般の行動を見ていて、感じた事や思い出した事があります。

 

 それは何かと言いますと、子どもの頃はいとも簡単だったはずの事が、大人になるとなぜか出来ないんです。

 

 今回、私が思ったそんな3つをご紹介したいと思います。

ただ、あくまで私の個人的見解なのであしからず。

 

 

 ひとつめ

 

 ・簡単に友人を作ることが出来る

 

 子どもは忖度なしに友人を作りますが、大人になると友人ってなかなか出来ませんよね。

 

 なぜなのか私なりに理由を考えてみたのですが、大人になると相手の立場やバックグラウンドばかりを気にして、相手が自分より上の立場であれば萎縮してしまい友人になる勇気が出ず、相手が自分より下の立場であればどこかに見下す気持ちが出てしまうため、友人になろうとしません。

 

 だから社会に出てからは、せいぜい同僚や取引先の人と飲みに行ったり、たまにゴルフに行ったりする程度の付き合いしかないのです。

 

 子どもの場合は相手の立場や付き合う価値等で一切判断せず、ただただ意気投合出来るかどうかだけなので、すぐに仲良くなれます。

 

 大人の場合は目的を定め、行くところを事前に決めてから約束しますが、子どもの場合は約束が先行し、「今日は何して遊ぶ」とそこで初めて目的を決めます。

 

 実際皆さんもそうではないですか?

 

 社会に出てからも学生時代の友人とは連絡を取り合っても、社会に出てからの本当の友人が出来たという人はあまり多くないと思います。

ただ、「そんな事ないよ。社会人になってからも友人は沢山出来たよ!」という方がいれば、あなたは素直な心の持ち主で、人として素晴らしい方なのだと私は純粋に尊敬します。

 

 しかし、これも男女間ではかなり差が出るかと思います。

 

 私の感覚からすれば、女性は年を重ねても新たなコミュニティに積極的に参加し、友人をどんどん作るイメージですが、男性の場合は私が上記で述べたような事に少しは心当たりがある人が多いのではないのでしょうか?

 

 私は、これまでの自身の行いの問題ですが、社会に出てから転職転職を繰り返した為、他の方よりもより多くの人に出会ってきたはずなのに、ひとつの箇所に留まる期間が短い事もあり、社会に出てからの友人は現在働いている会社に誘ってくれた同僚以外に誰一人出来ておりません。

 

 その時は意気投合しても、疎遠になる人もれば、そんなに意気投合しなくても、何となくの腐れ縁という人もいます。

 

 それはそれで色々あるから人生って面白いんでしょうね。

 

 友人を無理やり作らないといけないとは正直思いませんが、完全な仕事人間だった父が寂しそうに老後の生活を送っているのを見ると、趣味嗜好の合う気の置けない仲間のひとりやふたりは、老後の生きがいの為にも必要なのかなとも思います。

 

 二つ目

 

失敗を恐れない

 

 子どもの頃は、何をやるにも興味が勝って、全く失敗を恐れませんが、大人になると体裁や見栄えばかりを気にしてしまい、なかなかチャレンジが出来ませんよね。

何かを始めるにも、そこを気にするあまりなかなか一歩を踏み出せず、知識や道具を取り入れることばかりを先行し、結果は挫折して諦めてしまうなんて事も多いです。

 

 これはどうでしょうか?

 

 私はつい最近までこの考えでした。

 

 ただ、子どもの成長とともに「こんなんじゃいけない!」という気持ちが湧いてきて、前からやってみたかった個人ブログの開設を試みました。

 

 下手な文章ですし、華麗な経歴の持ち主でもないので、何か皆様のお役に立てる情報を随時発信出来るわけではありませんが、自分の人生に後悔はしておりませんし(そりゃ多少はありますが)、成るべくしてなった結果が今の私ですから、それを受け入れるしかありません。

 

 そこで私は「はてなブログ」さんの軒下をお借りし、まずは100日間連続投稿という目標から入り、とにかく100日間連続で投稿するという千本ノック的なノルマを自身に課しました。

 

 そうでもしないと基本怠け者の私は続かないと思っていたからです。

 

 ただ、内容の出来は褒められたものでもないですが、達成した時にはやはりうれしかったですし、何より自分自身に少し自信が持てるようになりました。

 

 どちらかというと、いつもネガティブな考えが先行してしまう私でしたが、ブログでを書き綴る事で徐々にポジティブ思考に変われたのも、よい成果だったと思っております。

 

 しかし、100日間連続投稿でネタも枯渇し、しばらく休んでおりました。

 

 ブログを休んでいる間にネタを仕入れていたわけではないですが、ふとブログをまた書きたいなぁと思った矢先、「はてなブログ10周年記念」という文字を目にしました。

 

 たまたまなのですが、私が現在手帳に日記をつけている時、筆記具に万年筆を使用しているのですが、そこには「抽選で万年筆をプレゼント」と出ているではありませんか!

 

 「はてなブルー」ってどんな色?と非常に気になり、当たる当たらないは別にして、またブログを始めなさいというサインかと思い、再び始める事にしました。

 

 元々始めたきっかけは、息子と50才違う私が、人生をどんな風に生きてきたかを、私の記憶が明確な内に書き残すというのが一番の目的でしたが、せっかくならば自己発信もしていきたいと思い、その他に私が気になった事を、私なりの見解を述べたブログにしていきたいと考えております。

 

 ただ、今後は連続投稿では無く、自分のペースで投稿していきたいなと考えています。

 

 話が脱線しましたので戻します!

 

 最後三つめ

 

想像力が非常に豊か

 

 大人になると杓子定規的な考えが先行し、「これはこれで当たり前」や「これはこうでなくてはならない」を頭(得た知識や経験則)のみで考えてしまうため、俗に言う「頭が固い」と言われるのではないかと思います。

 

 それが子どもはどうでしょう。

子どもは下手すれば「ぼくはヒーローになれる!」、「わたしはプリンセスになりたい!」、「ぼくは空が飛べるようになる!」、「わたしはお菓子の家に住みたい!」など、突拍子もない夢と想像がどんどん湧いてきます。

 

 自分が目にし、耳にした情報から想像は無限に広がり、無の状態から何か新しい遊びを考え、常に楽しむという気持ちを忘れません。

だから想像力が豊かな気がします。

 

 そして大人はどうでしょう。

 

 大人になると、「日々の生活に追われるし、仕事が忙しいからそんなの無理無理!」と思っていませんか?

 

 私もその考えでした。

 

 再びですが、息子が教えてもいないのに、いつの間にかしっかりと歩けるようになり、今では自由に活動する息子を見ていた時、何となくですが「自分もこのままではいけないし、もっともっと進化出来る気がする」という気持ちが出てきました。

 

 現に世の中の成功者や発明家と呼ばれる方たちは、この子ども時代の純粋な想像力を忘れず、好きなことに夢中になれる人が多い気がします。

 

 私自身も幼い頃は空を見上げて、「この空をぼくはどんどん突き抜けていける気がする」と思っており、想像は宇宙の彼方まで伸びていました。

 

 それが今はどうでしょう。

 

 突き抜けるどころか、「あー空か。晴れているな。曇っているな」程度にしか感じていない今の自分に気づきました。

 

 それが2才の息子と遊んでいる内に、「生まれてきた世の中はこんなに沢山の色であふれているよ」とか、「自然の景色は雄大で素晴らしいよ」とかきちんと伝えたいなと思い始めた時に、改めて普段当たり前に見ていた景色に対し、「そういえば自分が子どもの頃は空を見てそう思っていたな」という記憶が蘇ってきました。

 

 「人間は考える葦である」って名言がありますが、社会に出てからはルーチンワークも多いですし、いつしか自然と思考停止してしまっている気がします。

 

 子どもの成長は本当に凄まじいものがあります。

 

 大人だからっていうだけで、子どもに全てが勝っているわけではないんですよね。

 

 色々な気持ちを蘇らせてくれる息子に感謝すると同時に、こんなかわいい子を産んでくれた妻にも改めて感謝したいと思います!

 

 最後までお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

激しい波から穏やかな波に変わった10年

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はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

 私にとってこの10年間は本当に様々な変化がありました。

どちらかというと波乱万丈な人生を歩んできた私ですが、特にこの10年間は変化の波が慌ただしく常に訪れ、その変化についていくのが精一杯で、ただただひたすら駆け抜けてきた10年間でした。

 

 それでは早速ですが、この10年で変わった点からお話させていただきます。

 

 まず仕事面ですが、10年前はある有名ホテルチェーンの運営を業務委託で行い生計を立てておりました。

 

 2011年は東日本大震災の被災地にて運営していた事もあり、その委託されたホテルは、高層階や駐車場の壁面にヒビが入ってしまい、営業が出来る状態では無かったため、震災の日から休業を余儀なくされました。

それを機に業務委託契約を終え、個人事業主からサラリーマンに再び戻らなければならない年でした。

 

 仕事自体は個人的に気に入っておりましたが、パートナーである前妻が震災の影響で気分がかなり滅入いってしまい、「この仕事辞めたい」とは一度も言わなかった人が、初めて辞めたいと言ってきたため、妻に無理強いさせる理由も見当たらなかったので辞めることとしました。

 

 ただ、その時私はすでに40才を超えており、妻の生まれ故郷である福岡に戻り、仕事をあれこれ探すものの、40才を越えながらにして、サービス業しか主に経験していない私はなかなか仕事が決まらず、書類選考の段階で落とされまくり、面接の機会すらいただけず、当時はかなり落ち込んだ日々を送っておりました。

 

 そういった事も原因のひとつとなり、些細な事で妻と喧嘩をする機会が多くなりました。

 

 妻は派遣会社に登録し、すぐに派遣で仕事を始めましたが、私は当時プライドがまだあったのか、派遣に行くと正社員への道が完全に閉ざされると思い、頑なに派遣会社の登録することすら頑なに拒んでいました。

 

 結果、その年の年末に離婚に至るのですが、、。

 

 話を戻します。

 

 そんなこんなで前職を辞めてから半年ちょっと経った時に、ようやくとある食品製造会社の契約社員の営業職で仕事が決まりました。

ただ、あくまで契約期間があり、その会社で地元食材のPR活動のために、県の助成金が出る期間が最長で2年ほどあったのですが、県は女性の販売職を対象に助成金を支給しますよと会社に求めていたようです。

 

 しかし、面接で私を気に入ってくださった社長は、県の担当者の方に直談判し、「営業職でもPR活動には変わりないし、販路が広がれば地元食材を知ってもらえる機会も増えていくし、とにかくすごくいい方だから何とかうちのPR活動で採りたいんです」と話を通してくださり、結果私を雇ってくれました。

 

 うれしかった私は積極的に飛び込み営業を行い、なかなか小さな会社を相手にしてくれそうもない大手の会社にも積極的にアポイントを取り、最終的に多くの人が行き交う福岡空港での販売に成功しました。

 

 これは私の力ではなく、「私を必要としてくれた社長のために何とかしたい!」という気持ちが強く働き、その強い思いが成し遂げた結果なんだと思います。

 

 今その会社は株式会社化していますが、当時は個人商店であったため、空港側も過去に個人商店とは契約した前例が無く、契約書のフォーマットを新たに作りますと慌てており、私はそれを見て大きな事を成し遂げたんだなと感じました。

もちろん、その時の社長は非常に喜んでくださり、「少しは恩返しが出来たかな?」と思えた瞬間でした。

 

 そして社長は直接雇用についても考えてくれましたが、福岡でも郡部にある小さな会社であったため、「〇〇さん。この職場では助成金なしに満足できる給料は出すのが難しいんだよね」と、社長は私に正直におっしゃってくださり、そのあと続けて「〇〇さんならこんな会社にいるよりも、もっと大きな舞台で活躍できると思うから頑張って欲しいなっ!」と笑顔で言ってくれました。

 

 お世辞だったかもしれませんが、本当にうれしかったですし、その言葉で私は勇気づけられ、次に進んで行けたのも事実です。

 

 当時とても苦しかった私に温かい言葉をかけてくださった社長に、今でも感謝の気持ちは忘れておりません。

辞めてから8年ほど経ちますが、今でもその社長とは連絡を取っております。

 

 その後の私は非常に残念な飲食店へ就職し、すぐに退職。

 

 そして派遣社員でコールセンターへ勤めながら正社員での職を探し、その後ようやく正社員としてホテルの支配人となります。

 

 今の妻との結婚を機にキャリアアップを図るため、全国ホテルチェーンのマネージャー職に転職、そこでもつまづいてしまったため、さらにさらにそれから大学の寮長の仕事に転職、そこでも現在の妻との離婚危機が訪れたため、また転職。

 

 そしてようやく現職(宿泊業)となります。

 

 結局、この10年間に7回転職しているんですね、、、。

 

 転職遍歴は私のブログに詳細を綴っているため、割愛させていただきます。

 

 そしてそして、この10年間で離婚と結婚もありました。

 

 最大の変わったというか大きな出来事は、自身の4度目の結婚にして私が初めて子を持つ親になったことです。

 

 50才を迎える年に誕生した息子も現在2才5ヶ月となり、私も今月で52才となりました。

 

 息子は私が世間でいう「じいじ」の年令であることなど知る由もないわけですから、子どもと全力で遊んでいる私の肉体は、休みのたびに酷使されて常に悲鳴を上げております(うれしい痛みですけどね)。

先日も2ヶ所の公園で、すべり台を永遠に一緒に滑らされました、、、。

 

 私のブログで何度もお伝えしておりますが、自身の疲れよりも息子の可愛さがまだまだ完全に上回っておりますし、今後も老体に鞭を打ちながら息子が私を遊び相手に選ぶ間は精一杯遊んでみようと考えています。

 

 最後に変わらなかった点です。

この10年で変わらなかったことは今までの人生と同様、転職、離婚結婚、引越しの多さです。

 

 転職回数7回、離婚1回結婚1回、引越し回数12回(1年に1回以上ですね、、、恐ろしい)。

 

 ただ、今の妻と結婚してから私に良い変わらぬ変化が出てきました。

 

 現在妻と知り合って7年、結婚して5年ですが、小さな揉め事はあっても仲良く暮らしています。

そして今は私と妻の二人ではなく、息子を入れて三人の家族です。

 

 もちろん夫婦二人でも家族なんですが、今までの結婚を振り返ると、付き合いの延長線上での感覚の結婚だったということもあり、お互いがお互いに責任の重みをあまり感じていなかったんだと思います。

 

 今の私は年ばかり取って、周りから見ればいい年のおじさんでしょうが、真の大人になる難しさをこの年になってもまだまだ追い求めている日々です。

 

 いつも頭の中はくだらないことで一杯ですし、自身で「お前は小学生か!」と思わず突っ込みを入れる事も多く、時折妻にも冗談で怒られます。

 

 会社でもかなり上の年齢ですから、部下には「いい大人なんだから」と諭すこともしばしばあるのに、残念ながら自身では大人だなぁという実感が無いんですよね。

 

 要は私はまだまだ「仮面大人」なんですよね。

 

 世の中にはこれだけ生きていてもまだまだ知らない事が沢山あります。

大人だから世の中の全てを網羅していないといけないとまでは言いませんが、生きていれば自分の無知さを痛感する場面も多々出てきます。

 

 だからせめて興味を持った事だけでも勉強したいと思い、休み時間などに書店に行き、興味ある本を手に取ってみては購入しています。

 

 本当に変わらなかったことは「この10年間、相変わらず大人になったふりの自分」ですね。

 

 そもそも「大人の定義って何?」と思うのですが、私自身がサラリーマンでありながらどうしても納得いかない事に対して上に噛みついてしまう性分です。

周りに心配されることもあるので、その時は「大人げなかったかな?」と反省したりもします。

 

 そこを黙ってやり過ごすのが大人としての正解かどうかは分かりませんが、黙ってやり過ごす人が社内でも多いので、それが本来の正解なのでしょうと自分に言い聞かせます。

 

 特に息子が生まれてから、大人ということを改めて意識するようになったのではないでしょうか。

 

 息子からすればパパは何でも出来るみたいな雰囲気で色々せがまれます。

そこで出来ることは張り切って息子に見てもらう自分がいます。

 

 でも実際は全くの逆なのではないのかなと最近思うようになりました。

 

 それは何かと言いますと、息子は何か行動を起こす度に私を見て確かめます。

そして私や妻のやる事なす事を全て見ています。

その視線が私自身を親(大人)に成長させているような気がします。

 

 子どもの視点はいつも純粋です。

純粋な目は、長く生きてきた私の目よりも何十倍も輝いています。

そんな視線の前だと私はウソや偽り、不道徳な部分を出すことを躊躇してしまいます。

 

 だから「子は親の背中を見て育つ」って言うんでしょうね。

 

 そして、その息子の純粋な視点から、自身が社会生活における原点(ずるをしない、決まりを守る、きちんと譲り合いの精神を持つ等)を学ばせてもらっているんですよね。

 

 最近、虐待等のニュースがありますが、本当にいたたまれない気持ちになります。

 

 虐待する人は子どもの素直な視線に、自分の薄っぺらさが見透かされているようで逆上し、暴力を振るうのだと個人的に思っています。

 

 それこそ大人のフリをした未成熟な人なんですよね。

 

 子育ては本当に大変です。

実際きれいごとでは済まされない状況になることもありますし、自分の時間をかなり取られます。

 

 だから未成熟のままだと大人(親)になっていくのを拒絶するんでしょうね。

 

 昨年から長きに渡りコロナ禍が続き、私がいる業種もどうにかこうにか生き延びている状況で先行きは不安ですが、苦しいのはみなさん同じかと思います。

 

 現在は落ち着いた様子を見せているものの、油断は禁物です。

 

 そんな予測不能な時代の流れの中、息子の成長と共に新たな10年に向かい、私自身も常に成長していきたいと思う今日この頃です。

 

 今回割愛した転職の話や、離婚結婚の話、また引越しの話についての詳細は私のブログに綴っておりますので、ご興味があればご覧下さい。

 

 最後まで長い文章をご覧いただきありがとうございました!

tyusen-yo.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

100日連続101本の投稿を振り返って

 私がブログを始めたのが今年の2月2日でした。

 

 そして本日、2021年5月12日で連続投稿100日という日を迎えることが出来ました。

 

 お題をひとつ投稿した分があるため、全体では101本の投稿です。

 

 始めたきっかけは、自身の過去を文章で起こしてみることで、何が原因で波乱に満ち溢れた人生になってしまったのかを検証するためでした。

 

 始めた時は、毎日毎日更新していくつもりは無かったのですが、始めてみると筋トレではなく文トレになるのではないかと思い、とにかく毎日毎日ブログを投稿していくぞという気持ちに変わっていきました。

 

 実際ブログを始めてみてからというもの、会社の報告書関係の書類を終わらせるスピードが以前に比べて格段に上がりました。

 

 「継続は力なり」ってやつですね。

 

 そこで、自身で設定したのが100日連続投稿という目標でした。

 

 私の場合は自身の人生の歩みをひたすら書くのが目的だったため、ネタのようなものは存在せず、毎日パソコンやスマホで思いついたままに書き進めるスタイルを取っております。

 

 さすがに毎日となると、その日の書くネタが全く浮かんでこないという日も出てきましたが、どうにか100日連続を達成することが出来ました。

 

 こんな個人的な話を、見てくださる方がいらっしゃるのにはかなり驚きましたが、毎日書く上で本当に励みとなりました。

 

 この場を借りて改めてお礼を申し上げます。

 

「こんな拙い文章で、個人的内容のブログにご興味をお持ちいただきありがとうございます!」

 

 本当は他の方のブログも覗いて見たいという気持ちもありましたが、はてなブログの表紙に出てくる方たちのブログを見る限り、みなさんかなり完成度が高そうで、しっかり作られている感じでしたので、私のようなひと昔前の文章のみのブログで、さらに内容は個人的な話となると、私自身が完全に続ける自信を失ってしまいそうだったため、見たいなと思ってもあえて見ないようにしてきました。

 

 多分途中で見ていたら、自身のブログが恥ずかしすぎて止めていた可能性が高いと思われます。

 

 ただ今回、私自身の目標は達成出来ましたし、今後は他の方のブログも見ることも解禁したいと思います。

 

 毎日続けていると、それはそれで当たり前の日課となるので、思ったより苦痛ではありませんでした。

 

 まぁ、皆様のためになる情報を発信しているわけではありませんし、あくまで個人的な話ですからね。

 

 ただ、過去を振り返ったことで自分自身がかなり人として未熟だった点や、離婚と転職を繰り返してしまった原因が少し分かった気がします。

 

 今までの結婚生活は、付き合いの延長線上にあったに過ぎず、ちょっとした事が原因で別れてしまった気がします。

 

 責任感も無いし、我慢が足りないんですね、、、。

 

 就職に関しても、初めて入社した会社がとても良い環境の会社でしたが、祖母の入院で致し方なく退職して、そのあとなかなか良い環境の会社に巡り合えなかったのが、転職を繰り返した原因でした。

 

 日本に無数の会社があるにも関わらず、人間関係が良好な会社って本当に少ないと思います。

少なからずとも必ず嫌な方っておりますし、まるで自分が全てを仕切っていると勘違いしてる方もいます。

 

 そういう方ってしぶといし図太いですから、いつまでも自分の行動や言動に気づかず、上司に対してだけは細心の注意を払う事を怠らないため、その会社に居続けられるんですよね、、。

 

 今の私は初めて家族も出来ましたし、同僚の助けもあり良い職場にも巡り合えました。

 

 何があっても私を信じていてくれている妻と、私の事を大好きでいてくれる幼い息子に改めて心から感謝です。

 

 何事も投げやりになればそれなりの結果しか得られませんが、自身が真剣にきちんと向き合っていく姿勢があれば、自ずと道は開けていくんだなと、このブログを書き続けて痛感しました。

 

 実際、今まで続かなかった結婚生活も仕事もちゃんと続いています。

続けることが苦手だった私が、ブログをきちんと続けられたのも、今の生活が私の心と深く関わっているんだと思います。

 

 人は悩んで悩んで、また悩んで、そして少しずつ成長していくんですね。

 

 悩みを希望の光に変えるも、悩みを暗黒の苦しみに変えるも、自身の心持ち次第ということをこのブログを続けていて感じました。

 

 ちょっと気づくのが遅かった私でしたが、私より若い方であれば、もっと早い段階で人生を充実させることが出来ると思います(もちろん若くしてしっかりとされている方も数多くいらっしゃるかと思いますが)。

 

 コロナ禍が続き、なかなか通常の世の中には戻りそうにはありませんが、同じ生きていくなら楽しく幸せに暮らしたいと、今の私は思えるようになりました。

 

 悲観的な考えが常に先立っていた今までの私でしたが、ブログを書き続けたことで少しずつ心の変化が訪れ、文章も自然と前向きになっていることにも気づきました。

 

 そして意外と文章を書くのが好きなことも。

 

 「下手の横好き」ってやつですかね。

 

 ブログの連続投稿は一旦止めますが、今まで次のことを考える余裕なく走り続けたため、またこの形で投稿するか、新たな形で投稿するかをゆっくり考えてみようと思っております。

 

  本日までお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8才レベルも役に立つ!

 最近息子が妻よりやたら私に近寄ってきて、常に私の後をつけてきます。

家族3人で出かけても、息子は妻ではなく私に付いてきます。

 

 普通男の子ってママっ子じゃないの?と素朴な疑問も湧いてきますが、私の推測では以下のように考えられます。

 

 ・妻はあくまで母(大地や土台のような存在)であり、自分と本気の遊び相手にはなってくれない

 

 ・妻はどちらかというとマイペースなので、マイペースな息子の性格からすればそこに合わせてくれるパパの方に行ったほうが心地良い。

 

 ・妻は普通の女性なのでハイテンションにはなれないが、私は元役者なので息子に合わせていくらでもテンションを上げられる(楽しいので自然と上がるのもありますが)。

 

 ・妻は自分の時間を欲しがるが、私は息子といると息子に時間を費やすので息子も感覚的に私の方に寄って来る。

 

 ・妻は自分の見たい番組を見たがるが、私は息子が好きそうなYouTubeを探して一緒に見てくれる。

 

 ・妻は体重が重い息子の抱っこを拒否するが、私は息子が希望すれば老体に鞭を打ってでも息子を抱っこして上げるので、私といた方がいざという時に息子が楽をできるし、甘えられると思っている。

 

 ・本来であれば私は息子の祖父であってもおかしくない年齢なので、何か妙な安心感が息子の中にある。

 

 といったあくまで推測ですが、上記のことが考えられます。

 

 ただ最近思ったのは、女性よりも男性の方が何かと子供っていう点が、息子に響いている気もします。

 

 私は妻と15才年が離れておりますが、普段の言動を考えると私より妻の方が完全に大人です(笑)。

 

 よく中二病って言われますが、中二病は思春期さながらの性格を持ち合わせているので、相手にする側からすれば厄介な相手です。

 

 男はいつまでたっても子供で、やたら夢やロマンを追いかけるものですが、女性はしっかりと現状を見つめており、男に比べてかなり思考が現実的です。

 

 さらに私は妻に、「今日は何々があって、色々大変だったよ」みたいなことを良く言っておりますが、妻から私にそのような報告は一切なく、すべて生活を送る上での話が多いです。

 

 要は私は妻に「大変だったね」のひと言を求めているってことです、、、。

妻はそういったことを私には求めませんが、「ありがとう」というお礼の言葉は喜んでくれます。

 

 男性は自らアピールするのに対し、女性はさりげなくやっていることを男性が気づいているのかどうかを確かめているため、このような違いが出るのではないかと感じます。

 

 あと男性は、頑張っている自分をやたらアピールしたがる傾向がありますが、女性にはあまり多く見受けられない姿だと思います。

 

 外の世界で頑張るか、家庭をきちんと守っていくかの違いだけで、互いに忙しさは変わらない訳ですが、男性は何か自信に結び付く台詞を妻に言って欲しいんでしょうね、、、。

 

 さて、ここで本題に戻します。

 

 私は常日頃から妻に「俺、8才から自分が全く成長していない気がするんだよね」と言っております。

 

 それはなぜ8才なのかと言いますと、幼い子のように妻にべったりと甘えるわけでもなく、思春期のような複雑な性格ではなく、周囲に特に迷惑はかけないからです。

 

 自分の中に何か純粋な気持ちは持ちつつも、時に言動が子供のような発言をして妻の気を引いており、そういうくだらないことで妻の笑いを取ろうとしています。

 

分かりにくいので一例を挙げると(恥ずかしいのでサラッと読み流して下さい)。

 

 あるドラッグストアの駐車場で車を停めようとした際、同時位のタイミングで横の車が動くため、周りが良く見えない時に言った台詞です。

 

 「あー横の三日月が視界を邪魔して全く見えないよ」と。

 

 何が言いたいかというと、横の車の方が非常に面長であごが伸びているので、それを三日月と表現するわけです、、、。

 

 普通の大人なら、「横の車が邪魔で見えないな」で終わると思います。

 

 いやー、私も51才。

こんな台詞を言う同級生っているのかなと思うのですが、こういった言動は未だに止めれません。

 

 妻に内容によっては本気で怒られることもあるため、言ったあとに妻の反応を伺う自分がいます。

 

 その時は妻に「もぉー。またそんなこと言って」と怒られましたが、妻もその表現はしっくりきたのか、怒りながらも笑っておりました。

 

 話が少し変わりますが、根暗の私が子ども時代に初めて友達が出来たのが8才の時でした。

人をそこまで傷つけない例えを唯一の武器に、友達の気を引こうと考えた技のような気がします。

 

 もちろん人に対して面と向かって言ったことは一度も無いです。

 

 それを大人になった今でも言っているため、私は8才から成長せず今に至っているのではないかと思うのが理由です。

 

 でも、その子どものような気持ちが息子と遊ぶ時に役立ってはおります。

 

 先日も息子と一緒にお風呂に入ったのですが、お風呂から息子の悲鳴のような笑い声が響いていたらしく、私が風呂上りの際に妻に訊かれました。

 

 「もとがあんなに悲鳴を上げて喜んでるのは、私とお風呂に入っている時には聞いたことがないんだけど、何してるの?」と。

 

 私は「水遊びを一緒にしていたんだけど、お湯から水へシャワーを切り替えた瞬間に、もとがびっくりしてキャッキャッ喜ぶから、それが楽しくてお互い水を掛け合って遊んでいたんだよ」と答えました。

 

 妻は「へぇー。やはり男の子だね、私ならお風呂でそんな遊びはしない。だけど〇〇(私の名前です)も楽しそうな声出していたね」と一蹴されました。

 

 ただ遊ぶだけでは息子も喜ばないので、私もレイザーラモンばりに高く大きな声を上げて遊んでいました。

 

 息子と休みの日に公園に行くのですが、あまり人がいなかったり、だだっ広いところが多いため大丈夫なのかもしれませんが、世間のパパを確かに見ていると私のような奇声を上げて遊んでいるパパは見たことがありません。

 

 たまに不意打ちで誰かに見られ「すごく楽しそうですね」と言われることもあり、非常に恥ずかしい思いをしますが、子どもと全力で遊ぶと決めた私ですし、息子も喜んでいますから、今後もこのハイテンションスタイルは変えずにいこうと思います。

 

 お笑い芸人は実際会うと暗いって方が多いですが、私も完全にその部類の人間なんだと思います。

 

 見た目はじいじと孫なのに、遊んでいる姿は小学生と幼児でしょうね、、、。

 

 私は、世間の若くてスラっとしたパパでもないですし、私は私なりのやり方でこれからも遊んで行きたいです。

 

 明るくいつも笑顔でいられるならそれが一番ですしね!

 

 という、なかなか大人になり切れないおやじと息子の話でした。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

ちょっと前までは

 先日、私の父と母の話をさせていただきました。

 

 父は家庭が貧乏だったこともあり、買いたい物も欲しい物もすべて我慢し、弟と妹の学費のために稼いだお金を使っていました。

そういった背景があり、好きな物を好きなだけ自由に買い揃えるという憧れを持っており、それが原動力となり仕事を頑張り、出世して所得が少しでもアップする事を目指していました。

 

 そんな父でしたから、常に最新の物やブランド品を手に入れる事で、満たされなかった時代の穴埋めをしていた気がします。

 

 若い頃、欲しい物が何も買えなかった分、その反動が大人になってから出てきたんでしょうね。

 

 母は全くと言っていいほど物欲が無く、欲しい物はビール代のみでした(笑)。

 

 私は父のおかげもあり、何不自由なく育ちましたが、物欲に関してはどちらかというと父親譲りで、最新の物やブランド品にすぐ飛びつくタイプでした。

 

 私の場合は根暗で特技もない自分を、物を買い揃えることで虚栄心を満たしていただけな気がしますが、、。

 

 過去形になったのも、すべて息子が関係してきます。

 

 私は時計と車が特に大好きで、以前は高級時計と言われる物も数本持っておりましたし、車も超まではいきませんが、そこそこ高級な部類に入る車に乗っていました。

 

 世の中には安くて良い時計や、車もありますし、別に金持ちでもない私がそんな物に手を出すなんて、完全に自信が無い自分の自尊心を満たしていただけだったんでしょうね。

 

 携帯電話もiモードが出れば、すぐに飛びついていましたし、音楽が好きなのでiPodが出ればそれもすぐに飛びついていました。

 

 そこは流行りに乗るというより、便利になるし自慢出来るしという気持ちから購入に至っている気がしますが、時代に乗っているそんな自分が格好良く思っていたんでしょうね、、、。

 

 なので、独身時代はいつもきれいに給料を使い切る生活で、後先なんて全く考えておりませんでした。

 

 今まで結婚を4回している訳ですが、振り返れば結婚回数を重ねる毎に、少しずつ進歩してきたような気がします(もっと早く気づけよと思いますが)、、、。

 

 そんな私が4回目の結婚で初めて子供を授かる訳ですが、色々と気持ちに変化が訪れたのは、子供の存在が最大の要因です。

 

 父はサラリーマン時代は右肩上がりで常に給料が上がっていましたし、私と同じ年の頃は私の約2倍近くの給料をもらっていたと思います。

 

 そんな父でしたから、現役時代は私と弟がいても特に家計に響くこともなく、バリバリお金を使っていたと思います。

 

 私が同じように使っていたら、間違いなく我が家の家計は破滅に向かうと思いますし、更に借金で首が回らなくなっているに違いありません。

 

 息子が生まれる前は、妻とたまには贅沢でもと、高級家具など購入した時期もありますが、ひとりでは生きていく事の出来ない守るべき存在の出現が私の心を大きく変えたのだと思います。

 

 赤ちゃん用品もピンからキリまでありますが、我が家は大抵キリでした(笑)。

 

 あと、リサイクルショップもフル活用でした。

 

 収入に見合う物を揃えるのが基本だと思いますし、無理したところで後々帰って来るのも我が家です。

 

 気づくのがかなり遅かったと思いますが、物を買い揃えても満足するのはその一瞬のみで、結局心は何も満たされません。

 

 我が家の息子と同じ位のお子さんで、ブランド品を身につけた子もよく目にします。

昔の私なら「何を!」と負けん気を出していたに違いないですが、今は全くそんな気がこれっぽっちも起こりません。

 

 何にせよ、やはり我が家の子が一番かわいいと思っていますし、安物を身につけていても、全く安物に見えない贔屓目をきちんと持っているからです!

 

 身の丈に合う生活を過去にきちんと送ってくれば、しなくて良い苦労もあったでしょうが、それはそれで自身の歴史ですし、背伸びして苦労したから気づいたって事もあるかもしれません。

 

 今では私もセール品以外の私服を買うことが無くなりましたが、不満を覚えたこともありません。

 

 「安物買いの銭失い」と言いますが、自身でちゃんと手に取って見て、ちゃんと考えて決めれば失敗することもないと思います。

 

 あと、昔なら目について必要かどうかを良く考えず、とりあえず買っておこうという考えでしたが、最近は少しでも悩んだら買わないというルールも設けました。

 

 さぁまたセール品や特価品でいい品を見つけるぞ!

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!