ある男の幸せ追及と子育て日記

元役者で転職15回、結婚4回、50歳を過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。子育てや所感を中心に人生の幸せを追求していきます!

子育ての正解とは何か

f:id:tyusen-yo:20211213231804j:plain



我が家の息子も2才6ヶ月。

少し前まではよちよち歩きしていたのに、今では油断すると置いていかれるほどのスピードで歩行します。

 

あっという間に成長しますし、最近は自我もかなり出てきました。

そんな中で、「子育てって確かに言うけど、きちんと考えてことはなかったな」と、ふと思いました。

 

「やはり習い事は必要か?」とか、「今教えておかないといけない事はないか?」とか、「よく英才教育って聞くけど、小さい間が大事な時期か?」とあげればキリがなく、色々と心配になってきます。

 

今回は、子育てについて私なりに考えてみたお話をしたいと思います。

 

私たち夫婦はどちらかというと、無理に言葉を教えたり、やろうとしている事を無理に止めたりもせず、基本的には息子がやりたいように自由にやらせています(公道や公共の場を除いて)。

 

私の父は何度もお伝えしているように、かなり厳格な上にべらんめえ口調の江戸っ子で、「てめえ」」や「おめえ」を連発しながら、本当に些細な事でもすぐに怒り出し、その結果私は何をするにも人の顔色を伺って生活する子になりました。

 

そんな父でしたから、実家で生活している間は挨拶する程度しか話さず(もはや会話じゃないですね)、まともに話をするようになったのは、嘘のような話ですが私が成人して以降です。

それも私が最初の結婚した後である、26才以降だと思います。

 

実際幼い頃から成人するまで、私は父親と全く遊んだことはなく、7才年下の弟が生まれるまでは、引っ込み思案で人見知りの私は全く友達らしい友達も出来ず、幼い頃はいつもひとりで遊んでいました。

 

父の教育方針は「てめえのことはてめえでやれ」が基本で、幼稚園に入る頃には百科事典を私に買い与え、それまで私に本を読み聞かせるとかは全くなく「これを見て色々と勉強しろ!」でした。

 

学生時代に勇気を出して「〇〇って漢字を教えて欲しいんですけど」と一度だけ言ったことがあるのですが、父は「そんな漢字もしらねぇのかよ」と言って別の部屋に行き、戻ってくる時に緑色の小さな辞書を手に持ち、それを私に渡す際「これから分からない漢字があったら、これで調べろ!俺に二度ときくんじゃねえ、てめえで調べなかったらいつまで経っても覚えられねえからな」と言い、私にその小さな辞書を渡しました。

 

その辞書は「用字便覧」という物で、漢字は調べられますが意味は載っていません。

あくまで意味は分かっていながら、その漢字がどれだったかなというのをすぐに引けるのがメリットですが、意味が分かっていなければあまり意味のない辞書だったため、意味から分からない場合は先に国語辞典を引かなければならないので、そこで漢字が判明します。

 

ただ、それをもらってからは、世の中には沢山の漢字が存在するんだなと思い、ただ眺める機会も増えたため、常識の範囲内での漢字を覚える上では非常に役に立ったかなと思っております。

 

母は母で非常にマイペースな人で、怒りもしませんが、気が向かない限りは、そこまで私の相手もしないというスタンスの子育てでした。

そこは子供の頃から、親となった今でも変わらず、母から私に連絡が来ることは一切ありません。

 

それでも実家に息子を連れて帰ればかわいがってくれますし、妻にとっても非常に良い距離感かなと思っております(最初の妻から今の4番目の妻まで、そこは変わることなく、私にも妻にも全く干渉してきません)。

 

ちょっと脱線したので、話を戻します。

 

私が幼い頃に一番影響を受けたのは、母方の祖母です。

 

母方の祖母は本当に優しく、いつも私を可愛がってくれましたが、遊び相手という感じではなく、生きていく上での知恵を授けてくれるような人でした。

母方は代々教育者の家系ということもあり、祖母は大正1ケタ生まれでしたが、大学まで卒業し、戦争が始まるまでは幼稚園の教諭をやっておりました。

 

祖母の兄も校長、祖母の父も校長、それでいて剣道の師範代という完全に文武両道の家系です。

 

私が祖母の一番近くに住んでいる孫だったこともあり、母に「若いうちは二人でしっかりと働きなさい」と言い、母には私が赤ちゃんの頃から仕事に行かせ、母の代わりに私の面倒をずっと見てくれました。

私が幼稚園から帰ると、まずは百字帳をおもむろ出してきて「これに平仮名を書いて練習しなさいね」と言い、毎日毎日ひたすら書かされました。

 

素直だった私は何の疑問も抱かず、毎日100字書く事をひたすら続けました。

書き終わると必ずジュースとお菓子を出してくれ「頑張ったね」とニコッと笑います。

 

私は祖母の優しい笑顔とお菓子が目当てで、毎日書き続けます。

すると何が起こるかというと、いつしか字がとても上手く書けるようになっていたのです。

 

学生時代はもちろんのこと、大人になってからも、周りにいつも「小学校の国語の先生みたい!きれい!」と言われます(まぁクセがなく読みやすいということですが)。

 

今でこそ、報告書関連の書類はパソコンを使って作成しますが、昔は手書きの書類が当たり前でした。

26才で初めて就職し、27才で店長になった時、上司にいつも「〇〇の書類は字がきれいだから店長の中で一番読みやすいよ」と褒められました。

 

今考えると、当時祖母はひらがなが細かい点で構成されていて、それをなぞってつなげていくと字が完成するノートを使い、私の字の練習を開始していました。

まずはひらがなの形を正確に覚えるという面で、非常に役に立ったのかもしれません。

そこから徐々に点線の無い、普通のマスのノートに変えていきました。

 

祖母がどこまで考えていたかは分かりませんが、これからは完全に硬筆の時代になっていくだろうし、筆を使って書く練習より、鉛筆を使った練習の方が役に立つと思っていたのかもしれません。

 

ちなみに、祖母は書道の師範免許を持っており、私が東京に上京してからも達筆の手紙を良く送ってくれました。

祖母は11年前に亡くなりましたが、その手紙は今でも実家で大事に保管しています。

 

読み書きは全て祖母に教わりましたし、おつかいなんかも祖母に教わりました。

 

息子はまだ2才児ですから、言葉もまだまだですが、親として子育てを行っていることで、子どもの頃の自分はどうだったかな?と最近良く考えるようになりました。

 

私の父は放置するのに厳しいタイプ。

祖母は優しく諭すように伝え、いつのまにか何かが出来るようにするタイプです。

 

私の中では父のパターンは辛く嫌な思いばかりしていたので、その教育方針はありえませんが、祖母のような優し過ぎるパターンは、息子と同性だけにあまり考えられません。

 

ただ、社会で生きていく上で私は挨拶が一番大事だと思いますし、それがしっかり出来ていればコミュニケーションも自然と取れていくようになるのかなと思います。

父に怒られ過ぎたせいもあり、気軽に「おはよう」「こんにちは」すら、近所の人やクラスメートにも言えない子どもでした(向こうが言ってきたら必ず返しますが)。

 

私は、人に話しかけられたり、話しかけるのが怖いと思う子だったんです。

 

息子は知らない人にも、大して話せもしないのに、積極的に謎の言葉を使ってどんどん話しかけます。

妻も私同様、完全な「人見知り」なので、夫婦でしょっちゅう肝を冷やす場面に遭遇します。

 

ただ、もしかしたら息子の姿は本来の私たちで、私も妻も本当は気軽に色々な人とお話ししたいのが本音だったのかもしれません。

 

私も妻も良い子を演じよう演じようとしてしまったがために、意識し過ぎて逆に暗い闇の方へと向かってしまい、結果「人見知り」になったのではないかと感じます。

 

最近は減った気がしますが、子どもが何かぐずったりしていると「誰誰が見ているでしょ。止めなさい!」と第三者のせいにして制止しようとする親が多かったと思います。

 

最近は最近で、自分の子どもがどんなに他人に迷惑をかけようが、お構いなしのスタイルがトレンドとなっていて、それはそれで嫌な気持ちがします(私の教育方針という家の中なら良いが、公共の場では間違ったやり方や、同じく家の中なら良いが、公共の場での子どもの自主性は違うでしょと思います)。

 

素直に他人に迷惑をかけたのであれば謝るべきですし、社会で生活する以上そこは最低限のマナーかなと私は思います。

 

だから私が息子に望むことは、「挨拶がきちんと出来る」、「素直に謝ることが出来る」、「人の痛みを分かってあげることが出来る」の3つ位しかありません。

 

その3本柱を基に、あとは本人がやりたいことや挑戦したいことがあれば可能な限り応援しますし、勉強がやりたくなければ無理にやらなくてもいいと思っています。

 

親が勝手に盛り上がって「名門私立」だの「インターナショナルスクール」だの言っていても、子どもに無理強いしているのであれば、その子にとって良い結果や結末は迎えることが出来ないと思いますし、そこはあくまで自主性の問題だといえます。

 

最近では東大に入学出来る学生は、親の資金が潤沢な家庭が多いといいますし、貧乏家庭の私が語っていても説得力も無ければ、僻みにしか聞こえないかな?

ただ、子どもがこれを頑張りたいって思った時に「お金の事は心配しないでいいから、納得いくまで頑張りなさい!」って言える環境は、正直うらやましいですけどね。

 

「親の心子知らず」

自身に置き換えてもらうと分かるのですが、一から十まで親と全て意見が一致なんて人いませんし、(稀にいるかと思いますが)いくら「自分がこう!」と思っても子どもに必ずしも伝わるものでもないと思います。

 

どんなに大事に育てても、なぜか凶悪犯になる人もいれば、大して真面目に育てなくても立派な大人になる人だっています。

 

だから私は「子育てに正解なし!」ということを念頭に、これからも今と同じペースで息子を育てていきたいなと考えております。

行き当たりばったりでもいいから、悪い事は悪い(道義的な面で)という事だけを教えられたらいいのかなと。

 

色々悩み、考えるだけ損です。

 

ただ、私の周りで成功した人を見て思うことは、とにかく人に愛されますし、慕われます。

そういう人っていつも笑顔だし、明るく前向きなんですよね。

だから人も寄ってくるし、成功していくのかなと思います。

 

結局社会生活の中では、何をやるにも人と関わりを持たずに生活していくのは無理です。

 

息子に唯一望むとすれば、人生の節目節目でこれから出会うであろう、様々な人とのつながりを大切にして欲しいという願いだけです。

「パパの年令まで約半世紀!明るい未来に向かってね!」

 

最後までご覧いただきありがとうございました!