この1年でかなり成長した息子と、全く成長しなかった私
いよいよ師走に入りました。
昨年に引き続き、大半が緊急事態宣言下の年でした。
私がいる宿泊業界はもろに打撃を受け、どうにかこうにか倒産はしなかったものの、人員整理や経費削減、定期昇給は一切無し等、見通しが明るくなる材料は皆無といった状況が続き、現段階でも予断を許さない状況に変わりありません。
年初に始めたいと思った事も、ブログを除いては金銭的な面で諦めざるを得なく、なかなか新たなチャレンジに向かう事は出来ませんでした。
昨年からボーナスという言葉も消え、頼るは私の通常の月給のみ。
自身で選んで入った業界ですし、それはそれで仕方がないことだとは思いますが、物価もどんどん上がっていますし、さらに保険料も上がりました。
正直、実入りが少なくなるのは辛いです。
良くも悪くもサラリーマンの限界を思い知らされた1年でした。
何か副業をとも考えましたが、遠距離通勤な上に家事や子育てもありますし、営業職なので急な出張もある為、決まった固定時間が取れません。
会社も今年から、外部より来た新社長体制に変わりましたが、給料は上がらないのに以前よりも業務量と会議も増え、会社の存続をかけて必死にもがいている感が現場にも伝わってきます。
また営業職ということもあり、今年はほとんど営業活動が出来ず、「自分は何をしているんだろう??」という自問自答の繰り返しでした。
営業に出向いても、コロナ禍の中なので先方に対して気を使いまくりますし、門前払いを受けることもしばしば。
さらにアポが取れたとしても、人の動きも特にないため、良い案件も全く取れません。
「待てば海路の日和あり」と言いますが、去年から待ちすぎです(笑)。
そしてここへきて、何が起こったのかも分からずに感染者が激減。
もちろんそれは良い事だと思いますが、今までダラダラ続いていただけに、急にアクセル全開も出来ずに、何かしら気持ちが空回り。
そこへまたまた「オミクロン株」のニュースが、、、。
次から次に新たな敵が現れるなんて、まるで映画かゲームの世界のように感じ、ここまでくるとギャグなのかと思ったり、何かの陰謀なのかなと疑ったりします。
それはあくまで冗談ですが、またまた感染状況が再拡大しない事を祈るばかりです。
そしてこの1年は、今の会社に入社して、全く何も貢献していないなと感じた年でした。
ただそれでも会社員ですから、給料をいただけるのはありがたかったですが、何か心の奥底で納得しきれない自分がいたのも事実です。
感染状況に常に振り回され、今年は何も成長しなかった私。
在宅勤務が多かったこともあり、唯一ブログを始めたのだけは良かったかなと感じました。
そんな私と比べ、我が家の息子はこの1年で目まぐるしい成長を遂げております。
体格で言えばこの1年で10㎝以上身長が伸び1m超え。
体重は15kgから1.5kg増で16.5kgになりました。
去年はまだまだ赤ちゃん体型だったはずの息子が、2才6ヶ月にして普通の人の体型に変わっていきました。
赤ちゃん体型は赤ちゃん体型で、キュートなので好きでしたが、これも息子の成長の証と捉えていくしかないですね。
言葉も今年の初めはほとんど話せなかったのに、今では自分の意思を伝えようと必ず言葉を発して(まだまだ理解不能な言葉も多いですが、必死に言葉で伝えようとする姿勢がいじらしいです)私や妻に言ってきます。
もちろんペラペラに話せるわけではないですが、「にんじん」「ジュース」などの名詞や「なーに?」「どーこぉ?」などの疑問詞など、年初では考えられなかった言語を少しずつマスターしてきており、話すのは完璧ではないものの、私や妻が息子に対して言っている言葉はほぼほぼ理解しているので、その言葉に対する自分の思いを喜怒哀楽できちんと表現します。
年初にはストローを使用した密閉容器で飲み物を飲んでいましたが、今は教えてもいないのにコップで直接飲みますし、こぼさないようにしっかり両手でガードしながら飲む姿は最高にかわいいです。
さらに、ドアの鍵や戸棚なども自分で開けますし、どこに何があるかを理解しているので、自分の手が届かないところにお目当ての物があれば、私の手を引っ張ってそこへ連れていき、指を差して「こーこぉ、こーこぉ」と言い、開けたところを見てさらに指を差し「こーれっ」と言って、自分の取って欲しい物を受け取ります。
冷蔵庫や食器棚などもしょっちゅう開けるので、冷蔵庫が冷えなくなりますし、陶器が割れてケガをするのも恐いため、いたずら防止用のロックを付けましたが、今ではどんなタイプのロックでもいつしか開けられるようになります(ちょっとした鍵師ですね)、、、。
確かに息子は、普段から私や妻がやることを注意深く観察していますから、それを見ていて覚えるのでしょうね。
スプーンやフォークなども食べさせてあげる時に見て覚えたのか、今では自分でスプーンやフォークを持って食べますし、1才6ヶ月だった去年と2才6ヶ月の今では信じられないくらい成長しているんだなと改めて感じました。
以前は公園に行っても同年代の子には人見知りをして近寄らなかったのに(どちらかというと年配の方に積極的に寄っていっていました)、最近は公園でもあえて同じくらいの年の子のところに積極的に行き、一緒に遊ぼうとアピールすることも多くなりました。
ただ、いかんせん大人の事情もあります。
息子が近づいていく子の親御さんによっては、あからさまに嫌な顔をされる方もいらっしゃいますし、私の方が今ではヒヤヒヤしたり、ドキドキしたりしています(言い方が悪いですが、最近はハズレの親が多く、あからさまに嫌な顔をされます。そういう人に限って「すいません」と言っても無視しますし、最近は公園に行くのに対して、気持ちが折れているのか、私の胃が痛みます)。
単体の親子ならまだチラッとはこっちを見ますが、先日ママ友グループの子どもたちのところに息子が行った時は、まるで私と息子がそこの空気かのように無視され続けました(息子は素直に遊びたいって気持ちなわけですし、別にあなたたちの公園でもないし、遊具もみんなの物でしょと心の中で思いましたが、グループパワー恐るべし、、、)。
「世の中いい人ばかりではない!」とは52年間生きてきて分かってはおりますが、子どもの前でそういった対応する親を見ると、「こういう人の子って、大人になったら同じ対応をする親になるんだろうなぁ」と思ってしまいます。
子育てに正解は無いとは思いますが、挨拶や礼儀は親の姿勢でその子の将来に大きく左右されるんだろうなと感じます。
前にもお話しましたが、子どもは生きることに一生懸命です。
何でも素直に吸収し、今を楽しむことに精一杯で、ひとつの人格となるために、迷いもなくどんどん新たなコミュニティに参加したがりますし、常に未来へ向かって進みます。
それが大人になると、私のように出来ない理由を見つけては自分を正当化し、成長することを自ら諦めてしまいます。
今回の仕事の件、新たにやろうとしていた事の件、私も何かしら突破口は必ずあったはずなんです。
でも見つけなかったんです。
もっと言えば見つけようともしなかったんです。
幼い息子の成長は、私にとって「カンフル剤」的な役割を果たしてくれています。
自分が遠い昔に忘れてしまった夢や希望。
ひとつひとつの息子の行動を見ていると、何かがうまくいく度に「キャーッ」と手を叩いて思いっきり喜び、自身を讃えます。
それだけ目の前のことに夢中な証拠ですし、ひとつひとつ出来なかったことを出来るようにし、自分自身で鼓舞しているのです。
そしてまた新たな出来ないことにチャレンジします。
私は幼い息子に感謝しかありません。
「いつもパパの膠着する気持ちを動かしてくれてありがとう!」
社会の枠組みの中で生きる大人と、社会の枠組みという形にとらわれないで生きている子ども。
枠組みに組み込まれることは、けっして悪いことばかりでもありませんが、枠組みにとらわれない考え方も必要だなと感じた師走のある日でした。
今年も残り約1ヶ月。
悔いのない年にして、良い状態で来年につなげたいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました!