ある男の幸せ追及と子育て日記

元役者で転職15回、結婚4回、50歳を過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。子育てや所感を中心に人生の幸せを追求していきます!

トラウマから得た教訓と生き方

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 私は人に話せるトラウマと、一生自分の心にしまっておきたいトラウマがあります。

どちらも小学校に上がる前の出来事なのですが、52才となった今でも鮮明に覚えています。

 

 本当に幼い頃に受けた心の傷って、いつまでも残るものですね。

 

 今日はその話せるトラウマから得た教訓と、そのトラウマが私の人生の生き方に影響したお話をさせていただきます。

 

 当時私は幼稚園の年長組で、弟が翌年に産まれるという年の出来事です。

母の出産準備の買い物に、祖母と母と私の3人で出かけた時にその事件は起こりました。

 

 私が長時間の買い物だと退屈するのではないかと思い、買い物をしていた途中、母がカバンから小銭入れを出し、「私とおばあちゃんは買い物するのにもう少し時間がかかるから、これを持ってゲームコーナーで遊んどけば」と言います。

 

 私は私で確かに退屈になっていた事もあり、その小銭入れを母から受け取ると、そのままひとりでゲームコーナーに向かいます。

ゲームコーナーに着くと、私より上の小学生や中学生のお兄さんお姉さんばかりがいます。

 

 人見知りの私はその場の雰囲気に圧倒され、隅っこにあったベンチに座り、ぼつんと佇んでおりました。

 

 それからしばらくしたその時です!

見知らぬ小学校高学年くらいのお兄さんが私に近づいてきます。

 

 「何かぼくの方に来ている気がする」と思った矢先。

 

 「ねーねー、何かいいもの手に持っているね」

 「それをぼくに見せてよ」と言ってきます。

 

 人に対して何の疑いも持っていない幼い私は、手に持っていた小銭入れをその彼に渡します。

受け取った彼は「中も見ていい?」と言うので、私は「うん」と答えます。

 

 すると次の瞬間「これはまだきみには早いんじゃないかな?だからお兄さんが使ってあげるね」と言い、財布の中に入っていた1円玉と5円玉以外の硬貨をすべて出し、自分の服のポケットに入れ、少し気まずかったのか1円と5円をわざと床にバラ撒き「あー、落ちた落ちた。ごめんごめん。それ拾っておいて」と言い、空の小銭入れを私に渡しその場を後にします。

 

 幼い私は、あまりの一瞬の出来事にただ呆然とし、母にここで待っていると約束したこともあり、すぐにでもその場を離れたかった気持ちを抑え、母と祖母をその場で待ち続けました。

その彼はというと、友達と一緒に私からカツアゲしたお金でゲームに興じています。

 

 それからどの位待ったかは定かではないですが、母と祖母が迎えに来るまでの時間は異常に長く感じました。

 

 ようやく母が私を呼ぶ声が聞こえてきて、母と祖母を見た瞬間に私は涙が溢れ出しました。

母が「どうしたの?遊ばなかったの?」と言い、両手で大事に持っていた小銭入れに何かあると思ったようで、渡した小銭入れを私から受け取ると、中身を確認します。

 

 すると中を見た母が、「全部使ったの?」と言うので、私は泣きながら横に首を振り、まだそこで遊んでいる彼を指差して「あのお兄ちゃんが、、、」と震えながら言います。

 

 その光景を見ていた彼は、「やばい!」と思ったのか、逃げるわけではなく逆に私たちのもとへ寄ってきます。

 

 そして

 

 「さっきまでぼくたちと一緒に遊んでいたんだよねー」と言いながら、蔭で私を睨みつけてきます。

「本当のこと言ったら分かってるよな」と言う脅しですし、今思えば常習犯ですよね。

 

 その冷酷無比な態度と、イヤな目つきは今でも忘れられません。

 

 何となく場の雰囲気を察した祖母と母は、「あーそう。ありがとうね」と彼に言い、私の手を取りその場をあとにします。

祖母も母も私を叱ることもなく、泣いている私に「何か美味しいものでも買って帰ろうか!」と明るく言い、ドーナツショップに私を連れて行ってくれました。

 

 祖母も母も、その彼が悪いとは分かっていたのでしょうが、証拠も何も無いわけですから、埒が明かないと大人の対応をしたのだと思います。

 

 自身の体験談とはいえ、今考えてもひどい話ですね。

 

 ただ私はこの事がきっかけで得た教訓があります。

それは非常に当たり前の事ですが「自分はいじめは絶対しない!」です。

 

 もちろん自身では「いじめ」のつもりではないですが、若い頃の私を振り返れば、「知らぬ間に人を傷つける」という言動は絶対にあったと思います。

なので私は、年を重ねるごとに他人の悪い所よりも、良い所を先に探すようにしてきました。

 

 そうすることで相手に対する接し方がだいぶ変わってきます。

 

 逸れてしまったので、話を戻します。

 

 そしてその事件から月日が流れ、私は小学校へ入学します。

 

 以前もブログでご紹介しましたが、自分が入学前に抱いていたような、明るく楽しい学校生活を送ることの出来ない子でした。

 

 そして、やはり目の当たりにしたのが「いじめ」です。

 

 障害や持病がある子、家庭が貧乏な子、容姿があまり良くない子等へ、容赦ない言葉の暴力や、男対男だと直接の暴力行為が行われます。

 

 私は小学校の高学年からいじめを受ける事になりますが、入学してからしばらくの記憶はあっても、その後は本当に記憶に残っておりません。

詳細は以前のブログに綴っておりますので、ご興味があればご覧ください。

 

 

tyusen-yo.hatenablog.com

 

 かなり記憶を封印してしまっている時代なので明確ではありませんが、当時私はいじめられていた子たちに対し至極当たり前ですが、何も気にせずクラスメートとして、普通に話しかけていた記憶があります。

 

 ひとつはっきりと覚えている事もあります。

それは幼稚園時代に仲が良かった子が、小学校に入学してから私を避けるようになったことです。

 

 それは近所に住む女の子で、病気で髪の毛が抜け落ちてしまうという子でした。

幼稚園時代は、自宅まで行って普通に遊んだりしておりましたが、小学校に入学して髪の毛の事で他の男の子たちからいじめられるようなり、人が変わったように暗い子になってしまいました。

 

 その恐怖からか、その子は男の子を避けるようになっていき、全くいじめに加担していない私に対しても話もしてくれなくなり、私も幼なかったため、何のフォローもしてあげられず、自然と遊ばなくなりました。

 

 私は心で「何でそんなことを平気で言うんだろう」と思ってはおりましたが、そのいじめる側の子たちに対して、面と向かって文句を言う勇気もなく、その現場も見たくなかったので、何も出来ずにその場から離れていくだけでした。

 

 今思えば、高学年から私がいじめを受けだしたのは、私はいじめに全く加担せず、いじめられる側の子たちと仲良くしている機会が多かったので、後々いじめの対象となったのかもしれません。

 

 私の場合、以前のブログで述べた通り、どうにか自身でいじめを克服しましたが、この令和の時代でも、いじめを受けて自ら命を絶つというニュースが多いのが残念で仕方がありません。

 

 むしろ今の時代の方が陰湿化していて、SNSなどを駆使してじわじわ追い込んでいくようですし、自殺者は昔より増えているようです。

目に見えない敵に追い込まれていくほど怖いものはないかと思います。

 

 異論反論が多いと思う中、私個人の考えは、「いじめがなくなることは永遠にこない!」という考え方です。

 

 「いじめは絶対ダメ!」「いじめをなくそう!」のポスターを貼ってなくなるようなものでもないですし、いじめられている人間からすれば、そのポスターはかえって逆効果な気もします。

 

 人は弱い生き物です。

弱いからこそ誰かを見下していないと生きていけないのだと思います。

 

 いじめる側の人間は実は弱く、脆く、人より優位に立っていると思わなければ生きていけないかわいそうな人たちなんです。

 

 大人の世界にも「いじめ」は存在します。

子どもから大人になっても、いじめる人はいじめるんです。

 

 もしかしたら子どもの頃にいじめを受けた分、出世とか何かで地位を得た人の中には、「今度は自分がいじめる番だ」と歪んだ考えに変わってしまう人もいるでしょう。

 

 いじめも、いじめる側の人間には何か心にぽっかりと穴が開いてしまっていて、それを埋めるために愚かで間違った行動に出るんだと思います。

 

 だからといっていじめていいという正当な理由は全くありません!

 

 前にも述べましたが、いじめを受けているのであれば逃げればいいんです(以前どこかの媒体で、「逃げていたらダメ」という論評を見た事がありますが、私は逃げていいと思っている派です)。

 

 実際、「逃げるが勝ち」という言葉もあります。

 

 身勝手な意見に聞こえるかもしれませんが、学校がいやなら行かなければいいですし、今は私の時代と違いインターネット授業で単位を取り、卒業出来る学校も沢山あります。

 

 会社でいじめを受けているのであれば、その会社から転職すればいいだけの話ですし、転職していたらいつしか天職も見えてきます。

また、誰にも負けない得意分野があるのであれば、その武器を使って起業してもいいと思います。

 

 私は変なプライドや会社のブランドよりも、「自分らしさ」を重視したい人間です。

自分が自分でなくなる事が、私にとっては一番つらい事です。

 

 会社の数なんて星の数ほどありますし、生き方も多種多様にあります。

現に私はアルバイトを含めれば40以上の職を転々としてきました。

 

 労力を考えれば大変だなとお思いでしょうが、私の場合は以前ブログで綴りました「職場の環境はまず人ありき」がモットーなので、わざわざ嫌な人間がいる職場に勤めている方が私には精神衛生上良くないのです。

 

 

tyusen-yo.hatenablog.com

 

 

 それに確率論ではないですが、転職も「数撃ちゃ当たる」なんです。

 

 私は根暗で細かい事が気になる人間なのですが、なぜかいつも心のどこかには「何とかなるし、何とかする!」という楽観的で前向きな気持ちだけは持ち続けて生きてきました。

 

 現に40才を過ぎてから、所持金が8円という恥ずかしい時代もありましたが、それから本当に何とかなりましたし、今は愛する家族もいます。

その「何とかする!」という気持ちを失うと、私の人生の魔法は解けてしまう気がします。

 

 人生って本当に山あり谷ありです。

幸せな気持ちを感じられる時よりも、苦労してストレスが溜まる事の方が実際多いのも事実です。

 

 経験上、大きなストレスであれば取り巻く環境を一新すれば何かが変わりますし、小さなストレスであれば「今は大変だけど、結局何とかなるんだよなぁ」と心でつぶやいてみて下さい。

 

 私は人生でかなり回り道をしましたし、「自分で自分の首を絞めているんじゃないか?」と思う時期もありました。

でも、様々な人生の壁にぶつかった分だけ、その都度その都度少しずつ強くなってきたと思います。

 

 「経験は財産」って言葉もあります。

いじめられたり、ミスをしたり、恥をかいたり、好きな人にふられたりetc、それらは全て次の自分の人格を高めてくれるアイテムなんだと今は思えます。

 

 

 長文になりましたが、私が幼い頃のトラウマから得た教訓と生き方のお話でした。

 

 最後までご覧いただきありがとうございました!