1枚のバスタオル

息子が生まれてから今に至るまで、休日は息子と一緒にお風呂に入っています。
最初、首が座らない頃は緊張の連続でした。
でも、1歳、2歳と成長するにつれ、湯船で私の太ももに乗せて入ったり、湯船にひとりで浸かれるようになった3歳頃はまだ言葉をきちんと話せない息子に向かって、一方的に話しかけて変顔をしたりして、息子が笑ってくれるリアクションを見て、入浴タイムを満喫していました。
そんな息子も今や6歳。
ひとりで頭や体を洗えるまで成長しました。
今でも休日は一緒にお風呂に入るのですが、あることにふと気づきます。
それはバスタオルに含まれてた、体を拭いた際の水分の量です。
いつも息子を先に上げて、体全体を拭いてあげ、息子が着替え終わるのを確認したら、私は改めて風呂場に戻り自分の頭や体を洗います。
昨年位までは、一枚のバスタオルで二人分の体を拭けたのですが、最近は息子が大きくなったせいか、私が体を拭く時はすでにバスタオルは多くの水分を含んでおり、私の体の水分をきれいに拭けなくなったのです。
「そうかぁ、これも成長した証だなぁ」と、しみじみ感じたと同時に、うれしい気持ちにもなりました。
2歳くらいから温泉に連れて行く機会も多かったからか、まだ6歳にも関わらず温泉宿が大好きで、家族旅行に行くとなると私に必ず「そこ温泉ある?温泉行きたいな」と言ってきます。
昔は滑ったり転んだりするのが怖かったので、必ず温泉では一緒に行動していましたが、幼い頃から温泉に行っているせいか、きちんと滑りやすい場所を押さえており、最近は「パパ、そこ滑りやすいよ」と、私に教えてくれます。
私が小さい時に「そこ滑るから、ゆっくりね」と、口酸っぱく言っていたのが功を奏したのか分かりませんが、今ではすっかり逆転して温泉マスター化しています。
最初に体をきちんと洗って、その後は内湯、露天風呂、水風呂とあちこち入っては椅子で休んでみたり、暴れてはしゃぐこともなく温泉を楽しむ姿は6歳ではなく立派なおじさんです(笑)
もちろんそこにあればの話ですが、風呂上がりはコーヒー牛乳で締めます。
それも全て私が教えたからこのようなスタイルが完成したかと思いますが、何だかんだで素直に私が教えたことを忠実に守ってくれる息子に改めて感謝です。
家の中であれば何をしてもいいですが、公園やショッピングモール、レストラン、公共交通機関などで他の人に迷惑をかける行為が嫌いな私は、幼い頃から息子を諭してきました。
元々、赤ちゃんの頃からあちこちで泣き出すこともなく、むしろおとなしく周りを観察するタイプでしたが、息子は息子なりに私たち夫婦の行動をじーっと観察していたのかもしれません。
だから外出中に癇癪も起こしませんし、商品を手に取っても元通りにきちんと戻しますし、むしろこなれた大人のように買い物中も振舞っております。
あくまで推測ですが、私がラベルのある商品はきちんとラベルが正面になるように棚に戻しますし、生鮮食品なんかも雑に扱わないので、幼い頃から息子は私の行動を見ていたのだと思います。
なので今では幼稚園のお当番の日は俄然はりきって登園しますし、「〇〇ちゃん、ちょっと雑」とか帰ってきてから話すようです。
それがいいかどうかは分かりませんが、やはり遺伝ってあるんだなと改めて感じました。
私はこまかいことが気になる性分で、中学校1年生で「十二指腸潰瘍」になり入院しました。
どうしても学校は様々な性格の人が集まりますし、なかには思いっきり自分勝手な性格の同級生もいます。
あと、人が嫌がることをして楽しむやつとか。
そんな集団生活が辛かった私は、いつのまにか精神が病んでいたようです、
結局、中学3年時も再入院しましたし、大人になってからも嫌なことがあれば胃がシクシクと痛み、胃薬が手放せない人間となってしまいました。
ただ、33歳の時に「ピロリ菌除去」を先生に勧められ、それからは今に至るまで精神的苦痛での胃の痛みはおかげさまで無くなりました。
息子もどちらかといえばこまかいことにすぐ気がつくタイプです。
周囲の空気を感じ取って、やってはいいことと悪いことをきちんと見分けています。
だからあまり神経質になり過ぎても、これからもっと辛くなっていくでしょうし、ある程度はおおざっぱな気持ちで生活して欲しいなという願望もあります。
話がだいぶ逸れましたが、日々成長している我が家の息子。
毎年、服と靴を替えるのもかなり出費がかさむため、2サイズほど大きい服を買っておりますが、なぜかそこに追いつきます(汗
靴は合わないと歩きづらいので、靴だけはベストサイズで購入しています。
でも成長してくれるのはうれしい限りですし、私が服を買うのを我慢すればいいだけの話です。
1枚のバスタオルが2枚になった2025年でした。
最後までご覧いただきありがとうございました。
息子にとって初めての生き物飼育

今回は我が家にきた「金魚」たちのお話です。
息子の夏休みがそろそろ終わろうとしている8月最後の日曜日。
まだまだ暑いこともあり、息子が「そういえば、パパと川で遊んだことがない」のひと言から今回の話につながります。
夏休みにプールや海には行きましたが、私たち家族が住んでいる地域にはきれいな川が流れており、特に夏休みは人気スポットとなっています。
息子が生まれるまでの私は、普段泳ぎに行くことはなく、水遊びすらしてませんでした。
最後に海に泳ぎに行ったのは19歳が最後。
なんと36年前。
そんな私が、プール3回、海1回、川2回と間違いなく息子がいなかったら行っていなかったと言い切れるような、今年はフルラインナップでした。
ただ、水辺は好きで、妻と付き合っている時から海、湖、ダム、川などあくまで見に行き景色を楽しむだけで、水に入って遊ぶことはありませんでした。
そんな私が今年は「ジャブジャブ、ジャブジャブ(笑)」。
ウォータースライダーまで滑る滑る。
まさかこの年になって「泳ぐ」なんて。
人生は分からないものです。
基本的に嫌いということもないのですが、普段泳がないのには理由があります。
それは、「とても視力が弱い」から。
裸眼視力は0.02レベルで、さらに乱視と老眼と、容赦なく視力を遮るラインナップ。
普段は老眼コンタクトをしていますが、水の中では外れてしまう可能性が高いため、着用して泳げません。
眼鏡は眼鏡で水に濡れると視界が悪くなりますし、さらにバンドで固定しないと流されてしまいます。
そうなると裸眼がベストなのですが、今度は何も見えません。
裸眼状態ですと、間違いなく家族を見失います(笑)
そういったこともあり、息子と泳ぐ際はコンタクトレンズを着用しているので、基本的に潜ることはしておりません。
そんな「水遊び」満喫の夏休み。
幼稚園が始まる前の日曜日に川遊びに行ったことから、今回金魚を我が家へお迎えする序章が始まっていました。
息子と川で遊んでいると、息子が何かを発見したようで「あ!」っと声を上げます。
「どうしたの?」と私が聞くと、息子が「おたまじゃくしがいるー」と言うので、川の岩場に目を向けると確かに一匹のおたまじゃくしがいます。
網とバケツを持っていたので、息子が一生懸命取ろうとしますが、おたまじゃくしもつかまりたくはありませんから、岩場の陰に身を潜めます。
息子が「取りたい」と言うので、今度私が網とバケツを持ち、追い込み漁方式でおたまじゃくしを刺激して、その先にバケツを構えていると、ある瞬間に「スーッ」とバケツの中に入ります。
「獲れたよ!」と私が言うと、息子は「やったー、やったー」と大喜び。
そのあと、「ママに見せてくるー」と、妻のところにバケツを持って向かいます。
「ママー、おたまじゃくしとったよー」と自慢げに見せます。
妻も「あ、ほんとだぁ。かわいいねー」と息子に言うと、ふと息子が「このおたまじゃくし、おうちにもってかえりたい」と言い出します。
最初は、「どうかなー」と思った私でしたが、息子のキラキラした目を見ていると「持って帰るのをやめよう」とは言えなくなります。
「じゃあ、持って帰ろうか?」と私が言えば、息子は「やったー、やったー」と大喜び。
帰りの車の中で息子が「名前何にする?」と言うと、妻が「おたまじゃくしだから、たまちゃんでいいんじゃない?」と、まさかの安直なネーミングが出てきますがそこはさすがの親子。
息子も「たまちゃんいいー」でした(笑)
「たまちゃんのおうちどうする?」と言うので、私が「ホームセンターに見に行ってみようか?」と言うと、息子は「うん!いくいく」と返してきます。
そして、帰りにホームセンターに寄り、あれこれ見た中で良さそうなケースとエサを購入。
家に着き、早速たまちゃんをケースの中に入れますが、バケツの中にいたときほど泳ぎまわることもなく、おとなしくなってしまいました。
息子も何度もケースを見ていましたが、たまにちょろちょろ動く程度で、傍目から見ても「たまちゃんの快適」さが伝わってきません。
夕方、エサをあげてみましたが、全く食べる様子もなく、ケースの中でもおとなしく止まっています。
「たまちゃん、かわいい」と息子は言っていますが、私はちょっと不安を覚えます。
そして、私の頭に浮かんだのは「あんな自然豊かな川にいたのに、こんな小さなプラスチックケースの中だとつらいだろうなー」という考えです。
でも息子は喜んでいるし、「うーん、どうしよう」とひとり考えます。
それから1時間ほど経った際、再びケースの中を覗きますが、相変わらずたまちゃんはおとなしいままで、エサも食べていません。
その変わらぬ姿を見ていたたまれない気持ちになった私は、勇気を振り絞って息子に伝えます。
「やっぱりたまちゃんは今日獲ったてきた川に帰してあげよう」と。
息子も元気がないたまちゃんを見ていたこともあり、すごく寂しそうでしたがしばらく考えたあと、だまって私に頷いてくれます。
「ありがとう」と息子に伝えると、それでも少し寂しそうな息子に対して私から次の台詞が出てきます。
「今度、金魚を買いに行こうか?」と。
息子も「え?金魚」と言い、「パパ、金魚買っていいの?」と言ってきます。
「うん、金魚ならおうちで育てられるからね」と私が言うと、「うん、金魚買いたい!」と少し元気になります。
「じゃあ、今からたまちゃんがいた川に戻しに行こう」と息子に言い、息子とふたりでたまちゃんの故郷の川まで向かいます。
自宅から車で30~40分、車内ではたまちゃんの入ったケースを息子はずっと眺めています。
川に着くと、「じゃあおうちに帰そうか」と私が言うと、息子は「川のどこにかえすの?」と聞いてくるので、「それはふたりでたまちゃんを見つけた岩場がいいね」と言えば、息子もうれしそうに「そのほうがたまちゃんもあんしんだね」と6歳にして立派な返しをしてくれます。
駐車場から7~8分ほど歩いた距離にたまちゃんのいた住処がありますが、息子はケースを自分が持つというので、15分ちょっとかかりました。
でも、ケースを大事そうに抱えてゆっくり歩く息子を見て、「生き物を大事にする姿勢が身に付いていてえらいなぁ」と素直に感心。
たまちゃんの住処に無事に着き、ケースからゆっくりと川に戻す息子。
「たまちゃん、バイバーイ」と言いながらたまちゃんとのお別れを迎えました。
川から道路に戻る時に川を何度も振り返る息子。
その時、私は息子の同性に見せたくない弱さのことを知る由もありませんでした。
それを知ったのが翌日です。
妻が「昨日、たまちゃんを川に帰したでしょ」
「うん」と私が言うと、「昨日ね、寝るときに〇〇がずっとたまちゃんありがとう、たまちゃんありがとう」って何回も言って泣いていたんだよねと。
「ほんとうはおわかれしたくなかったけど、パパがいうようにかわいそうだって思ったし、でもおうちにきてくれてうれしかった」とも。
私はそれを聞いて「なんて優しい子なの」って感動しちゃったと妻が言います。
「だって、ありがとう」だよと。
それを聞いた私は、昨日息子とたまちゃんを帰したあとの車の中を思い出しました。
私が話をしてもやけにおとなしく、寂しいんだろうなと思った私は息子をそーっとしておいて上げました。
多分、息子は色々話をすると思いだして泣いてしまいそうだったから、黙っていたのだと思います。
私に涙を見せてしまうと「パパに弱い男」に見られてしまうと、息子は息子なりのプライドがあったのかもしれません。
でも、泣いたからって私は受け止めますけどね。
私の時代はよく「男なんだから」ということで我慢を強いられる機会も多かったのですが、感情は出したほうが私は良いと思っています。
感情を幼いころに押し殺すと、青年期の私のようにひねくれた人間が完成します。
だから息子には感情を我慢せず、喜怒哀楽をきちんと出してもらいたいです。
そんな出来事があった流れで、次の週末に金魚の専門店に家族で行きます。
そこは江戸時代から営業しているそうで、店主の方もかなりご高齢でしたが、色々とアドバイスを私たちにしてくれました。
そんな中、選んだのが冒頭の写真の子たちです。
金魚を飼うのも、ほぼ40年ぶりでしたし、昔は金魚鉢で買っていましたが、縁日で獲った金魚でしたし、あまり長生きはしませんでした。
今回、たまちゃんに代わって登場した子たちですし、大事に育てて息子に喜んでもらいたいと思い、水槽の立ち上げを事前に学習してお迎えしました。
水作りに最初は非常に苦戦しましたが、お迎えしてから1ヶ月ちょい。
試行錯誤の末、今では安定した水の状態を保つことが出来ています。
私の休みの中の仕事がひとつ増えましたが、息子も妻も「かわいい」と2匹を良く眺めていますし、私にエサをもらうため私が見えると超特急で向かってきてくれる2匹に私も癒されております。
たまちゃんきっかけで始まった金魚飼育。
犬や猫と違って直接コミュニケーションは取れませんが、家族が水槽に近づけば寄ってきてくれるので、それもコミュニケーションのひとつかなと思います。
何より息子も2匹を気にかけて生活していますし、私が水槽の換水や掃除をする時も積極的に手伝ってくれます。
優しい子に育ってくれて感謝です。
ただ、生きている以上はいつか訪れる死。
私も中学生の時に初めて飼い猫の死を目の当たりにしました。
あの時込み上げてくる涙を親に見せられずに、隠れて号泣したことを今でも鮮明に覚えています。
でも、その涙がまた自分を成長させてくれました。
息子も生まれて初めての生き物飼育。
長生きしてもらうよう、私も普段から水の管理に気をつけていますが、その時が来たら息子は号泣すると思います。
その時はきちんとフォローしてあげたいです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
念願の息子とツーリング

レンタルバイクの前でご満悦の様子
ご覧いただきありがとうございます。
前回、「乗り物好きは遺伝?」でご紹介させていただきましたが、うちの息子はとにかく乗り物が大好きです。
そんな息子ですから、もちろんバイクも大好き。
お隣さんがバイク好きというのもあり、バイクを整備するのをお見かけする機会も多いのですが、そのたびに「パパー。バイク、ぼくも乗れるかなー」と言っていました。
私は中型バイクの免許は所持していますが、車もバイクも所有となると家計に響きますし、普段は車のみで生活しています。
でも、息子が言うように「たまにはバイクにも乗りたいなぁ」と思い、思いついたのがレンタルバイク。
2年ほど前にレンタル会員になったものの、まだ息子が3歳から4歳になる年だったため、結局1回もレンタルすることなく時間だけが経過しておりました。
私も55歳になり、原付以外で本格的なバイクに乗ったのは15年前の40歳が最後。
「このままだと体力的にも乗れなくなるかな」とも思い、感覚を取り戻すためにバイクをレンタルすることを決意。
あとは息子が後ろにきちんと乗れるかどうかの心配だけです。
ただ、息子は幼稚園で一番背が高く、現在125㎝ほどあります。
「そろそろ色々なことに恐怖を感じ取れるようになりましたし、後ろのタンデムフットレストにも余裕で足がつくだろうし、どうかなぁ?無事に乗れるかなぁ?」と、ひとりで息子とのツーリングに思いを馳せていました。
ある日、息子に「バイクに乗ってみる?」と聞くと。
「乗ってみたい!」と元気な返事。
「じゃあバイク借りて乗ってみようか」と言うと。
「うん!」と満面の笑み。
そのあと「やったー。やったー、バイク楽しみー」と小躍り状態。
そこで!
最初は中型バイクを借りようか考えてみたものの、バイクは車と違ってバランス感覚やスピード感が四輪の自動車とは大違い。
「うーん。やはりのんびりトコトコとがいいかな?」と思った私。
小型バイクは足つきもいいし、自分のリハビリをかねた運転のために選んだバイク。
それは!
「HONDA Dax125」
車体も小さく、シートも長めなのでタンデムしやすいですし、何よりクラッチがなくスーパーカブと同じ仕組みのため、リハビリの私にはもってこいのバイクです。
また、HPにも小さな子どもと親子でタンデム走行している写真があり、幸せな絵が浮かんできます。
あとは天気チェック。
せっかくツーリングに行くなら天気はいいほうに越したことはない!
こまめに日本気象協会のHPをチェックし、「ここ!」という日に予約完了。
予約を完了したら息子のためにヘルメットを購入しにホームセンターへ。
ちょうどサイズが合うヘルメットが割引価格で売っていて即購入!
「これはいい流れだ」とひとりニヤニヤしながら帰宅。
家に帰ると息子は用もないのにヘルメットを被りっぱなしで、「楽しみー、楽しみー」と連呼していました。
そして当日。
まず自分だけが店舗に赴き、慣らしがてら自宅に帰宅。
久しぶりで最初は緊張しましたが、バイクが小さいこともあり、自宅に帰るまでにはだいぶ感覚を取り戻してひと安心。
まずは近所の交通量の少ない河川沿いの道を、息子を後ろに乗せて低速でぐるっと一周しました。
息子は大興奮で、乗って走り出した瞬間は「キャーーーーーーーー!!!」と絶叫。
恐いキャーではなく、うれしいキャーなのはすぐ理解しました。
次に妻を乗せて、息子には自宅の中で待機してもらい、またまた河川沿いを一周。
妻もバイクの後ろに乗ったのは初めてだったらしく、「ちょっと怖いけど、バイク楽しい!」と言っていました。
バイクはお昼から借りたので、本日はひとまず終了。
いよいよ明日の朝から息子とツーリング本番です。
普段、夜はなかなか寝たがらない息子も、とても楽しみにしているようで、かなり早めに就寝。
私もいつもより早めに就寝して明日に備えます。
翌朝7時位に起きると、すでに息子起きていて、第一声が「パパー、おはよう。バイク、楽しみー」でした。
私が住んでいる地域が田舎なので、逆にそこが良かったなと感じたのが交通量の少なさ。
自宅から山のほうへ向かい、隣県の熊本へ抜けて、帰りは国道から自宅に戻ってくるコースを選択しました。
休日の朝ということもあり、いつもより車の数も少なく、無事に最初のポイントであるダムに到着。
いつも見ていた景色も、バイクに乗るといつもと違った景色に見えるのが不思議です。
風や温度、自然のにおいを感じながら、後ろにはかわいい息子。
「なんて幸せな時間なんだ」と思いながらゆっくり道路を流すのは至福の時間。
普段、車では行けない細めの道路もなんのその。
「やはり機動力はバイクだなぁ」と思っていると後ろの息子が「パパー。パパー」と言います。
「どうした?」と言うと。
「見て見て!栗がいっぱい落ちてるー」と言います。
「じゃあ、ちょっと見て見ようか」と言い、一旦山の中でバイクを停めてみます。
そこには大量のイガ栗が。
自然の中なのでイノシシに食べられてしまったような物も多いのですが、とにかく量が多いので息子と探してみるとしっかり身の入ったイガ栗をいくつも発見。
厚手の手袋もないので、試行錯誤した上で栗を取り出す方法を発見。
それは息子と私とで靴のつま先で半々にゆっくり体重をかけて、イガを割るという方法です。
最初はぎこちなかった動きも、回数を重ねる内にお互いの呼吸が合ってきて、まるでオートメーション的にイガを取り除けるようになりました。
ある程度取った栗は息子のリュックへ。
「帰ったらママに見せるー」とご満悦。
そこで20個ほどの栗を収穫。
またしばらく走り、途中休憩を取った道の駅でも、他のバイカーの人たちが息子に手を振ってくれたりして、息子もすぐに「パパー。パパー、あのおにいさん手を振ってくれた」とか、「あのバイクのおねえさん、ニコッと手を振ってくれた。優しかったー」と大満足。
優しい人との触れ合いもありつつ、いよいよ熊本県側の山道へ。
道路がの幅が細いせいもあり、車はほとんど通っておらず、木々の間から差し込む太陽の光を浴びながら駆け抜ける道路は格別で、その日は30度を超える真夏日でしたが自然のクーラーは寒いくらいに涼しく快適でした。
「あー。本当に幸せ」と思っていると、またまた大量のイガ栗を発見!
安全な場所へバイクを停めて、またまた栗拾い再開。
やはりイノシシなどに食べられてしまった物も多かったですが、先ほどの場所よりもさらに多くのイガ栗が落ちていたため、息子のリュックのポケット部分もパンパンになるほどの大収穫でした。
それから公園に行き、ひと休み。
公園から妻に電話して、無事を伝えると、妻が「私も車で見に行っていい?」と聞くので「いいよ」と答えます。
自宅から30分ちょっとの国道近くのお店で合流し、先頭が私と息子、後ろに妻の車がついて来る並びで自宅まで帰ってきました。

妻と合流したあと、信号待ちの時にふたりの姿を撮ってもらいました(きちんと私につかまっている息子がかわいかったと妻も言っていました)。
朝出発して、約6時間ちょっとのツーリング。
息子も終始大満足で、私も2年越しの願いが叶いましたし、とても幸せな時間を過ごせた休日でした。
また行こうね!
ただ後日筋肉痛が、、、年齢には勝てないかぁ(体幹を鍛えなきゃと痛感)。
最後までご覧いただきありがとうございました。
乗り物好きは遺伝?


私は無類の車好き。
今まで延40台の車を乗り継いできた。
免許を取得して36年なので、1年1台以上のペースで乗り換えてきたことになる。
物心ついたころから車が大好きで、幼稚園からの帰り道も必ず駐車場に立ち寄って、あらゆる車を見てから家に帰った(父親がめちゃくちゃ厳しかったこともあり、他人様の大事な車に触ったりすることはしておりません。窓に触れることもなく、中を覗き込むだけ。大人だと完全に捕まるやつですね)。
よく「車好きなら買った1台を大事にするのが車好きじゃない?」と言われることも多いが、私の考えは「好きだからこそ、様々な車種を体験したい」という車好きです。
私自身は下戸だが、私がお酒が飲める人間であれば、この世に多く存在するお酒を片っ端から試飲して、本当に好きなお酒を見つけたいタイプと言えば分かっていただけるでしょうか。
免許を取得して36年。
一度も事故は起こさず、もらい事故が一回あるのみ。
それも相手方が雪道を完全に逆走してきて、過失割合も相手が100%だったため、保険のお世話になったこともおかげさまでないです。
免許を初めて取得した時はうれしくてうれしくて、毎日100キロメートル以上の道路を走り、あらゆる場面での運転技術を身に付けていきました。
当時はガソリンも100円を切る時代。
野球の千本ノックではないが、運転の千本ノックをひたすら繰り返して練習するという車バカです。
私の中で免許とは、きちんと基本の技術を身に付けて、周りに迷惑をかけない運転を出来るのが免許だと思っています。
だから、昨今話題となっていた「外免切替」には反対の立場です。
なぜそんなことを許しているのか不明だし、事故を起こして責任も取らずに逃亡出来る制度は、あまりにも無責任だし理不尽極まりないことだと思います。
携帯電話が世の中に普及したころ、運転中の通話は認められていたが、次第に事故が増えたからか、運転中の通話は完全に禁止されました。
それが現代ではスマホ。
スマホを見ながら運転している人たちが多いことに驚く。
まだ、百歩譲って正面を見ていられる通話のほうがマシに思えてくるほどです。
「運転中に画面を注視って、完全に前を見ながら運転する気ありませんよね」とぼやきたくもなる。
私の時代の運転は、同乗者を車酔いさせるような運転はカッコ悪いという時代だったが、今の車は移動出来るリビングルームのような存在となってしまいました。
だからこぞって背の高い車が軽自動車から普通車まで流行り、ここ20年くらいで道路の景色も変わってしまった。
別にスーパーハイト系の軽自動車や、ミニバン、SUVがダメとは言わないし、空間が欲しい人や見晴らしにこだわる人には最適な乗り物だと思います。
ただ、運転はあくまで運転。
背が高いと見晴らしは良く、運転しやすいような錯覚がありますが、重心が低い方がもちろん車は安定していますし、カーブも曲がりやすいです。
背が高い上に濃いめのフィルムを貼っていて、後ろから見えないのをいいことに、青信号に変わってもなかなか発進しない車が本当に増えたなぁと実感しています。
車は走る凶器だと思うので、きちんとルールを守ってもらわないといけないし、それこそ運転免許の意味が無い。
車に興味がなくとも、ハンドルを握った時点で責任は感じて欲しいというのが私の気持ちです。
運転好きではないが、楽できる移動手段だから車に乗る。
だから、スマホを眺めながらハンドルを握っている人が多いのだと勝手に思っております。
運転は私にとってスポーツの一種のような捉え方で、常に前後左右に気を配り、信号を先読みして、無駄な加速や急な減速をしない。
下手な人は、路地からは急加速で出てくるのに、出たら急に減速して制限速度以下で走る、そして信号機を見ていないからか、歩行者信号が点滅しているにも関わらず、急な加速をして赤信号で急な減速をして停車。
私は、停車から発車する際は、必ず周囲の様子をチェックして、ゆるやかなスタートでスピードを徐々にのせていく。
だけど運転に興味がない人は、うしろが沈むほど急加速で発進するが、また急に減速して流れにまったくのらない。
急加速や急な減速をする人は運転好きではない(または車に興味がない)と私は思っています。
また、交差点の手前30mからウィンカーをきちんと出すし、車線変更も事前にウィンカーを出してから車線変更をする。
曲がる時もトラックのような大回りはしない。
信号機のない横断歩道がある際は、人がいたら必ず停車をする(後続車が止まる気がないと、ぶつかられそうで恐い思いをすることがありますが)。
混雑している駐車場で安易に前突っ込みで駐車しないなど、運転の基本は忠実に守っている。
でも、残念ながら「車好きや運転好き」は絶滅危惧種になりつつあります。
別に私はプロのドライバーでもないし、運転が上手いとは思っていません。
ただ、車好きだからきちんと運転したいという気持ちが強いだけなんです。
「走る凶器」であることを、免許を持っているなら自覚して欲しいと思っているだけなんですが、本当に気が散漫な運転が増えたなぁと、しみじみ思っております。
あまりに長い前置きとなって、車のことを言い出すと止まらない自分に驚きを隠せないですが、ここから本題に入ります。
興奮して大変失礼しました。
今回、6歳の息子が私と同じように運転が大好きな話をお伝えします。
子どものころ私は、父や母が運転するさまを私はじーっと観察していました。
やはり息子も同じで、私が運転しているところをしっかりと観察しているようです。
ようだと書いたのは、妻と息子で車で移動する際に、妻に対して「ここをこうしたらこうなって、このボタンはなになにで」と妻に一生懸命説明を始めるらしいんです。
妻はここ2年あまりの間に「ペーパードライバー」を卒業した人で、基本的に運転には興味がありません。
息子を幼稚園に送り迎えするために軽自動車を購入して、それを毎日に送り迎えで運転していたら、ようやく慣れたというわけなんです。
要は、私の運転千本ノックの強制バージョンですね。
ただ、車が好きではないと意外と苦手意識の強い駐車もだいぶ上達はしたものの、場所や車の並び方によってはまだまだ克服出来ておらず、妻の運転で行ったスーパーなどで私に駐車時だけ交代するなんて機会も多いです。
前に進むのはいいが、後ろに下がる事が難しいようだ。
息子が妻に「パパならここはこうする」なんて言うことも多いらしく、息子は息子で6歳なりに「僕はママより運転を分かっているでしょ」という妻に対してのアピールもするようだ。
6歳でもひとりで乗ることが出来るゴーカートがあると、息子は必ず乗りたがるのだが、確かにどんどん上達してきており、車好きの私としてはうれしい限りです。
ただ、息子が大人になったころは運転という作業がいらなくなる時代に変わってしまうかもしれませんね。
でもいくら自動運転技術が進んだとしても、車の挙動の特性を理解しているのは非常に大事なことだと思うし、決して無駄ではないかなとも感じております。
最近見たことがない車が走っていると「パパ、あれ何?」と車名を聞いてきます。
私もちょっと前までは世の中の車で知らない車はないと思っていましたが、最近は前照灯や制動灯もLED化がすすんでいて、各メーカーの個性が薄れている印象が否めなくなっており、瞬時に判断するのが難しくなってきました。
だから瞬時に答えられない時もあるが、その時は「あれはマセラッティだね」とメーカー名で逃げ切ることもあります、、、。
若い頃は高性能な車に憧れもありましたが、最近は家族が安全に移動出来て、それなりに快適であれば多くを望まなくなってきました。
私も今年56歳。
昔に比べると自分の運転にキレやシャープさを感じなくなってきており、内心ショックを受けていますが、老いは誰にでもきますし、そこはきちんと受け止めないといけないなと感じています。
妻は私より15歳年下ですし、これからもほぼ毎日運転するでしょうから、「あーだめだ」と感じるようになったら、素直に免許返納するしかないと今から考えています。
息子も12年すれば免許も取れますし、その時私は68歳。
今まで遠出する時に運転席からの景色しか見られなかった私ですが、その時はのんびりあちこち眺めながらドライブに行けたらいいなと思っております。
最後までご覧いただきありがとうございました!
育つ上で大切な自分自身を大切にする心

前回のブログでお伝えしましたが、今年の春から息子も年長さんとなります。
ただ、私の中で少し悲しいことが。
昨年位から、うちの息子が「ママ大好き人間」になった。
「それって普通じゃない?」と思う方も多いでしょうが、我が家は3歳まで「パパ大好き」の息子でした。
別に妻と勝ち負けを競ってはおりませんが、内心はうれしかったんです。
一昨年までは、私が仕事から帰宅すると、息子がその音を聞き「きゃーーー!」と、まるで大スターが来たような歓喜の叫びとともに、玄関の外まで出てきて「パパおかえりー」と言い、抱っこをせがんできたが、昨年位から私が帰ってきても、妻は玄関に出てきてくれるが、息子は奥の部屋でテレビを観ており、全く反応がない。
さらに「おかえりー」もなくなってしまった。
最初の頃は、私もたまたまかな?と思えたが、平日に連続して起こると、完全に確信に変わる。
試しに息子に「パパが帰ってきても、何も言ってくれないの?」と聞いてみると、その言葉にも無反応。
息子の名前を呼んでみると、返ってきた反応は半笑い。
「うーん、ショック」
コロナ禍以降、私が勤めている会社はまだ在宅勤務が数日許されており、その日は妻に代わって私が幼稚園への送り迎えをしているが、その道中も話しかけても、あまりリアクションはなく、まるで倦怠期の夫婦のよう。
妻が送る時には、色々と自ら話すそうで、この違いって何だろうと考えた日もあった。
これはあくまで推測だが、私に聞いたことをよく妻に話しているようだ。
もしかすると、男としてママに頼りにされるのを目指しているのかもしれない。
私たち夫婦はどちらかと言えば、かなり仲が良い夫婦で、妻と会話をして楽しそうにしていると、必ず息子が見に来て何を話して笑っているのかをチェックする。
話の内容が分からないと妻に「何話しているの?」と言い、妻が息子に伝えながら笑っていると「フン!」と言いながら息子はよく拗ねる。
だから、私に対してある意味ライバル意識が出てきているのかもしれない。
ただ、それはそれでいいことだし、私も腹が立つというよりは、先に亡くなるであろう私がいなくなった際に、きちんと妻のことを気にかけてくれる人間に育って欲しいと思っている。
なんせ3人しかいない家族だから。
最近、弟や妹のきょうだいが欲しいらしく、妻に話しているようだが私も今年56歳。
定年も十分視野に入ってきた年齢である。
家計がビクともしない年収でも得ていれば、妻もまだ出産出来る年齢なので考えなくもないが、この物価高の世の中で妻と息子にさらにプラスの人数を養う自信は全くない。
確かに将来的に、息子は身寄りがいなくなる可能性が高い。
私も妻もそれぞれ弟と姉がいて、それぞれひとりずつ子どもがいるが、距離的に遠いこともあり、なかなか会う機会がない。
それを考えると「かわいそうだな」という気持ちは心からある。
ただ!
先に述べたように、先立つものに限界が、、、
私がいる福岡を含めた九州や西日本地域は東日本に比べて子沢山という記事を目にしたことがある。
実際、私のご近所は2人以上のお子さんがいて、スーパーに行っても3人のお子さんがいる家族をよく目にする。
ただ、みんな若い。
今の私にはないものだ。
少子化が進んでいる中で、多くの子どもを育てている家族を見ると、頭に浮かぶのは「えらいな」につきる。
子どもを育てるのは本当に大変だし、なにせ時間も労力もお金もかかる。
普通に生きていくだけでも大変な時代の中、多くの子どもたちを育てる若い夫婦には脱帽もの。
子育ては本当に大変だけど、労力以上に子どもはかわいいし、その存在は非常に大きい。
昨年、妻と出会ってからの年数と、息子が生まれてからの年数がちょうど半分ずつの年だった。
今年からは妻と二人で過ごした年数より、我が家に息子が来てからの年数が上回る年となる。
息子が生まれる前は妻と「今からどんな感じになるんだろうね」と話したことが最近頭に浮かぶ。
妊婦の時に一緒に公園によく行き、公園の散歩コースを期待と不安が織り交じりながら会話をしていたシーンは今でもはっきり覚えている。
あと、抱けばこわれてしまいそうな息子を大事に抱えながら役所に届けた時のことも。
あれから5年10ヶ月。
私たち夫婦も少しずつ親として成長した。
そして主役である息子も。
これから年長さん、小学校、中学校とどんどん続いていく。
思春期には今以上に反抗する時期もあるかもしれない。
でも、恐怖政治の父のもと、全く反抗期がなかった私は、社会に出てからというもの、かなりひねくれて、世の中に対してふてくされた人間となり、まともな収入を稼ぐ事のない社会不適合者となった。
犯罪こそ犯さなかったが、夢が頓挫してからは、転職や引越しばかりを繰り返し、安定という言葉には無縁な人間だった。
今こうして普通に勤めて家族を持っているのは奇跡でしかない。
何かしら紆余曲折がある人生だが、私の人生はアップダウンが激しく、ダウンがかなり多かったのも事実だ。
ただ、私はギリギリバブルが弾ける前を体験している人間で、「失われた30年」と最近よく言われている人たちに比べればまだ夢を持てる時代だった。
だから、俳優を諦めてから、とりあえず気が向いた仕事に就いては辞め、就いては辞めを繰り返した。
ただ、今は不景気な話題しか日々目にしない。
悲しいかな、こんな時代だから先々は本当に読めないし読みづらい世の中。
人口減で国の勢いもなく、明るい兆しが少しも見られない中、未来の息子はどうなっていくのかなと考える時もある。
でも、自分にきちんと自信を持って、自分を好きで生きていれば、必ず道は開けてくると思う。
私のように自信よりもコンプレックスばかり持った人間は、必ずどこかでつまずくし、何をやってもなかなかうまくいかない。
私は今の妻と出会って、四回目の結婚で初めて気づいた。
それはあまりにも遅すぎた。
でも遅かったにしても、それにようやく気づいけたから、今の幸せをつかめていると思う。
「自分の存在を大切に思って、立派に育ったと認められる人に成長してね!」
最後までご覧いただきありがとうございます。
2年3ヶ月ぶりの更新。通算31回目の引越し&終の棲家へ

ブログを最後に更新したのが2022年11月。
2年3ヶ月ぶりの更新です。
ブログをはじめた当時はコロナ禍で、宿泊業界にいる私は、あまりの世間の動きの無さに時間を持て余しており、しかも着任予定だった店舗工事もストップ状態。
事実上の休業でした。
その時にせっかくならと、ブログを始めたのがきっかけです。
ブログを始めた時、息子はまだ1歳。
それが今や5歳となり、私も55歳。
50歳で授かった息子でしたが、過ぎてしまえばあっという間。
子育ては子どもよりも、自分自身を成長させるための修行だなと感じつつ、息子が小さい頃は何かと悪戦苦闘の連続でした。
でも、振り返ればとても良い経験をさせてもらったなと感じる。
今は5歳になり、また違ったステージで悪戦苦闘はするが、一瞬たりとも気が抜けない乳児だった時からすれば、お互いにコミュニケーションを取ることが可能になりましたし、それはそれで楽しく生活出来ています。
人が人たちの社会へ出るために必要な素養を学ばせる子育て。
非常に奥の深さを痛感。
まだまだこれから続きますが、頑張っていこうと思います。
さて、本題に入ります。
最後のブログ更新の翌年である2023年は、息子の幼稚園入園が決まっていた年。
その時から、このブログでの時間は止まったままでした。
ふと思い出し、見返してみると「こんなことあったな」「確かにこうだったな」と思う事ばかり。
途中から、子育て日記替わりのブログでしたが、私にとっては息子の成長を文字で読み返せることは非常にありがたいと感じた。
ヒマを見つけては、また書き記したいと思う。
今回は、2023年の出来事を中心に書きます。
息子が今から中学卒業もしくは高校卒業まで、当時の賃貸戸建住宅のままでいいのか、私と妻は考えていました。
そんな思いから以下のようなことを考えます。
「今の住まいは家賃も良心的な金額で、しかも広々とした一軒家」
「だけど、いくら内装はリフォームしているとて、築年数は50年近いし、いつまで住めるのやら」
「築年数を考えると、このまま永遠に住むのはやはり難しいんじゃないか」
「高齢になると、賃貸物件は新たに借りられないと聞くけど、そこは大丈夫かな?」などなど。
様々な不安がよぎります。
妻と色々と話した上で、「やはり家族のきちんとした居場所が欲しい」という結論に。
そして!
人見知りな私たち夫婦は、中古マンションではなく、中古の戸建ての購入を決意。
ヒマがあれば二人でそれぞれ物件情報を検索する日々。
お互いが気に入った物件があれば、一旦お気に入り保存。
それから沢山の物件を精査して、本当に見に行きたいと思う物件を絞り込む。
それからはひたすら物件を見て回り、トータルで10件ほど内見。
ただ!
中古住宅は良くも悪くも、ここは良いが、ここはなーという欠点が必ず出てくる。
どこか妥協しないといけないけど、妥協点をどこに持っていくかがかなり難しい。
気づけば、あっという間に2ヶ月以上経過。
年明けからまた再度スタートして、また3件ほど見て回る。
そして、気付けば3ヶ月の経過。
「いい加減決めなきゃ」と思い、妻と話してひとつの中古物件にようやく絞った。
でも!
不動産屋さんからの連絡でまさかの事実が判明。
「水道管が他人の土地を通っており、権利関係で話し合っておかないと、後々揉める可能性もあるかもしれません」と。
私は「そうですか」と答えたが、妻が「どんな人かも分からないし、何かこわいから嫌だ」と言い出す。
せっかく決まったが、妻の意見も一理あると思い、不動産屋さんに私たちの気持ちを素直に伝える。
非常に良くしてくれた人だったし、申し訳ないと思ったのだが、先々その問題を抱えるのは私たち家族だし、そこは妥協することが出来なかった。
その担当者の方は女性で、まだ入社して2年目のようだった。
ただ、私たち家族の内見ばかりを付き合っていてくれたからか、はたまた最後の最後に決めなかったからかは定かではないが、上司に諦めろと言われたの
しばらく二人は燃え尽きてしまい、家探しを半ば諦めかけていた。
そんな時、偶然目にしたのが新築の建売戸建住宅。
お気に入り登録した物件の新着情報で、こんな物件もありますよ的なものだった。
探していた金額に近いということでヒットしたようだ。
ただ、地域は全く違う地域だったが、「この金額なら中古住宅を購入して、リフォーム代金を考えると、あまり変わらない気が」と思った物件を発見。
それから妻と息子で新築の戸建てを見に行き、新築の光り輝く外装と内装にびっくり。
広い敷地に、スペースに余裕のある駐車場、しかもほどよい数の戸建ての区画。
今まで中古ばかりを見てきた私と妻は、どこを見ても感激の連続。
ただ、福岡でもかなり田舎のほうなので、そこを除けば最高なのは間違いなかった。
その地域で新築戸建てを4軒内覧。
すると、私と妻とお互いが気に入った物件があり、そこを目標に決める。
しかし。
後日、不動産屋さんから電話があり「覚えていらっしゃるかどうか分かりませんが、ご覧になられた物件の販売会社さんから、破格とも言える良い条件をいただきました」と言われる。
よくよく話を伺うと、私のヒヤリングシートを見て、ぜひこのご家族に勧めてもらいたいというお話があったそう。
さらに、決算時期なので大幅に値引きをしてくれるということであった。
ただ、その物件の価格は他の物件よりもかなり高かったので、あくまで参考程度に見ただけで、妻も正直記憶に薄いと話していた。
私も全く同様であった。
「どんな条件ですか?」と聞くと、「え?」と思う本当にかなり頑張ってくれている金額。
2023年初頭は、まだコロナ禍から明けて時間が経っていなく、田舎に建つ戸建ては内覧者が少なく、さらに決算時期というのもあり、その物件を皮切りに販売したかったようだ。
「でも、物件の記憶がほとんど無いので、再度見ても良いですか?」と不動産屋さんにお願いする。
それから改めてその物件を内覧。
私たちが検討していた物件のすぐ近くであったが、正直中を全く覚えていなかった。
ただ改めて見てみると、さすがに検討中の物件よりも高いだけあり、敷地も建物も広々していて、さらに設備も充実。
いくら値引いてくれたからと言っても、検討中の物件よりはまだ少し高い。
しかし、ここがローンの怖いところ。
月々だとそんなに変わらない。
でも、私はその時すでに53歳。
コロナ禍で賞与が無くなった分、当時の年収は心もとない額。
「でも、一生で何度もって話でもないしな」と心の中は常に葛藤中。
そして!
妻には「まぁ、金融機関の審査が通ったらここにしよう」と伝える。
それから不動産屋さんのお力も借り、無事に審査も通過。
「でも本当に大丈夫か?」
そういった思いもあり、他にも調べてみる。
すると、その市は3年間固定資産税を補助してくれるらしい。
まだ私が若ければ、迷わず金利の安い変動金利一択だったに違いない。
でも私は違う。
生活設計を立てにくい、変動より固定のほうに急に心が傾く。
「まだ3歳だし、先は長いからな」との心の声も聞こえる。
「よし!」
すぐさま、不動産屋に相談。
その後、固定金利で無事に審査も通過。
最初は損した気分もあったが、このブログを書いている現在では、当時の選択で良かったと思っている。
初めに中古住宅を探し始めてから4ヶ月。
最後の最後に新築物件になるなんて思いもしなかった展開に。
何度も言うが、その時すでに53歳。
無理なく払える金額で、子育てにも集中出来る。
何より息子も新しい家が気に入り、元気よく育ってくれている。
私についてずっと引越しに付き合っていてくれていた妻も、今の環境には満足してくれているようだ。
田舎なので、妻もペーパードライバーからようやく卒業することも出来た。
ただ、田舎といえども家の周辺には大半の施設がすべてそろっている。
それに、私たちが購入してから全ての区画の家も半年ほどですべて完売。
みんな幼い子がいる良い家族ばかりだ(私よりはみなさんだいぶ若いが)。
今回の一連の流れは私たち家族にとって良かったようだ。
息子も今年の春からは、いよいよ年長さんとなる。
最後にブログを更新して、その時からすれば予想出来なかったくらいに言葉も覚え、ひらがなや数字も読めるようになった。
さらに、自分の言葉で今日あった出来事を一生懸命に伝えようとする。
幼い頃のあどけないかわいさとは違う、成長して少しお兄さんになった息子は息子でやはりかわいい。
宿泊業界も空前のインバウンドブームで、このブログを始めたコロナ禍とは全く違う世の中に変わった(日本人には気軽に旅行を楽しめる金額ではなくなったのは残念ですが)。
急激に忙しくなり辛い部分もあるが、家族のためにもこの変化を受け入れていかなければ。
最後までご覧いただきありがとうございます。
子どもは哲学者!?

※頭を掻きながら川の流れをただただ眺める息子(3歳の頭の中で何を思っているのか気になります)。
ちょっと前までとは違い、私が通勤している博多駅も連日キャリーバッグを持った多くの観光客で賑わいを見せております。
私は宿泊業界にいながらも「全国旅行支援」には反対派なのですが、本社は宿泊客が増えて一安心しているようです。
落ち着いて旅行に行きたい方であれば、「全国旅行支援」後がいいと思います。
宿泊施設も急激な予約の落ち込みを懸念して、クーポンの配布こそありませんが宿泊代金をかなり抑えてくるので、トータルでみればその方がお得だと思います。
さて、余談はさておき今回の話に移ります。
私は休日ともなれば、妻の余暇を確保するために3歳の息子と2人でお出かけするのですが、最近その時にかなりプレッシャーを感じる場面に出くわします。
それは何かと言えば、息子の「質問攻め」です。
例えば散歩の時。
息子「ねーねー。これ見て見て!」
私「うん?何?」
息子「これなーに?」
私「黄色いお花だねぇ」
息子「・・・。なーに?」
私「小さい黄色いお花だね、、、」
息子「うーん。ちがう!」
私「いやいや。小さいお花だよ、黄色の」
息子「・・・」
これは何かと言いますと、要はきちんとした名称を息子としては聞きたいのです。
例えば
息子「パパー、パパー。ねぇねぇこれ見て」
私「うん?どれ?」
息子「これー」
私「あー。電柱ね」
息子「あ。でんちゅうかぁー」
私「そう。電柱」
息子「そうか!でんちゅうかー」
と、さっきと違い納得してくれるのです。
私も53年間生きてきましたし、大抵の物の名称は分かるつもりでいましたが、息子の質問は多岐にわたるため、花や虫、木や草の細かい名称まではよほどメジャーではない限りさすがに知りません。
先ほどの電柱にしても、電柱から出ている電柱を上るために手や足をかけるところの名称とか(笑)。
とにかく息子はすべての物の名称を聞いてきますから、私は自分の「無知」さにただただ落ち込むこともしばしばあります。
息子も息子できちんとした名称で伝えないとすぐに「ちがーう!」と言います。
だから私が「電柱から出ている棒じゃない?」なんて自信無く言えば、
「うーーん。ちがーう!!」と私の表情を見て「ダメ出し」してきます(汗)。
自信の無さが息子に波動として伝わるんでしょうね。
ちなみに先ほどの電柱から出ている棒ですが、正しくは「足場釘もしくは足場ボルト」と言うようです。
確かにこの世の中にある物の名前は大抵知っていると思い、普通に暮らしていた私からすれば、息子の質問は恐怖でしかありません(まぁ恐怖はあくまで冗談ですが、焦りはあります)。
生きていて何気に目にはするけど、細かい部分の名称までは皆さんもあまり気にしないかと思います。
現在、言葉の吸収力が絶好調の息子。
とにかく目についた物を「あれ?これは名前が分からないぞ。これは何だ?」と感じるのでしょうね。
なのでいつも「これなーに?」の連続です。
以前「興味は未来への活力!」という記事を投稿したので、それはそれで非常にありがたいのですが。
そんな恐怖のやり取りを息子としていて私は思いました。
これは「哲学の父」ソクラテスではないかと。
ご存知の方も多いかと思いますが、ソクラテスは「問答法」というやり方でとにかく人に対して質問を繰り返した哲学者です。
息子も素直な気持ちで私に質問を繰り返してきますが、ソクラテスも「自分は何も知らない」というスタンスで人を質問攻めにし、そして新しいことをどんどん吸収していきます。
その結果、自分が他の人よりも賢くなれると。
まさしくソクラテスが行った「不知の自覚」を私はひしひしと感じてしまいました。
「知ったかぶりじゃないのか俺は。本当に何を見て生きてきたんだろうなぁ」と。
でもその息子の質問攻めのおかげで私に新たな「単語」が刻まれる機会も増えました。
先ほどの「足場釘」のように。
以前も書きましたが、「親は子どもの成長を手助けする」という見返りに「子どもが親を人として新たに成長させてくれる」
まさしく成長させてもらっています(笑)。
私も私で息子に「パパは何でも知っている」って思われたいですしね。
そういったこともあり、最近は少しずつですがあらゆるジャンルの「図鑑」を買い揃えだしました。
息子のためというより、今は私のためにと言った方が正しいですが(笑)。
「人生は学びの連続」なんて言われますが、まさしくその通りです。
「さぁ、また仕事に子育て、そして勉学にも励まなきゃ!」
最後までご覧いただきありがとうございました!