子どもは哲学者!?
※頭を掻きながら川の流れをただただ眺める息子(3歳の頭の中で何を思っているのか気になります)。
ちょっと前までとは違い、私が通勤している博多駅も連日キャリーバッグを持った多くの観光客で賑わいを見せております。
私は宿泊業界にいながらも「全国旅行支援」には反対派なのですが、本社は宿泊客が増えて一安心しているようです。
落ち着いて旅行に行きたい方であれば、「全国旅行支援」後がいいと思います。
宿泊施設も急激な予約の落ち込みを懸念して、クーポンの配布こそありませんが宿泊代金をかなり抑えてくるので、トータルでみればその方がお得だと思います。
さて、余談はさておき今回の話に移ります。
私は休日ともなれば、妻の余暇を確保するために3歳の息子と2人でお出かけするのですが、最近その時にかなりプレッシャーを感じる場面に出くわします。
それは何かと言えば、息子の「質問攻め」です。
例えば散歩の時。
息子「ねーねー。これ見て見て!」
私「うん?何?」
息子「これなーに?」
私「黄色いお花だねぇ」
息子「・・・。なーに?」
私「小さい黄色いお花だね、、、」
息子「うーん。ちがう!」
私「いやいや。小さいお花だよ、黄色の」
息子「・・・」
これは何かと言いますと、要はきちんとした名称を息子としては聞きたいのです。
例えば
息子「パパー、パパー。ねぇねぇこれ見て」
私「うん?どれ?」
息子「これー」
私「あー。電柱ね」
息子「あ。でんちゅうかぁー」
私「そう。電柱」
息子「そうか!でんちゅうかー」
と、さっきと違い納得してくれるのです。
私も53年間生きてきましたし、大抵の物の名称は分かるつもりでいましたが、息子の質問は多岐にわたるため、花や虫、木や草の細かい名称まではよほどメジャーではない限りさすがに知りません。
先ほどの電柱にしても、電柱から出ている電柱を上るために手や足をかけるところの名称とか(笑)。
とにかく息子はすべての物の名称を聞いてきますから、私は自分の「無知」さにただただ落ち込むこともしばしばあります。
息子も息子できちんとした名称で伝えないとすぐに「ちがーう!」と言います。
だから私が「電柱から出ている棒じゃない?」なんて自信無く言えば、
「うーーん。ちがーう!!」と私の表情を見て「ダメ出し」してきます(汗)。
自信の無さが息子に波動として伝わるんでしょうね。
ちなみに先ほどの電柱から出ている棒ですが、正しくは「足場釘もしくは足場ボルト」と言うようです。
確かにこの世の中にある物の名前は大抵知っていると思い、普通に暮らしていた私からすれば、息子の質問は恐怖でしかありません(まぁ恐怖はあくまで冗談ですが、焦りはあります)。
生きていて何気に目にはするけど、細かい部分の名称までは皆さんもあまり気にしないかと思います。
現在、言葉の吸収力が絶好調の息子。
とにかく目についた物を「あれ?これは名前が分からないぞ。これは何だ?」と感じるのでしょうね。
なのでいつも「これなーに?」の連続です。
以前「興味は未来への活力!」という記事を投稿したので、それはそれで非常にありがたいのですが。
そんな恐怖のやり取りを息子としていて私は思いました。
これは「哲学の父」ソクラテスではないかと。
ご存知の方も多いかと思いますが、ソクラテスは「問答法」というやり方でとにかく人に対して質問を繰り返した哲学者です。
息子も素直な気持ちで私に質問を繰り返してきますが、ソクラテスも「自分は何も知らない」というスタンスで人を質問攻めにし、そして新しいことをどんどん吸収していきます。
その結果、自分が他の人よりも賢くなれると。
まさしくソクラテスが行った「不知の自覚」を私はひしひしと感じてしまいました。
「知ったかぶりじゃないのか俺は。本当に何を見て生きてきたんだろうなぁ」と。
でもその息子の質問攻めのおかげで私に新たな「単語」が刻まれる機会も増えました。
先ほどの「足場釘」のように。
以前も書きましたが、「親は子どもの成長を手助けする」という見返りに「子どもが親を人として新たに成長させてくれる」
まさしく成長させてもらっています(笑)。
私も私で息子に「パパは何でも知っている」って思われたいですしね。
そういったこともあり、最近は少しずつですがあらゆるジャンルの「図鑑」を買い揃えだしました。
息子のためというより、今は私のためにと言った方が正しいですが(笑)。
「人生は学びの連続」なんて言われますが、まさしくその通りです。
「さぁ、また仕事に子育て、そして勉学にも励まなきゃ!」
最後までご覧いただきありがとうございました!