子どもの成長記録残していますか?
※我が家に来て約3ヶ月経った頃の息子。私の指を小さな手でギュッと握ってくれた時は感動しました!
朝方は一時期に比べて気温も下がりだいぶ涼しくなってきましたが、昼間はまだ汗ばむほどの陽気なので秋の雰囲気は感じにくいですが、暦の上では秋になりましたね。
秋から連想する言葉のひとつに「秋の夜長」があります。
そんな「秋の夜長」。
虫の音を聞きながら読書にふけるも良し、趣味に没頭するも良しと色々な楽しみ方があるかと思います。
そんな私は「秋の夜長」に限らずとも、夜に密かな楽しみがあります。
それは息子が誕生してから今までの写真や映像を改めて見ることです。
特に休みの前の日などは時間を忘れるほどにじっくりと見ており、愛して止まない息子のかわいさの原点を再発見しています(親バカですが、かわいいものはかわいいんです)。
現在まもなく3歳3ヶ月。
本当にあっという間に大きくなりました。
特に病気もせず、すくすくと成長してくれている息子。
それだけでも十分ありがたいことです。
そんな息子ですが、わずか3年前の写真は紛れもなく「赤ちゃん」です。
当たり前かと思いますが、私が3年前の写真とは大違いです。
子どもはそれくらいの勢いで成長するんです。
その赤ちゃんだった息子も今は104㎝で体重が17kg、靴の大きさは17.5㎝と、年々大きくなり、去年買った服も靴も入らなくなっています、、、。
そんな急成長するこの時期だからこそ、成長の記録はかなり重要だと感じている今日この頃です。
何でそんなことを思ったのかと言いますと、静止画である写真は大量にあるのに、それに反して動いている動画の映像が少ない(泣)
ビデオカメラで撮影していないというのが一番の原因で、ついついスマホの容量を気にしてしまい、映像は長くて1分ほどで、短いとなんと5秒程度 (´;ω;`)
夜ひとりで「あーもっと見たい!見たい!」と、子どものようにめちゃくちゃ悔しがっております。
子育てをしていると何かとあり、かなり忙しいのもありますし、赤ちゃんの頃はひとつひとつ子どもが起こす行動が非常に気になってしまい、「大丈夫か?」といちいち心配して、ただ息子をじーっと観察してしまったのも、動画が少なくなった原因のひとつかと思います。
「何で映像をもっと残さなかったんだお前は!」と、自身についつい突っ込んでおります。
確かに毎日の生活は「通常の日常」です。
息子が赤ちゃんの頃は「赤ちゃんの息子と暮らしている私たち夫婦の日常」です。
何が言いたいかと言いますと、その「何気ない日常」こそが、ジワジワと後から感動を覚えてくるのです。
ただ「あー」とか「うー」とか赤ちゃんの時は言っている息子ですが、そんな「あー」だの「うー」だの言って過ごしている時期は人生の中でもかなり短い期間です。
その短い動画を見ていても、息子の目線はあちこちを見ており、見方によってはこの生まれてきた世の中を、赤ちゃんの息子なりにじっくり見ている風にも取れます。
赤ちゃんで何も言葉を発せないからこそ、その映像の大切さが後から分かるのです。
息子が赤ちゃんの頃の私は「あちこち見てるなぁ」「やたら動くなぁ」等、ただただ「かわいいねぇー」と思って見ていましたが、息子が話せるようになってからの息子と、赤ちゃんで何もしゃべれない時の息子ではそのかわいさが全く違うんです。
「おいおいお前は何が言いたいんだ?」と突っ込まれそうですが、赤ちゃんだからこその映像を見た時に、その映像の「行間」の楽しみ方が今の息子の映像と全く違うのです。
言い方を変えれば、赤ちゃんの時の映像は「見ているものの想像をかき立てる」ものなんです。
今の息子の映像は映像でもちろんかわいいのですが、今の息子の映像は「より現実に近い映像」なのです。
さらに言えば、けっして暴言ではないですが「この世に生まれ、人間になろうとしている生命体」の映像なんです。
今の息子は少し話せますし、きちんと自分の足で歩きます。
あと、自我もきちんと出します。
赤ちゃんの頃であれば差し出した物を何の違和感も覚えもせずに、お腹が空いていれば口を「あーん」と開けて差し出された物を口にし、「ニコッ」と笑います。
今は「〇〇ちゃん、それいらない」「〇〇ちゃん、それほしいー」ときちんと個人の意思を出して、食べ物飲み物を選別します。
それはそれで息子が意思を持ったことに安心を覚えますが、私も私で「これは好きな物だし、今日はこれ食べるって言うだろうな」と、ある程度想像がつきます。
赤ちゃんの頃はそれが「予定調和」で終わらない流れだから余計面白いんです。
そんな貴重な成長過程で、「特に何も起こらないから、動画はあまり撮らなくてもいいか」と思った、当時の私を悔やんでおります。
「でも写真はたくさんあるんでしょ。それならいいのでは?」と思う方もいらっしゃると思いますが、写真と映像は全く別物なんです。
私は1969年生まれなのでもちろん写真しかありません。
当時、動画を持っていたのはかなり裕福な家庭のみでした。
今は誰でも気軽に映像を撮れる時代ですし、ニュースなどでも視聴者が撮影した映像が流される時代です。
ひと昔前までなら、自身が撮影した動画が全国ネットのニュースで流されるなんて想像も出来ませんでした。
そんな時代なのに愛する息子の長尺映像が全く無い私。
当たり前ですが過ぎた時間は取り戻せません。
お子さんが生まれた親御さんに私は強く言いたい!
「何気ない日常でもカメラを回していれば、あとから気づいたり感動する事が多いですよ!」と。
何度も言いますが、その時はその家族にとってのただの日常です。
でも、人生ってただの日常の積み重ねで出来ていますし、特に子どもの幼い時期は一瞬で終わります。
もちろん今の息子は息子でめちゃくちゃかわいいですし、愛情も全く変わっておりません。
その息子が自分では何も出来ない頃の映像はかなり貴重な物です。
ただ私は私の持つiphoneの「ストレージ容量が少なくなっています」というメッセージについつい屈してしまいました。
薄給の私にはかなり辛いメッセージです。
「月額〇〇円で、あなたの容量を増やせます!」と明るく出られても、「毎月かぁ。毎月だと辛いなぁ」としか思えません。
「お金で買えない価値がある。プライスレス」のCMではないですが、その時は目先のお金に私は屈したんです。
それならば、ちょっと面倒でも「PCなりSDカードなりにこまめに移せば良かったなぁ」と‘‘後の後悔先に立たず‘‘です。
「初めて家に来た時」「初めて沐浴した時」「初めて笑った時」等、全てが初めての場面に沢山遭遇します。
もちろん子どもが赤ちゃんの時の子育ては、特にハードなので撮影する余裕は全くないかとも思います(出産して入院していた妻を病院に迎えに行き、生まれたばかりの息子を連れて自宅に帰った時はかなり緊張しましたし、息子の一挙手一投足に敏感に反応していました)。
全てを初めてにこだわらなくとも、赤ちゃんの時の映像を残しておくと、あとから見直した時に色々な思いが浮かんできます。
「何気ない日常を切り取る」⇒「そういえばこの時って子育てにいつも緊張していたなぁ」⇒「そういえばこれきっかけで離乳食を食べだしたなぁ」⇒「このギャグは笑顔を引き出す鉄板ギャグだったなぁ」⇒「この頃から色々興味を持って手にしていたなぁ」⇒「この時期は夜泣きに苦労して寝かしつけ大変だったなぁ」等の思いは写真よりも映像の方が豊かに蘇ってきます。
藤子・F・不二雄先生のSF短編集が好きな私なのに、ヨドバ(宇宙から来たカメラのセールスマン)が売っていた商品に限りなく近づいたこの時代に、目先のお金を気にするあまり、息子の貴重な成長記録を静止画中心で残してしまった私(この例えが知っている人にしか伝わらない例えですみません)。
こんなことを言っているのは私だけで、大半の親御さんはしっかりと映像を残しているかもしれませんが、私のように後悔しないためにも、お子さんが生まれたばかりの方や、今から出産予定の方はぜひお子さんの成長記録をしっかりと残して下さいね!
普段はかなりのやんちゃぶりで、何かと振り回されて辛い思いもさせられますが、成長記録を改めて見ると生まれてきてくれた事に改めて感謝出来ますよ!!
最後までご覧いただきありがとうございました!