ある男の波乱万丈人生の幸せ追及日記 ~愛する息子に捧ぐ~

元役者で転職12回、結婚4回、50才過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。過去を振り返り、これからの人生の幸せを考えて行きます!

地元での初めての就職 ~就職先って大事~

 私は東京を離れ九州の地元に戻りました。

しばらくは祖母を病院へ連れていくために、求職活動をしながら生活していました。

ずっと一人暮らしをしていたこともあり、久しぶりの実家生活は非常に窮屈には感じました。

 

 私の中では実家にいた時代は小・中とあまり良い思い出が無く、地元だと小・中の友達付き合いが大切なテリトリーになるので、東京に出てから周りと10年以上音信不通だった私としては、地元という環境になおさら馴染めない人間になっていました。

 

 ただ、祖母は生前孫の中でも特に私を可愛がってくれたこともあり、祖母に恩返しをしたいとの思いで地元へ帰ったため、私の中では非常に保守的で嫌いな地元を受け入れるしかなかったと思います。

 

 弟が県下で一番の高校に通っていたこともあり、近所の人に会うたびに弟と勘違いされ、「あーあの高校に行った人だね」という言葉をしょっちゅうあちこちで言われ、私は否定するしか返答が出来ず、否定したら否定したで、「あんたどこ高校だった?」とか聞かれ、答えれば答えたで「・・・」となるし、とても嫌な気持ちになったことを覚えています。

人の価値をそこでしか周りは見ないのか」と。

 

 それから半年ほど経ち、祖母の病気も無事完治しましたが、完治してからしばらくして階段から転げ落ちる事件がありました。

階段から落ちたのがきっかけかどうかは定かではないですが、そこから祖母の痴呆の兆しが見えてきました。

 

 そのころ私は地元の不動産会社の賃貸営業に従事していましたが、社長の奥様、息子、娘、他私を入れて3名が働いており、ほとんど家族経営のような会社でした。

仕事自体は理想の部屋探しのお手伝いが出来ることもあり、とても楽しく働いていましたし、それなりに成約率も高く頑張っていたと思います。

ただ1年ちょっと経ったある日、社長の息子さんが結婚するという事で新居を探していたのですが、その時に社長の奥様と息子さんの間で話していたことが聞こえてきて一挙にモチベーションが下がってしまいました。

 

 その内容は給料の事で、どんなに私が成約しても給料は増えませんが、息子さんが結婚したことで奥様が「40万くらいあればいい?」「それとも45万?」みたいな会話をしていました。

その時の私の給料は額面で18万円だったので、手取りは13万から14万ですした。

前職ではその倍以上もらっていたのですが、「東京と違って地元は時給単価も安いし、仕方ないか」という気持ちで臨んでいましたが、その話を聞き心では「そんなに儲かっているのに、息子や娘以外には還元しないんだ」と思ってしまいました。

 

 年を重ねた今では「家族経営なんてそんなものだよね」という気持ちが先行し、そういう企業に面接で行ったら気付くとは思いますが、当時正社員として2社目の私は気付く術など持ち合わせていなかったし、仕方ないと思います。

 

 それからしばらくして私は退職届を提出しました。

当時32才でこれからまた結婚はしたいと思っていましたし、何か自分の価値の低さにやるせない気持ちになったことを覚えています。

 

 私は役者以外は食べていくには何でもいいやという基準で仕事を決めていたため、その後も職を転々とすることとなります。

今は転職も当たり前の時代ですが、転職をするにも自分のスキルを磨いていかないとどんどん自身の価値を下げるだけです。

転職するにも目の前のことばかりではなく、きちんと将来を見据えて動かないとなかなか経済的自由ひいては精神的安定は得られないのではないかと子供が出来たこの年になって気付いた馬鹿な私でした。

 

 皆様へ

人生設計は早め早めが大事ですし、私のようにこの年になり右往左往するよりも、仕事を選べる年代の内に将来のことを考えて明確なビジョンのもと行動したほうが苦労を最小限に食い止められると思います(お前に言われなくても分かってるよという声が聞こえてくる気がしますが)!

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!