意志の強さは生きる強さ!?
子育て中のお父さんお母さん、日々お疲れ様です。
我が家の息子ももうすぐ2才。
振り返れば色々ありましたが、あっという間に過ぎた気がします。
一番最初に病院から我が家にやってきた時がとても懐かしく感じる今日この頃です。
我が家に迎えるにあたり、マイカーに慣れないチャイルドシートの設置や、ベビー布団の準備、それからおむつの準備やおしり拭きの購入など、妻が退院する前に色々取り揃えて、何かと緊張していたのを覚えております。
妻の入院中、仕事終わりに息子を病院へ見に行ってはおりましたが、改めて家に迎え入れてこれからずっと育てていくとなると、期待と不安が交錯して「本当に自分に父親がつとまるのか?」と自問自答して来るべく日を待っていました。
それから自宅で息子を育てる日々がスタートするのですが、どちらかというと最初のころは手もかからず、あまり泣かない子だった気がします。
よくお乳は飲み、起きている間はまだ目もはっきりと見えていない状態だったのでしょうが、あちこちを眺めているような子でした。
ただ、赤ちゃんの頃からあまり寝ない子で、授乳で疲れている妻に代わり、夜は私が抱っこして寝かしつけをよく行っておりました。
今もその名残なのか、私に抱っこをされるのが大好きな子です。
当時は石川県に住んでおりましたので、冬は石油ストーブを使っていたのですが、その頃にちょうど息子がハイハイしだしたころで、ストーブに向かって行くのに細心の注意を払いながら、冬を越した記憶があります。
ハイハイしだしてからは、家の中をよく動き回るようになり、とにかく赤ちゃんのころからジッとしているのが嫌いな子でした。
初めてお乳以外の離乳食を与えた時も、何の違和感もなく口に入れて食べてくれましたし、赤ちゃんのころから新しいものに対し、まったく抵抗のない子でした。
昨年福岡へ異動になり、福岡での暮らしが始まりましたが、前にもブログでお伝えしたように、異動早々休業となってしまい、息子が初めて歩く瞬間もその場で見ることが出来ました。
それからさらに1年が経ち、現在です。
昨年と何も変わらずのコロナ禍ですが、昨年私が歩けるようになった息子とずっと遊んであげていたせいか、遊ぶと言えばパパという認識が息子にはあります。
家事で忙しい妻とは違い、私は休みの日に遊んであげるため、ある程度息子の気が済むまでとことん遊んで上げるのですが、そのせいもあってか最近息子が私と出かけたがります。
それはそれでうれしいことなのですが、息子と公園に行ったり買い物に行った時に、息子の中では自由にさせてくれるパパの認識もあってか、スーパーやホームセンターでおとなしくカートに乗ってくれなくなりました。
カートから降ろせば、今は自由に歩き回れますから、店の陳列物を何でも触ってしまいます。
物によっては触っていいものもありますが、やはり店にとっては売り物ですから、私としては気が気ではありません。
そこで「もと。だーめ」とひとことでも言えば「わーーーん」と泣き出し、機嫌を損ねます。
機嫌を損ねたら損ねたで、ずっと抱っこしてあやしてあげないと収まらなくなります。
妻に聞けば、妻と行った時にはそのような行動は取らないそうです。
やはりパパは何でも許してくれる人という認識なんでしょうね、、、。
私と行くと、自分が気に入ったものを触らせないと癇癪を起こすので、私は買い物中得もいえぬ緊張感に包まれます。
公園だけに連れて行けば楽でいいのでしょうが、色んなことを見せて上げたいという気持ちが私の中にあり、買い物にも息子と二人で行くことが多いです。
現在の息子はイヤイヤ期です。
そのイヤイヤ期の関係で癇癪を起こしているとも思えますが、息子は元々何でもかんでも自分でやりたがる子です。
私たちがすることをじーっと観察して、すぐにそれを真似したがります。
だからいつの間にかストローで飲み物を飲めるようになり、現在はペットボトルから直接飲むことが出来ます。
また、スプーンやフォークをうまく使い、自分で口に運んで食べています。
世の中のお子さんと交流がないので、この1才11ヶ月でどの程度出来ていれば正解かというのは分からないですが、そういった自主性が息子にある点は、私たち夫婦にとっては正直非常に助かっております。
ただ、これは無理でしょってことも自分でやりたがるので、そこの線引きが難しいですね(例えば包丁で物を切ったり、はさみで紙を切ったり等)。
先日のブログでも息子のことに触れましたが、子育てって奥が深いですし、正解が分からないから、常に色々と悩みますね。
ある程度自由にさせてしまうと、将来わがままな子になるんじゃないかとか、時に悩んだりもしますが、もとはまだ1才11ヶ月。
この息子の強い意志は、生きる力が強いんだと自身に言い聞かせている私でした。
本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!