喜寿を迎える父
つい先日、4月を迎えたかと思いましたが、今月も残り僅かですね。
新生活をスタートさせた皆様は、新しい生活に少しだけ慣れた時期かと存じます。
さて、来月5月は私の父と息子の誕生日がある月です。
来月で私の父もついに喜寿を迎えます。
喜寿と言えば生前祖母が喜寿を迎えた際にお祝いを送りましたが、まさか私の父がそれを迎えるなんて非常に感慨深いものがあります。
息子は来月2才となり、その差なんと75才!
ちなみに私が77才を迎える時には息子は27才。
私が25才の時に祖母の喜寿のお祝いをしたことを考えると、かなりの違いに驚きを隠せません。
父は東京で生まれ育ち、私の母の故郷である九州に行ってからすでに53年。
方言も分からず土地勘もまったく無い地で、私と弟を育て上げてくれました。
私は長男だったこともあり、そのぶん期待も大きかったのだと思いますが、昔の父はとても恐くて厳しいイメージしかありませんでした。
いつも無表情で、仕事から帰ってきてもだまってご飯を食べている姿しか、私の幼い時の記憶は無く、前にもお話したように私が成人するまではほとんど口を聞いた覚えがありません。
あくまで想像ですが、父は子どもという存在が私と同じように苦手だったのかもしれません。
子どもと接するには、ある程度自身のレベルを下げて接さなければ、接していても子どもがまったく喜びませんし、もしかしたら当時25才の若かった父は、そこで道化を演じることを自身のプライドが許さなかったのかもしれません。
私も以前ブログにてお伝えしましたが、若い頃は子どもが本当に本当に苦手でした。
やはり親子ですね。
幼い頃は怒られてばかりだった私なので、一時期は父親を恨んでいた時期もありました。
ただ、結局のところ私も父に似ているんですね。
父親も非常に整理整頓好きで、物などもきちんと並べないと気が済まない性分ですが、私にも同じようなところがあります(リモコンなどは向きが揃って並んでいないとダメなほうです。ただ、人には強要しないのが自分で言うのもなんですが、私の良いところだと思います)。
また。カーテンを閉める時に少しでも開いていると気になるのですが、よくよく考えると父も実家で同じ行動をしています。
私は中学生で十二指腸潰瘍になりましたが、父も九州で住み始めて社会人となり、しばらくして十二指腸潰瘍で入退院を繰り返していました。
方言も分からなく慣れない土地で子どもが生まれ、若かった父は父親としてのプレッシャーを感じていたのかもしれません。
実際私に息子が生まれた時には「お前もやっと父親になったか!もう無理かと思っていただけに俺はうれしいよ」と泣いて喜んでくれました。
そんな父から先日引越し先の様子と、もとの近況を知りたいと、LINEでビデオ電話をかけてきました。
昨年私たちが帰省した際に、ガラケーからスマホに変更する手続きに同行し、スマホの扱い方を父にレクチャーしてきました(同行しないと店員さんに余計な情報や、高いプランでの加入を勧められそうだったので)。
変更させた一番の理由は、私の息子や弟の娘さんの画像や動画を簡単に送れるし、わざわざアルバムにして郵便で送ったり、DVDにして動画を送ったりする手間がかからないですし、何より父も母もその場ですぐ見られるため、私が前々から父に勧めていたのです。
昔だったら私に何かを教わるなんて許せなかった父が、私の言う事に素直に耳を傾けるなんて想像も出来ませんでしたが、「老いては子に従え」を最近は実行してくれます。
話は変わりますが父は読書家で、若い頃は暇さえあれば本を読んでいました。
メーカーの営業職で、土日は接待ゴルフなどにも駆り出されることが多く、課長や次長時代までは当時の社長の運転手も兼務していたので、今思えば家族を養うために非常に身を粉にして働いてくれていたのだと思います。
そんな時間が無い中でも、人に少しでも負けたくないという気持ちから、あらゆるジャンルの本を読んで知識を得ていたと母から聞いたことがあります。
まぁなんだかんだ言っても、私は何かと紆余曲折がありましたが、人様に迷惑をかけるような人間にはならなかったですし、今があるのも父と母のおかげですね。
そんな私の父も、冒頭でも述べましたが喜寿を迎えます。
名前の通り本当に喜ばしい年になるように、毎年誕生日にはプレゼントを送っておりますが、今年はちょっと奮発しようかと思います。
あとは最高のプレゼントである「生の孫」を見せて上げられればいいのですが、いかんせんコロナ禍、、、。
生孫はもうしばらくお待ち下さい!
最後に。
孫の成長を少しでも長く見られるよう、これからも元気で長生きして下さい!
本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!