ある男の幸せ追及と子育て日記

元役者で転職15回、結婚4回、50歳を過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。子育てや所感を中心に人生の幸せを追求していきます!

ボタンの掛け違いが起こらなかったからこそ

 私の父は祖父が売れない舞台役者だったことから、子どもの時はかなり貧乏な家庭だったそうです。

 

 理由は詳しくは分かりませんが、父方の祖父は英語が堪能だったそうで、主な収入源は進駐軍の通訳で得たお金だったと父から聞きました。

 

 ただ、貧乏であったにも関わらず、祖父の仕事の関係で、当時の日本ではなかなか手に入らなかったチョコレートを食べる事が出来たことが、唯一うれしかったと話していました。

 

 父は長男で、5才下の弟と8才下の妹がおります。

 

 後に、祖父と祖母は離婚してしまうため、長男であった父は家計を支えるために、中学生の頃からアルバイトをし、その稼いだお金をすべて家に入れていたそうです。

 

 高校生の時も、弟と妹の学費を稼がなくてはならなかったので、夜間の高校に入学して、昼間は仕事をして夜学校に通うという学校生活を送っていたそうです。

 

 父は父で、若いながらも長男として生まれたことへの重圧があったに違いありません。

 

 その後競艇選手を目指し、父の実家に近い東京の大森にある養成所に入校します。

 

 父としては貧乏な家庭で育ったことの悔しさをバネに、競艇選手として活躍し、賞金王を目指して頑張っていたのでしょうが、その時弟がまだ中学生で、妹が小学生です。

 

 養成期間を終え、プロ試験にも無事合格し、さぁこれからという時に私の母と出会ってしまいます。

 

 父が高校生の時に働いていた喫茶店があり、父はそこを辞めてからもちょくちょく顔を出していたようで、そこで新しくアルバイトに入ったのが私の母でした。

 

 私はお酒が全く飲めませんが、母はかなりの酒豪で、高齢になった今でも缶ビールの500mlを最低1日6本は飲みます。

 

 若い頃は毎日4リットル以上は飲んでいたようで、昼間母は普通の会社員をしておりましたが、その給料だけだと酒代で消えるので、その酒代を稼ぐために喫茶店で夜アルバイトをしていたそうです。

 

 酒を飲みたいってパワーだけで副業をするなんて、ある意味偉いですけど、複雑な気持ちになりますね、、。

 

 ただ、その出会いがなければ私はこの世に存在していませんし、そう考えれば母のビール好きに感謝ですかね。

 

 そして母と出会った父は、後に思い切った行動を取ることになります。

 

 父が競艇選手時代に母と付き合い出した訳ですが、付き合い出して何年かした頃に、母を父の母(私の祖母ですね)に会わせたことで事態が急変していきます。

 

 祖母は母が九州から出てきた田舎者という事が気に食わず(それもひとつの原因かもしれませんが、一番は女手ひとつで育てた長男を、違う女に取られてしまうという気持ちが大きかったんではないかと思います)、事あるごとに母に嫌味ばかりを言ってきたそうです。

 

 母は次女で、性格は自由奔放です。

 

 そして、そこまで我慢強い性格ではないため、ある日突然祖母の口撃でタガが外れてしまい、会社を辞めて東京の住まいを引き払って実家に戻ってしまいます。

 

 余程耐えられなかったんでしょうね、、。

 

 ただそのままですと私はこの世におりません。

 

 母が実家に戻って数ヶ月後、父が競艇を辞め、ボストンバックひとつで母を追いかけて九州にやって来るのです。

 

 母も父が嫌いになった訳では無かったようですし、そこまでの行動力で母の元にやって来た訳ですから、驚きを隠せなかったとともに、そんな父を母も受け入れない訳にはいかなかったようです。

 

 父は父で、青春時代を弟や妹のために費やしていたのに、好きな人との交際を認めてくれなかった祖母へ反逆の狼煙を上げたんでしょうね。

 

 実際、父から祖母の悪口を聞いたことがありませんし、父はむしろ遠く離れた祖母をとても大事にしていたと思います。

 

 若かった父が祖母を納得させるには、自分が出て行くことでしか解決策を見い出せなかったのかもしれませんね。

 

 それから1年ちょっとして、ようやく私がこの世に無事誕生します。

 

 母が東京から来た父を受け入れてなくても、また父が実家に帰ってしまった母を追いかけなくても、この事は成立しません。

 

 人生ってちょっとしたタイミングひとつで、いかなるようにも変化するんだなと改めて感じました。

 

 私も今の妻と交際中、別れに発展しそうな大喧嘩をしたことが何度かあります。

 

 それこそ、その都度私が追いかけて謝らなければ、今のように結婚に至ってないと思います。

 

 そうなると愛する息子も現在いません。

 

 よく子宝って言いますが、付き合うことに真剣に向きあった二人に対する宝なのでしょうね。

 

 その息子が大人になったらどんな出会いが待っているんでしょうね。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

未来を担うのは誰?

 GWが明けたと思えば、いきなり緊急事態宣言

 

 私が住む福岡は、今月12日から月末までが正式決定だそうです、、。

 

 先日、職場の同僚と話している中で、こんなやり取りがありました。

「幼稚園の子どもの行事が相次いで中止になるんですよね。遠足も予定されていたんですが、それもまた中止になりました」と。

 

 幼稚園児と言えば我が家の息子と違い、物心がついているわけですし、親としてはこうも色々な事が中止となれば、何と説明して上げたらいいのか悩むでしょうね、、、。

 

 まぁ物心がついているわけですから、「コロナ」という言葉は理解出来るかと思いますが、何でもかんでもコロナで済ますと、後々トラウマとならなきゃいいですが。

 

 実際、昨年春は私の弟の娘(姪っ子)が小学校に入学だったのですが、正式な入学式は行われず看板前でみんな交互に写真を撮っただけだったそうです。

 

 年を取っても幼い頃の記憶って意外と覚えておりますし、「三つ子の魂百まで」とも言われますが、3才を迎えるまでにその子の性格が形成されると聞きます。

 

 そんな大事な時期を迎える子どもたちの、いい思い出になるイベントが次々と奪われていくなんて、非常に悲しい限りですね。

 

 息子は令和元年生まれですが、翌年の令和2年生まれの子たちは出産する母親以外の家族は誰ひとり面会も出来なかったと聞きました。

 

 ご縁あってこの世に誕生し、本来ならパパや、じいじとばあばも生まれてすぐの姿を心待ちにしていたでしょうに、生まれてからしばらくの間、子どもや孫を見ることすら出来ないなんて、、、。

 

 こんな世の中が恨めしくて仕方ないでしょうね。

 

 ニュースでは「子どもが外に出たがるから」ということを理由に、わざわざ人が混雑しているテーマパークやショッピングモール等に出かけている親御さんもいますが、そこは大人として適切な判断を持ち、一度踏みとどまってきちんと考えて行動してもらいたいというのが私の本音です。

 

 私も以前はショッピングモールによく出かけていました(子どもの遊び場や、おむつを替えるのに便利ですし)が、コロナ禍になってからは一度も行っておりません。

 

 あくまで憶測ですが、親の方が楽しみたい(むしろ逃げ場を作りたい)という気持ちがあるのではないですか?

 

 実際、近所のスーパーに息子と食材などを買いに出かけますが、子どもは「あれ見たい!これ見たい!」って言っているにも関わらず、親は「だめっ!いいかげんにして!」と言っている場面を良く目にします。

 

 確かに子育ては大変ですし、広くてお店がいっぱいあれば子どもが他のことに気を取られるでしょうし、そういうところに出かけた方が楽だという考えが出ても不思議ではないです。

 

 ただ単に家族みんなで出かけているという体で、実は子どもを優先するというよりも、親のストレス発散として行っている気がしてなりません。

 

 先日、一度初心に帰りませんかというお話をさせていただきましたが、親の行動を見て子は育ちます。

親がそうしていたら、子どももそうしてもいいんだと認識してしまいます。

 

 公園などでも駐車場にゴミを捨てて帰る家族がいますが、子どもはその親の行動を必ず見ています。

それを見た子どもは「ゴミは外ならどこに捨ててもいいんだ」と間違いなく認識します。

 

 これもまた以前お話した「子は親を映す鏡」ってやつですね。

 

 少し話が逸れてしまいましたが、こういう行動の積み重ねが再び負の連鎖を生んでしまい、今しかないというタイミングの子どもたちや学生さんの思い出をどんどん奪っていっているような気がしてなりません。

 

 同僚の子も、同僚の話では遠足を楽しみに待っていたそうです。

その楽しみだった遠足に行けないと分かった時、その子はどんな思いなのでしょうか。

 

 考えるだけでも不憫でなりません。

 

 先にお話した通り、子どもの頃の体験や記憶は大人になるまで引きずります。

それはどんなに大人になって大成功を収めた人でも、子どもの頃の嫌な思い出は忘れられないとよく耳にします。

 

 私は共働きだった父と母の影響もあり、7才になるまで兄弟も出来なかったので、暗く孤独だった記憶しか残っておらず、それが原因で根暗となり、さらには世の中を斜に構えて見るような子になりました。

 

 その斜に構えた姿勢が、中学校1年生の時の十二指腸潰瘍につながっています。

 

 親が一緒に楽しんであげれば、小さな公園でも十分に子どもは楽しみますし、満足すると思います。

親が義務のようなつもりで子どもを連れ出せば、絶対子どもはそのことに気づきますし、双方何のメリットもない外出となると思います。

 

 ただここでひとつ言えるのは、これからの未来を担っているのは私たちではなく、今の子どもたちです。

 

 もちろん、全てを子ども優先にしろとまでは言いませんが、このまま大人の都合で負の連鎖を続けていけば、将来大人になった時の今の子どもたちの行く末が心配になります。

 

 なぜかみんな、子どもから学生を経て大人になっているのに、大人となった途端に子どもや学生に対して厳しくなっている気がします。

 

 自己都合ですね。

 

 「若者が悪い、若者が悪い」と街に繰り出して路上で飲んでいることに対して厳しい意見も多いですが、ではあなたたちが若い時や学生時代は模範生として過ごしていましたか?と訊いてみたいです。

 

 若さってそんなもんですよ。

意味もなく抗うんです。

人はダメで自分は良いなんてエゴ以外の何ものでもありません。

 

 その無茶を経てみんな大人になっていくのですから。

 

 確かに先行き見えない状況で、大半の大人たちも心配でイラついているかと思いますが、ここは大人が模範となり示していかない限り収束には近づきませんし、終息は夢のまた夢です。

 

 未来を担う子供や若者たちの貴重な思い出のためにも、ここは大人が踏ん張る時だと私は思います。

 

 政治家の悪口は誰だって言えます。

彼らは悪口を食い物にするのが商売だと私は思います。

 

 選挙が近づかない限り、恐いものは何もない強心臓の持ち主の集団です。

 

 だから言えば言うだけ彼らも抗うんです。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

ストレスで、、

 連日コロナのことばかりを考えていたせいか、一時期は歯ぎしりを寝ている時にしていなかったのに、ここ最近また再開していると妻から報告を受けました。

 

 これは完全にストレスですね、、、。

 

 夜、棒状のアイスを息子に食べさせようと思い、棒のまま渡して喉を傷つけたらまずいため、私が前歯で砕いてあげていたのですが、その時に「ガリッ」と明らかにアイスの音ではない鈍い音がしました。

 

 「え?」っと思った私がおもむろに前歯を触ると完全にグラグラしていました。

 

 前歯の2本の内の1本は差し歯なのですが、どうやらその差し歯が取れかかったのかと思い、自身では為す術もないため、その夜はそのままやり過ごしましたが、朝起きてももちろん状況は変わることなく、やはり前歯がグラグラしています。

 

 このまま仕事中に外れてしまっても困るため歯医者に電話をし、出勤前に見てもらったのですが、どうやら差し歯の根本が完全に折れているようでした。

 

 だいぶ前のことですが、前歯ということもあり奮発してセラミックの歯を入れました。

 

 ただ、まさかこのコロナ禍の中、昇給も無く夏のボーナスも全く見込めない時期に折れるとは、、、。

 

 残念です。

 

  今回は潔く保険適用の歯で決定です。

 

 今日は仕事だったこともあり、接着剤のような物で応急処置としていったん固めてもらい、次回以降本格的な治療をしてもらう予定にしました。

 

 しかし、前歯。

 

 食べるきっかけって前歯ありきなので、前歯がきちんと機能しないのは辛いです。

 

 無くなって初めて気づくことってありますよね。

 

 たとえば指の怪我だとか。

普段何気なく使っていたんだなというのが、負傷して初めて分かります。

 

 

 普段から歯磨きには気をつけているつもりですが、時間が無い時はササッと磨いていたことは否めません。

 

 本当に歯って生活を送る上で大事だなと改めて思いました。

 

 前々からメンテナンスに行こう行こうと思ってはいたものの、ここ10年で10回以上引っ越しておりますし、一度歯医者に行くとしばらく通わないといけなくなるため、気持ち的に敬遠しておりました。

 

 今回の住まいは長く住む予定ですし、就職先もようやく落ち着いたんだから、今後自分の歯を大切にする意味でも「きちんと歯医者に行きなさい」というお告げだったのかもしれませんね。

 

 息子の乳歯は、乳歯でこれから生え変わるはずにも関わらず、きちんと歯磨き入念に練習させているのに自身は、、、。

 

 実際先生にも「いつも力を入れて短時間で磨いているでしょ?」と訊かれましたし、プロが見ればあっという間にバレるんだなと思いました。

 

 その力で歯茎が痛んでいるようで、「今後は時間をかけて優しくブラッシングして下さいね」と言われました。

 

 確かに入れ歯なんかになれば美味しいものも美味しく食べられないでしょうし、これを機にきちんと守っていきたいと本気で思いました。

 

 自身が老人になって、自分の歯が残っているのといないのでは、かなり生活に違いがありそうですしね。

 

 ただ、元を正せばストレスが原因。

 

 先日の夜、「寝耳に水」のニュースが入ってきました。

 

 それは福岡県の緊急事態宣言です。

 

 まん延防止等重点措置は出るとは聞いておりましたが、まさかの飛び越え!?

 

 またまた営業に影響が出るのは明白です、、、。

 

 確かにまん延し始めている中、防止では意味がないですが。

 

 でも今の緊急事態宣言ではあまり意味が、、、。

 

 だめ。だめ。

こんなことばかり考えるからまたストレスになるんですよね。

 

 しかし、宣言出されると会社のイメージや、コンプライアンス的にも普段通りには動けないのが事実です。。

 

 この会社に入社した時は気が張っていたのか、毎晩歯ぎしりしていたそうですが、ここ最近は無かったそうです。

 

 昨日もお話ししましたが、出口の見えないトンネルを1年以上も歩き続けると、心の奥底では自ずとストレスを感じているんですね。

 

 感じないようにしたくても、緊急事態宣言が、、、。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

GW明けから怪しい雰囲気

 GWも過ぎてしまえばあっという間に終わりました。

 

 蓋を開ければ、それぞれが思い思いに移動して楽しんだような報道もありましたが、我が家は毎日近所の公園のローテーションで結局終わりました。

 

 それはそれで息子も喜び楽しかったですが。

 

 どこかに行きたいと旅行する方を批判するつもりもないですし、これだけ自粛自粛となると精神衛生上良くないと思われる方もいるとは思いますから、それぞれが考えて行動した結果だと思っています。

 

 私としては、「来年こそは!」と思いたいですね、、、。

 

 

 さぁ気を引き締め直して仕事!と思った矢先、旅行会社の担当者は開店休業状態です。

 

 輪番制で休業を回しているようで、いかにこの業界が瀕死の状態かという表れだと思います。

 

 以前もお話ししましたが、私は現段階でのGoToトラベルは反対です。

コロナ禍の中、リスクを取りながらの旅行ですと心底楽しめないからです。

 

 しかし、このままの状態ですと私の会社も休業を回すことにもなりそうで、かなりドキドキしております。

 

 私は仕事が営業なので、団体や小団体の案件を受注するのが目的の仕事です。

ただ、こうも取り巻く環境が沈んでいる状態では非常に厳しいものがあります。

 

 今後に少しでも期待を持ちたい気持ちもありますが、こうもコロナ対策が後手後手になっていると、このまま永遠にこの状況が続いてしまうのではないかと考えてしまいます。

 

 昨年のように初心に帰って、一斉に自粛するしか手立てもなさそうですが、またその後に結局は緩やかな曲線を描いて戻ってしまうというシミュレーションも出ておりますし、本当に正解が見えないですね。

 

 ワクチンもまだまだのようですし、インド株なるものも現れました。

 

 これでは完全な「いたちごっこ」ですよね、、、。

 

 少し先に旅行会社との商談会なるものがあったのですが、それも本日正式に中止となりました。

 

 経済が疲弊するのを国民の大半は嫌って、こんな状況下の中でも会社勤めを行っているのに、明るい話題がこれっぽちもないのは非常に辛いです。

 

 ただ、この第4波は子どもにも影響があるなんて話も出ておりますし、子を持つ親としては心配な気持ちと、家庭を支えなきゃという気持ちの間でとても複雑に揺れ動きますよね。

 

 出口が見えないトンネルを歩き続けているのと同じで、本当に出られるのかという不安がつきまとっているのと同じですよね。

 

 こうしている間も、ホテルは色んなことに耐えながらの運営を続けております。

 

 今は現場から離れてしまいましたが、最前線でお客様相手をしているスタッフも不安で不安で仕方がないと思います。

 

 これだけ世間がマスクをしていても、GW期間中にマスク着用を守らないお客様がいるというのを聞き、同じ大人として残念で仕方ありません。

 

 もちろんサービス業の根底はお客様をもてなすことですが、海外などのホテルではホテルスタッフとお客様とは対等だという考えが根強いのも事実です。

 

 日本だとサービス業従事者は、まだまだ下に見られることが多いので残念ですが、、、。

 

 そういうマナーを守れない方に限って、スタッフに対して高圧的な態度を取ることも多いですが、そんなことでしか自分の虚勢を張れないなんて寂しいものがあります。

 

 そういう方がひとりいるだけで、他のきちんとされたお客様にも不快な思いをさせてしまいますし、受付するスタッフももしかするとと感じてしまい、接客中も気が気ではないと思います。

 

 マスクの効果云々は別として、そこは最低限守って欲しいと願います。

 

 あと、お客様でもアルコール消毒をしてくれない方も散見されるようで、現場は本来の業務以外にもそういうことで気を使い過ぎで、かなり心労が溜まっているようです。

 

 確かに以前は男性トイレでも用を足した後に、手洗い場に行列が出来ていましたが、今やすっかり元に戻った気がしてなりません。

 

 慣れって怖いですね。

 

 みなさん今一度初心に帰りませんか?

 

 いつまで続くか分からないこの状況。

 

 「明けない夜は無い」を信じて乗り切るしかなさそうです。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

子どもの日に思ったこと

 今日は5月5日。

 子どもの日ですね。

 

 私が子どもの頃はまだ昭和40年代だったこともあり、意味もなくあちこちを駆けずり回ったり、探検と称して山の造成地を目指したり、川で魚やエビを取ったりと、現代ではやらない(むしろできない)ようなことばかりして遊んでいました。

 

 当時は高度経済成長期で、次々に出来る新興住宅地や、新しい道路の整備、アメリカからファストフードなる物が入ってきたりして、子どもながらに何か世の中が大きく変わっていく雰囲気を感じていた気がします。

 

 もちろん雇用は終身雇用制で、入社すれば給与は右肩上がり。

ボーナスも毎年のように増えていっていたため、当時サラリーマンだった父が電子レンジやビデオデッキなど、常に時代の最先端となる物を次々と揃えていった時代でした。

 

 そういう時代を見て育った私でしたので、大人になるってことは便利な生活を送る事が出来る夢への第一歩で、頑張れば頑張った分だけ豊かになれるという希望に満ち溢れていた雰囲気でした。

 

 まぁ結局はバブル崩壊で終焉を迎えてしまいましたが、、。

 

 今の新社会人は、生まれてから不景気な日本しか見ていないため、少ない給与でも確実に貯金するって記事を見た事がありますが、スマホやゲーム、アニメ以外の物への執着はあまりないようですね。

 

 もちろん大豪邸に住み、高級品に囲まれて生活してるからって幸せ?と思う気持ちもありますが、ここ20年間の日本はまったく国民の所得も上がってないようですし、むしろ社会保険料は上がり続けているわけですから、実際の所得はどんどん減り続けているようですね。

 

 このまま国民がお金を使わなければ経済は回っていきませんし、そこへ追い打ちのようなコロナ禍で、この負のスパイラルはまだまだ続くのでしょうね。

 

 そういった希望のない社会の弊害か、今の新社会人は「ノー残業、ノー飲み会、ノー管理職」が就職先を選ぶ最大のテーマだという記事を見たことがあります。

 

 もちろん不当な残業や、強制的な飲み会に対しては私も反対派ですが、みんながみんな上を目指していかない世の中に変わってしまえば、極論ですが社会主義国家のようになるのではと懸念しております。

 

 そして近い将来の日本は、他の先進国に置いて行かれるのではないかと(すでに置いて行かれている感は否めませんが)、、、。

 

 世の中がギスギスしてしまうのは、大抵不景気の世の中です。

 

  私が以前業務委託でやっていた、某全国ホテルチェーンは景気が良いと応募者が少なく、景気が悪いと応募者が増えるという傾向があります。

 

 不景気だと労働時間が長くても、確実な報酬を得られる方へ世の中の気持ちが傾くってことだと思います。

 

 やはり貯蓄を増やして、少しでも経済的不安を無くしたいんでしょうね。

 

 今年も5ヶ月経ちましたが、本当に明るい話題もなく、重要な立場の方たちが揚げ足を取り合っている気がしてなりません。

 

 いつからこんな風になったんでしょうかね、、、。

 

 みなさん自分の都合ばかり優先し、自分の言いたいことばかり主張し、都合の悪い事には一切耳を貸さない。

 

 とても子どもの日に書く話題ではありませんが、子どもの日だからこそ子どもの将来を考えてしまい、こういった内容になってしまいました。

 

 私の息子が私の年令に至る時には、私は102才なので間違いなく死んでいます。

 

 医療の進歩で、もしかすれば生きているかもしれませんが、今の世のセオリーですと間違いなくその前に死期は迎えております。

 

 父とは幼い頃に会話はしませんでしたが、父から一方的に言われる機会は多々ありました。

 

 大人になるっていうのはこういうことだとか、社会に出てから恥をかかないようにするにはこうしろといった内容のことが多かった気がします。

 

 その中に「頑張らねぇやつは飯食う資格はねぇんだよ」という台詞があり、それは未だに鮮明に覚えております。

 

 昔は仕事を頑張れば、それなりの暮らしを送ることが出来ましたし、頑張った分だけ見返りがあったかと思います。

 

 今はそれも通用しない世の中になっている気がしますし、企業が進んで副業を推進する状況です。

 

 そんな世の中で、今後私は息子をどう導いてあげれるのが正しいか悩みます。

 

 ただひとつ言えるのは、息子の個性を殺すことだけはしないようにしたいと考えております。

 

 もちろん人様に迷惑をかけるような行為は注意するつもりですが、やりたいことがあれば何でもチャレンジして欲しい気持ちもあります。

 

 子育てに正解はないですが、常に子どもと真剣に向き合い、子どもが出す色々な信号に気づいてあげれば、子どもは安心して前に進んでいってくれるとは思います。

 

 私は長男で、父親の期待の大きさからか、抑圧抑制がかなり強めで、いつも父親の顔色を伺って生活する子どもでした。

 

 私は息子にはそんな風になって欲しくないと思っております。

 

 今月は子どもの日の他に、もとの2才の誕生日が待っています。

 

 令和元年生まれで、昭和と平成の時代は知らない子です。

令和になり、何か色々と混沌とした雰囲気が漂ってきました。

 

 そんな令和をこれから生きていく息子です。

 

 ただ、どんな世の中になろうともどうにか食いつなぎ、もとが成人するまでは責任を持って育てあげていきたいと誓った日でした。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

ここだけは譲れないってありますか?

 本日はGWの中で一番天気も良く、とても暖かい日です。

 

 朝、息子とゴミステーションにゴミ出しに行くと、息子がまだ歩きたがっていたため、そのまま近所を少し散歩してから自宅に戻りました。

 

 朝の日差しの中、幼い息子と手を繋いで歩くっていいですね!

 

 息子がある程度満足したところで自宅に戻り、ふと社用携帯が気になりメールを確認したのですが、なんと締切を過ぎた旅行会社への提出物をひとつ発見してしまいました⁉︎

 

 さらに、それにプラスしてGW明けが締切の物が大量に、、、。

 

 GW明けが締切という事は、今取り掛からなければ間に合うはずがありません。

 

 イヤな予感は当たりますね。

 

 自宅でPCを操作すると、息子がPCに嫉妬して邪魔をしてくるため、PCを開くことが出来ません。

 

 「さて、どうしたものか」と思い、妻と話した結果、博多駅事務所で仕事をすることにしました。

 

 1時間程度で終わる仕事なら、妻に息子を散歩に連れ出してもらえばどうにかなりそうなのですが、どんなに早くとも3時間近くかかりそうな内容だったため、あえて遠い仕事場に行くという苦渋の決断となってしまいました。

 

 往復すれば5時間以上かかりますが、自宅での作業効率を考えると致し方ないですね、、。

 

 下手すれば1時間で終わることも、息子との攻防で倍近くかかりますからね、、。

 

 先日、贅沢な時間云々と言っていたばかりなのに、一気に現実に戻された気分です。

 

 ただ、人にはここだけはというこだわりや譲れない部分があるかと思います。

 

 至極当たり前のことかと思いますが、私は会社員として仕事をやっている以上、会社の仕事は滞りなくこなすという事です。

 

 「おいおい、そんなこと普通じゃないか」とお思いの方も沢山いるかとは思いますが、意外とダラダラと仕事をする方も多い気がします。

 

 いつも遅刻する人、いつも期限を守れない人、いつも口ばかり動いて手が動かない人、出来もしないことを容易に受けてしまい、周りに迷惑をかける人などなど、、、

 

 正直私は会社員は好きではありませんし、本来組織が苦手な私には合っていないと感じることも多いですが、その会社にお世話になっている以上は、会社もしくは協力企業様に迷惑をかけるような仕事のやり方は私のポリシーに反します。

 

 もちろん「家族あっての仕事」という、私の中での大前提は覆ることはないため、勤務時間内にきちんと仕事を終えるというノルマを普段から自身に課しています。

 

 どうしても時間内に終わらないという事も稀に出てきますが、やる事が大量にある場合、朝の出社時に優先順位を付けてメモに書き、終わったらそこに線を引いていきます。

 

 非常に古典的ですが、見える化すると効率が上がりますし、自筆のメモの終わった箇所に線を引いていく作業は、何か不思議と達成感もあるため、私はあえてこの方法を取っております。

 

 そういったこともあり、今回も取引先の担当者の方に、迷惑をかけられないという気持ちで休日返上に至りました。

 

 私の仕事のこだわりについて少し語りましたが、私は過去に何度も転職を繰り返していますので、いまひとつ説得力に欠けるかもしれません。

 

 ただ、転職を繰り返したのにもちゃんとした理由があります

その一番の理由は従業員を大事にしない会社(上司)です。

 

 大抵、そういった会社は従業員の扱いが全般的に雑になりがちで、パワハラモラハラが日常茶飯事に行われることが多いです。

 

 それでもやっと決まった会社だからと、何とか頑張ろうとする方もおりますが、私の中ではそういった気持ちは微塵もなく、自分が自分でなくなるようであれば何の躊躇もなく辞めることを選んできました(だって、私の人生の面倒は会社は見てくれませんしね)。

 

 気が弱いから無理とかではなく、そこで精神的に追い込まれてしまい、今後の社会活動への影響を及ぼし、取り返しがつかない事態になるのであれば、私としてはそこからいち早く去る(逃げる)ということが大事かと思います。

 

 おかげさまで現在は普通に働けておりますし、少しでも明るい未来を望むのであれば転職という道もアリだと私は思います。

 

 次の転職先でうまくいかなかったら、また新たな転職先を考えればいいですし、繰り返していればどこかで必ず自分の居場所が見つかります。

 

 もう終身雇用の時代ではなくなってきましたしね。

 

 もちろん辞めるからには、少しでもいいので次に繋げられる経験を積む、もしくは次のステップに繋がるような学びの姿勢は必要かと思いますが。

 

 話が逸れてしまいましたが、休みを返上して家族サービスを犠牲にしたのも、普段からお世話になっている会社だからという気持ちがあり、そういう行動を取ったのだと思います。

 

 急な話に理解を示してくれた妻に感謝です。

 

 「もと、今日はごめんね。明日はGW最後の休みだし、いっぱい遊ぼうね!」

 

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

贅沢な時間の使い方で感じた事

 GWの休みも3日目を迎え、今日は朝から快晴でした。

 

 いつものように息子と公園に行くも、今日は天気がいいこともあり、いつもは空いている公園が非常に混雑しておりました。

 

 「これは、、多すぎる」と思った私は、息子を連れて洗車に行くことにしました。

 

 洗車機から大量に出てくる水と泡に息子は大喜びするので、密を避ける意味でも方針転換です。

 

 まだ午前9時くらいだったため、洗車も並ぶことなくすんなりと行え、案の定もとは洗車機の動きに大満足でした。

黄砂混じりの雨で、まだら模様のような汚れが付いてしまったマイカーも、すっかりきれいになり私も満足でした。

 

 その洗車したスタンドから、車をしばらく流したところでとても広くて良さそうな公園を発見しました。

 

 そして、早速そこに行ってみます。

 

 いつも行く公園とは違う雰囲気なので、もとも「キャッ」と言いながら車を降りて、一目散に駆け出します。

 

 無料駐車場あり、芝生も充実していて花もきれいに咲き、さらに遊具も充実しているという、かなりレベルの高い公園でした。

 

 まだ早い時間だからなのか、少しだけご年配の方が散歩されている程度で、家族連れは皆無でした!

 

 また新たな良い公園を発見出来ました!

 

 連休のおかげですね。

 

 快晴の中、空を見上げれば青い空と白い雲が出ており、世間がコロナ禍ということを木々の緑と花でいっぱいの平和な景色を見ていると、にわかに信じがたい気持ちになりますね。

 

 その後気温もぐんぐん上昇し、いつの間にか少し汗ばむくらいの陽気となってきました。

 

 息子が生まれる前は、会社に行って家に帰っての繰り返しで、休みは妻とドライブに行ったり、買い物に行ったりはしておりましたが、息子と意味も無くただただ気ままに時間を過ごしていると、以前はこんな時間の使い方は無かった気がします。

 

 私と妻はお互いが大人同士ですし、あてもなくというよりかは、何か多少なりとも目的を持って行動していた気がします。

 

 今は息子とあてもなく出かけ、気になった公園や面白そうなスポットがあればふらっと立ち寄り、何に対して息子は興味を示すのだろうと、ただただ私は傍観しています。

 

 ある意味贅沢な時間の過ごし方だなと感じました。

 

 先ほどお話した空のことですが、大人になるとなかなか空だけをボーっと眺める機会って減っていた気がします。

 

 今の自宅は山の近くにあることもあり、晴天だった日には多くの星で空が埋め尽くされ、とてもきれいな星空を見ることが出来ます。

 

 私は子どもの頃、理科の授業で配布された円盤状の星座が書かれたシートを頭に乗せ、季節に合わせて「あれは何座だ、これは何座かな?」というのが大好きだったことを思い出しました。

 

 いつも何かあくせくとしていなければ、何かをやった気がしないという気持ちが、息子の存在で大きく変わってきているんだなということに気づかされました。

 

 息子が歩けるようになり、私とよく出かけるようになった昨年から、息子に飛行機の存在を知らせたり、鳥が飛んでいるのを教えたり、太陽が沈むのを見せたり、月が出ているのを指差したり、本当に空を見る機会が増えました。

 

 今では息子が自ら飛行機や月を発見したら、私に話せなくても「へい!」と言って空を指差して教えてくれるようになりました。

 

 昨年から教えてきた効果が出てうれしいです。

 

 私が「お月さまだね」と息子に言えば、息子は教えてあげたのを満足げに笑顔で手を叩きます。

 

 こういうのを小さな幸せっていうんでしょうね。

 

 せっかく星がきれいに見える土地に引っ越しましたし、今度は天体望遠鏡でも購入して、庭から星や月を眺めるのもいいなと思いました。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!