ある男の幸せ追及と子育て日記

元役者で転職15回、結婚4回、50歳を過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。子育てや所感を中心に人生の幸せを追求していきます!

子どもには簡単でも大人には難しいこと

 なぞなぞのような始まりですいません。

f:id:tyusen-yo:20211029221703j:plain

 

 

 

 最近息子と出かける度に、息子を含む子どもたち全般の行動を見ていて、感じた事や思い出した事があります。

 

 それは何かと言いますと、子どもの頃はいとも簡単だったはずの事が、大人になるとなぜか出来ないんです。

 

 今回、私が思ったそんな3つをご紹介したいと思います。

ただ、あくまで私の個人的見解なのであしからず。

 

 

 ひとつめ

 

 ・簡単に友人を作ることが出来る

 

 子どもは忖度なしに友人を作りますが、大人になると友人ってなかなか出来ませんよね。

 

 なぜなのか私なりに理由を考えてみたのですが、大人になると相手の立場やバックグラウンドばかりを気にして、相手が自分より上の立場であれば萎縮してしまい友人になる勇気が出ず、相手が自分より下の立場であればどこかに見下す気持ちが出てしまうため、友人になろうとしません。

 

 だから社会に出てからは、せいぜい同僚や取引先の人と飲みに行ったり、たまにゴルフに行ったりする程度の付き合いしかないのです。

 

 子どもの場合は相手の立場や付き合う価値等で一切判断せず、ただただ意気投合出来るかどうかだけなので、すぐに仲良くなれます。

 

 大人の場合は目的を定め、行くところを事前に決めてから約束しますが、子どもの場合は約束が先行し、「今日は何して遊ぶ」とそこで初めて目的を決めます。

 

 実際皆さんもそうではないですか?

 

 社会に出てからも学生時代の友人とは連絡を取り合っても、社会に出てからの本当の友人が出来たという人はあまり多くないと思います。

ただ、「そんな事ないよ。社会人になってからも友人は沢山出来たよ!」という方がいれば、あなたは素直な心の持ち主で、人として素晴らしい方なのだと私は純粋に尊敬します。

 

 しかし、これも男女間ではかなり差が出るかと思います。

 

 私の感覚からすれば、女性は年を重ねても新たなコミュニティに積極的に参加し、友人をどんどん作るイメージですが、男性の場合は私が上記で述べたような事に少しは心当たりがある人が多いのではないのでしょうか?

 

 私は、これまでの自身の行いの問題ですが、社会に出てから転職転職を繰り返した為、他の方よりもより多くの人に出会ってきたはずなのに、ひとつの箇所に留まる期間が短い事もあり、社会に出てからの友人は現在働いている会社に誘ってくれた同僚以外に誰一人出来ておりません。

 

 その時は意気投合しても、疎遠になる人もれば、そんなに意気投合しなくても、何となくの腐れ縁という人もいます。

 

 それはそれで色々あるから人生って面白いんでしょうね。

 

 友人を無理やり作らないといけないとは正直思いませんが、完全な仕事人間だった父が寂しそうに老後の生活を送っているのを見ると、趣味嗜好の合う気の置けない仲間のひとりやふたりは、老後の生きがいの為にも必要なのかなとも思います。

 

 二つ目

 

失敗を恐れない

 

 子どもの頃は、何をやるにも興味が勝って、全く失敗を恐れませんが、大人になると体裁や見栄えばかりを気にしてしまい、なかなかチャレンジが出来ませんよね。

何かを始めるにも、そこを気にするあまりなかなか一歩を踏み出せず、知識や道具を取り入れることばかりを先行し、結果は挫折して諦めてしまうなんて事も多いです。

 

 これはどうでしょうか?

 

 私はつい最近までこの考えでした。

 

 ただ、子どもの成長とともに「こんなんじゃいけない!」という気持ちが湧いてきて、前からやってみたかった個人ブログの開設を試みました。

 

 下手な文章ですし、華麗な経歴の持ち主でもないので、何か皆様のお役に立てる情報を随時発信出来るわけではありませんが、自分の人生に後悔はしておりませんし(そりゃ多少はありますが)、成るべくしてなった結果が今の私ですから、それを受け入れるしかありません。

 

 そこで私は「はてなブログ」さんの軒下をお借りし、まずは100日間連続投稿という目標から入り、とにかく100日間連続で投稿するという千本ノック的なノルマを自身に課しました。

 

 そうでもしないと基本怠け者の私は続かないと思っていたからです。

 

 ただ、内容の出来は褒められたものでもないですが、達成した時にはやはりうれしかったですし、何より自分自身に少し自信が持てるようになりました。

 

 どちらかというと、いつもネガティブな考えが先行してしまう私でしたが、ブログでを書き綴る事で徐々にポジティブ思考に変われたのも、よい成果だったと思っております。

 

 しかし、100日間連続投稿でネタも枯渇し、しばらく休んでおりました。

 

 ブログを休んでいる間にネタを仕入れていたわけではないですが、ふとブログをまた書きたいなぁと思った矢先、「はてなブログ10周年記念」という文字を目にしました。

 

 たまたまなのですが、私が現在手帳に日記をつけている時、筆記具に万年筆を使用しているのですが、そこには「抽選で万年筆をプレゼント」と出ているではありませんか!

 

 「はてなブルー」ってどんな色?と非常に気になり、当たる当たらないは別にして、またブログを始めなさいというサインかと思い、再び始める事にしました。

 

 元々始めたきっかけは、息子と50才違う私が、人生をどんな風に生きてきたかを、私の記憶が明確な内に書き残すというのが一番の目的でしたが、せっかくならば自己発信もしていきたいと思い、その他に私が気になった事を、私なりの見解を述べたブログにしていきたいと考えております。

 

 ただ、今後は連続投稿では無く、自分のペースで投稿していきたいなと考えています。

 

 話が脱線しましたので戻します!

 

 最後三つめ

 

想像力が非常に豊か

 

 大人になると杓子定規的な考えが先行し、「これはこれで当たり前」や「これはこうでなくてはならない」を頭(得た知識や経験則)のみで考えてしまうため、俗に言う「頭が固い」と言われるのではないかと思います。

 

 それが子どもはどうでしょう。

子どもは下手すれば「ぼくはヒーローになれる!」、「わたしはプリンセスになりたい!」、「ぼくは空が飛べるようになる!」、「わたしはお菓子の家に住みたい!」など、突拍子もない夢と想像がどんどん湧いてきます。

 

 自分が目にし、耳にした情報から想像は無限に広がり、無の状態から何か新しい遊びを考え、常に楽しむという気持ちを忘れません。

だから想像力が豊かな気がします。

 

 そして大人はどうでしょう。

 

 大人になると、「日々の生活に追われるし、仕事が忙しいからそんなの無理無理!」と思っていませんか?

 

 私もその考えでした。

 

 再びですが、息子が教えてもいないのに、いつの間にかしっかりと歩けるようになり、今では自由に活動する息子を見ていた時、何となくですが「自分もこのままではいけないし、もっともっと進化出来る気がする」という気持ちが出てきました。

 

 現に世の中の成功者や発明家と呼ばれる方たちは、この子ども時代の純粋な想像力を忘れず、好きなことに夢中になれる人が多い気がします。

 

 私自身も幼い頃は空を見上げて、「この空をぼくはどんどん突き抜けていける気がする」と思っており、想像は宇宙の彼方まで伸びていました。

 

 それが今はどうでしょう。

 

 突き抜けるどころか、「あー空か。晴れているな。曇っているな」程度にしか感じていない今の自分に気づきました。

 

 それが2才の息子と遊んでいる内に、「生まれてきた世の中はこんなに沢山の色であふれているよ」とか、「自然の景色は雄大で素晴らしいよ」とかきちんと伝えたいなと思い始めた時に、改めて普段当たり前に見ていた景色に対し、「そういえば自分が子どもの頃は空を見てそう思っていたな」という記憶が蘇ってきました。

 

 「人間は考える葦である」って名言がありますが、社会に出てからはルーチンワークも多いですし、いつしか自然と思考停止してしまっている気がします。

 

 子どもの成長は本当に凄まじいものがあります。

 

 大人だからっていうだけで、子どもに全てが勝っているわけではないんですよね。

 

 色々な気持ちを蘇らせてくれる息子に感謝すると同時に、こんなかわいい子を産んでくれた妻にも改めて感謝したいと思います!

 

 最後までお付き合いいただきありがとうございました!