ボタンの掛け違いが起こらなかったからこそ
私の父は祖父が売れない舞台役者だったことから、子どもの時はかなり貧乏な家庭だったそうです。
理由は詳しくは分かりませんが、父方の祖父は英語が堪能だったそうで、主な収入源は進駐軍の通訳で得たお金だったと父から聞きました。
ただ、貧乏であったにも関わらず、祖父の仕事の関係で、当時の日本ではなかなか手に入らなかったチョコレートを食べる事が出来たことが、唯一うれしかったと話していました。
父は長男で、5才下の弟と8才下の妹がおります。
後に、祖父と祖母は離婚してしまうため、長男であった父は家計を支えるために、中学生の頃からアルバイトをし、その稼いだお金をすべて家に入れていたそうです。
高校生の時も、弟と妹の学費を稼がなくてはならなかったので、夜間の高校に入学して、昼間は仕事をして夜学校に通うという学校生活を送っていたそうです。
父は父で、若いながらも長男として生まれたことへの重圧があったに違いありません。
その後競艇選手を目指し、父の実家に近い東京の大森にある養成所に入校します。
父としては貧乏な家庭で育ったことの悔しさをバネに、競艇選手として活躍し、賞金王を目指して頑張っていたのでしょうが、その時弟がまだ中学生で、妹が小学生です。
養成期間を終え、プロ試験にも無事合格し、さぁこれからという時に私の母と出会ってしまいます。
父が高校生の時に働いていた喫茶店があり、父はそこを辞めてからもちょくちょく顔を出していたようで、そこで新しくアルバイトに入ったのが私の母でした。
私はお酒が全く飲めませんが、母はかなりの酒豪で、高齢になった今でも缶ビールの500mlを最低1日6本は飲みます。
若い頃は毎日4リットル以上は飲んでいたようで、昼間母は普通の会社員をしておりましたが、その給料だけだと酒代で消えるので、その酒代を稼ぐために喫茶店で夜アルバイトをしていたそうです。
酒を飲みたいってパワーだけで副業をするなんて、ある意味偉いですけど、複雑な気持ちになりますね、、。
ただ、その出会いがなければ私はこの世に存在していませんし、そう考えれば母のビール好きに感謝ですかね。
そして母と出会った父は、後に思い切った行動を取ることになります。
父が競艇選手時代に母と付き合い出した訳ですが、付き合い出して何年かした頃に、母を父の母(私の祖母ですね)に会わせたことで事態が急変していきます。
祖母は母が九州から出てきた田舎者という事が気に食わず(それもひとつの原因かもしれませんが、一番は女手ひとつで育てた長男を、違う女に取られてしまうという気持ちが大きかったんではないかと思います)、事あるごとに母に嫌味ばかりを言ってきたそうです。
母は次女で、性格は自由奔放です。
そして、そこまで我慢強い性格ではないため、ある日突然祖母の口撃でタガが外れてしまい、会社を辞めて東京の住まいを引き払って実家に戻ってしまいます。
余程耐えられなかったんでしょうね、、。
ただそのままですと私はこの世におりません。
母が実家に戻って数ヶ月後、父が競艇を辞め、ボストンバックひとつで母を追いかけて九州にやって来るのです。
母も父が嫌いになった訳では無かったようですし、そこまでの行動力で母の元にやって来た訳ですから、驚きを隠せなかったとともに、そんな父を母も受け入れない訳にはいかなかったようです。
父は父で、青春時代を弟や妹のために費やしていたのに、好きな人との交際を認めてくれなかった祖母へ反逆の狼煙を上げたんでしょうね。
実際、父から祖母の悪口を聞いたことがありませんし、父はむしろ遠く離れた祖母をとても大事にしていたと思います。
若かった父が祖母を納得させるには、自分が出て行くことでしか解決策を見い出せなかったのかもしれませんね。
それから1年ちょっとして、ようやく私がこの世に無事誕生します。
母が東京から来た父を受け入れてなくても、また父が実家に帰ってしまった母を追いかけなくても、この事は成立しません。
人生ってちょっとしたタイミングひとつで、いかなるようにも変化するんだなと改めて感じました。
私も今の妻と交際中、別れに発展しそうな大喧嘩をしたことが何度かあります。
それこそ、その都度私が追いかけて謝らなければ、今のように結婚に至ってないと思います。
そうなると愛する息子も現在いません。
よく子宝って言いますが、付き合うことに真剣に向きあった二人に対する宝なのでしょうね。
その息子が大人になったらどんな出会いが待っているんでしょうね。
本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!