ある男の幸せ追及と子育て日記

元役者で転職15回、結婚4回、50歳を過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。子育てや所感を中心に人生の幸せを追求していきます!

逃げる私に追う息子

 新居に引越してから、我が家にひとつ儀式が増えました。

 

 それは何かと言いますと、私が出勤する時に妻に息子の気を散らしてもらうことです。

 

 朝、息子が起きると同時に、まず私の布団をめがけてやってきます。

 

 私が起きる時間より1時間以上前ですと、さすがに私も眠いのでそこは寝たふりをするのですが、私が寝たふりをしていても、起きろとばかりに私のまぶたを指でこじ開けようとします(泣)。

 

 それでも私が起きなければ、今度は布団の上で私の体にまたがり、何度も「ふん!ふん!」と言いながら、ジャンプして私を起こそうとしてくるのです。

 

 さすがに15kg。

当たりどころによっては死ぬほど痛いので、致し方なく起きることとなります、、。

 

 起きたら起きたで、今度はモーニング抱っこです。

 

 私に「ふーんっ、ふーんっ」と行き先を指で指示し、家の中をくまなく周ります。

 

 目線が高くなるのが嬉しいのか、普段は目につかない物を見つけると、今度は「ふぅーん」と見つけた物を手に取りそれで遊びたいのか、ようやく私から下りてくれます。

 

 私も寝起き早々の出来事なので、正直頭も働いてないため辛いには辛いですが、今から会社に行って息子と離れ離れになることを考えると、朝のコミュニケーションの一環として、朝早くから息子に付きあって上げております。

 

 ただ、51才。

体力がもう少し欲しいというのが本音です。

 

 それから朝の準備を始めるのですが、息子はなぜか私の後をくっついて回ります。

 

 妻も起きているのですが、私の予想では、息子は私がこれからいなくなるというのを知っての行動かと考えます。

 

 妻はこれから一日中、自分と過ごしてくれるけど、私はいつもどこかに行ってしまうから、息子はいる間に甘えておこうと思い、そのような行動に出ているのだと思います。

 

 それから出勤のための準備をするのですが、私の足にまとわりつき離れないので、なかなか事が進みません。

 

 途中、息子から逃げて他のことに気を取られないかと思いますが、どこへ逃げても私の後をずっと追いかけてきます。

 

  すごくいじらしいんですけどね、、。

 

 ただ、いかんせん遠距離通勤

準備の時間は以前の住まい以上に重要なので、なかなかかまってあげられないのが現状です。

 

 妻にも協力してもらい、息子の相手をしてもらおうとしますが、息子は「今はママじゃない!」と言わんばかりに妻の制止を振り切って、結局私のもとへ来ます。

 

 毎朝毎朝この攻防が続くのですが、その攻防のことも考慮しないといけないので、結局以前の住まいより2時間以上早く起きる習慣となりました(まあ健康的といえば健康的なのですが、夜寝る時間は以前とさほど変わらないため不健康です、、)。

 

 なので、仕事中でも営業の時はいいのですが、事務作業中には睡魔に襲われることもしばしばあるようになりました、、。

 

 ようやく準備が整い私が出かけようとすると、それを察した息子は玄関へ先回りして自分の靴を履こうとしています。

 

 私が玄関から部屋に息子を戻すと泣き叫び拒絶するため、いったん靴を履かせて妻と一緒に3人で外に出ます。

 

 そして妻が息子を庭の方へ誘導しようとしますが、息子もバカではありません。

 

 私の動きをじーっと観察し、自分を連れていってくれるのか様子を伺うのです。

 

 もちろん息子を連れて仕事に行けるはずもなく、私は逃げるように外の扉を開けて飛び出すのですが、妻に抑えられた息子は悲しげな表情で私をじーっと見ています。

 

 息子も1才11ヶ月とて男の子なのか、私にバイバイと一応手を振っているのですが、私が見えなくなると毎回泣き出すそうです。

 

 私の前で涙を出さないようにこらえているんですね「うーん。けなげ!」。

 

 その恒例行事は平日の間ずーっと続いています。

 

 もとへ。

 

 「パパのことを好きでいてくれてありがとう!」

 

 「今日も仕事頑張ってくるね!」

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

  

 

喜寿を迎える父

 つい先日、4月を迎えたかと思いましたが、今月も残り僅かですね。

 

 新生活をスタートさせた皆様は、新しい生活に少しだけ慣れた時期かと存じます。 

 

 さて、来月5月は私の父と息子の誕生日がある月です。

 

 来月で私の父もついに喜寿を迎えます。

喜寿と言えば生前祖母が喜寿を迎えた際にお祝いを送りましたが、まさか私の父がそれを迎えるなんて非常に感慨深いものがあります。

 

 息子は来月2才となり、その差なんと75才!

 

 ちなみに私が77才を迎える時には息子は27才。

 

 私が25才の時に祖母の喜寿のお祝いをしたことを考えると、かなりの違いに驚きを隠せません。

 

 父は東京で生まれ育ち、私の母の故郷である九州に行ってからすでに53年。

方言も分からず土地勘もまったく無い地で、私と弟を育て上げてくれました。

 

 私は長男だったこともあり、そのぶん期待も大きかったのだと思いますが、昔の父はとても恐くて厳しいイメージしかありませんでした。

 

 いつも無表情で、仕事から帰ってきてもだまってご飯を食べている姿しか、私の幼い時の記憶は無く、前にもお話したように私が成人するまではほとんど口を聞いた覚えがありません。

 

 あくまで想像ですが、父は子どもという存在が私と同じように苦手だったのかもしれません。

子どもと接するには、ある程度自身のレベルを下げて接さなければ、接していても子どもがまったく喜びませんし、もしかしたら当時25才の若かった父は、そこで道化を演じることを自身のプライドが許さなかったのかもしれません。

 

 私も以前ブログにてお伝えしましたが、若い頃は子どもが本当に本当に苦手でした。

 

 やはり親子ですね。

 

 幼い頃は怒られてばかりだった私なので、一時期は父親を恨んでいた時期もありました。

 

 ただ、結局のところ私も父に似ているんですね。

 

 父親も非常に整理整頓好きで、物などもきちんと並べないと気が済まない性分ですが、私にも同じようなところがあります(リモコンなどは向きが揃って並んでいないとダメなほうです。ただ、人には強要しないのが自分で言うのもなんですが、私の良いところだと思います)。

 

 また。カーテンを閉める時に少しでも開いていると気になるのですが、よくよく考えると父も実家で同じ行動をしています。

 

 私は中学生で十二指腸潰瘍になりましたが、父も九州で住み始めて社会人となり、しばらくして十二指腸潰瘍で入退院を繰り返していました。

 

 方言も分からなく慣れない土地で子どもが生まれ、若かった父は父親としてのプレッシャーを感じていたのかもしれません。

 

 実際私に息子が生まれた時には「お前もやっと父親になったか!もう無理かと思っていただけに俺はうれしいよ」と泣いて喜んでくれました。

 

 そんな父から先日引越し先の様子と、もとの近況を知りたいと、LINEでビデオ電話をかけてきました。

 

 昨年私たちが帰省した際に、ガラケーからスマホに変更する手続きに同行し、スマホの扱い方を父にレクチャーしてきました(同行しないと店員さんに余計な情報や、高いプランでの加入を勧められそうだったので)。

 

 変更させた一番の理由は、私の息子や弟の娘さんの画像や動画を簡単に送れるし、わざわざアルバムにして郵便で送ったり、DVDにして動画を送ったりする手間がかからないですし、何より父も母もその場ですぐ見られるため、私が前々から父に勧めていたのです。

 

 昔だったら私に何かを教わるなんて許せなかった父が、私の言う事に素直に耳を傾けるなんて想像も出来ませんでしたが、「老いては子に従え」を最近は実行してくれます。

 

 話は変わりますが父は読書家で、若い頃は暇さえあれば本を読んでいました。

メーカーの営業職で、土日は接待ゴルフなどにも駆り出されることが多く、課長や次長時代までは当時の社長の運転手も兼務していたので、今思えば家族を養うために非常に身を粉にして働いてくれていたのだと思います。

 

 そんな時間が無い中でも、人に少しでも負けたくないという気持ちから、あらゆるジャンルの本を読んで知識を得ていたと母から聞いたことがあります。

 

 まぁなんだかんだ言っても、私は何かと紆余曲折がありましたが、人様に迷惑をかけるような人間にはならなかったですし、今があるのも父と母のおかげですね。

 

 そんな私の父も、冒頭でも述べましたが喜寿を迎えます。

 

 名前の通り本当に喜ばしい年になるように、毎年誕生日にはプレゼントを送っておりますが、今年はちょっと奮発しようかと思います。

 

 あとは最高のプレゼントである「生の孫」を見せて上げられればいいのですが、いかんせんコロナ禍、、、。

 

 生孫はもうしばらくお待ち下さい!

 

 最後に。

 孫の成長を少しでも長く見られるよう、これからも元気で長生きして下さい!

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

何かが足りない、、、

 最近何かが足りない、、、ふと、そう思いました。

 

 それは何かと考えると

 

 「あーそうだ。雑談、雑談だ!」でした。

 

 そうなんです。

 

 以前は店舗で仕事に従事していたため、自身の周りにスタッフが必ずいて、そのスタッフと暇さえあれば雑談を交わしておりました。

 

 「雑談なんて、仕事中に不謹慎だ!」とお怒りの方もいらっしゃるかと思いますが、私は仕事中の雑談は必要だと思っております(もちろんお客様の前では控えます)。

 

 なぜかと申しますと、雑談には何か新しいことを見つける様々なヒントが隠されていますし、その人の人となりを知るのに一番最適な方法だと思います。

 

 よく仕事中に仕事の話しかしない方もいらっしゃいますが、私はその雰囲気には耐えられません。

もちろん指示出しとか、その逆で仕事の話になるのは当然のことですが、1日を通して仕事に関する話しかしないようでは、私は何も変化を生み出せない気がします。

 

 以前いた店舗でも、スタッフとの雑談中に色々なアイデアが飛び出し、それを実行するとお客様から多くの喜びの意見を頂戴することが出来ました。

 

 電車の中で、多くの学生がたわいもない会話で盛り上がっている光景を良く目にするのですが、内容に対して気持ちを楽に構えて話すから盛り上がるのだと思います。

 

 長年の会社員(社会人)脳に凝り固まって、何か無理してでもいいアイデアを出さないといけないとか、このプレゼンで失敗したら出世の道が閉ざされるとか、そういう思考で物事を考えるから、だんだん人生がつまらなくなるのだと個人的には感じます。

 

 リラックスした中で、素直で純粋な気持ちで話せる雑談だからこそ、思いもよらぬアイデアが急に出てきたりするのです。

 

 もちろん雑談自体が嫌いなスタッフもいますので、そういったスタッフには無理に雑談を強要することはしませんが、そういうスタッフに限って仕事中もつまらなそうにしているのも事実です。

 

 私が店舗にいる時はみんなが楽しく働けるように、1日中たわいもない会話をしておりました。

 

 実際、私自身このスタイルで店舗運営をやってきましたが、支配人がいつも「支配人だぞ俺は(私は)」感を出していればみんなが萎縮してしまいます。

 

 そんなことでは、仕事が好きなスタッフもプレッシャーを感じて辞めてしまいますし、そんな責任者と仕事をしていても全く楽しくないと思います。

 

 あくまで持論ですが、肝心な場面できちんと責任を取り、あとはお客様にご迷惑がかかるような目に余る行為が無ければ、自由にやらせてあげた方が店舗は案外うまく回っていくと考えております。

 

 私自身も別なホテルで、マネージャー時代にそういう経験を積んでおりますし、偉そうにしていてもお客様のため、ひいてはホテルやホテルスタッフに何の得もありません。

 

 また、そういう支配人はお客様の前で必ずボロが出ます。

 

 基本の性格がそういう人間ですから、あくまで表面を取り繕ったとしても、お客様もバカじゃありませんし必ずバレます。

 

 そういった理由から、私が仕事で重要視している雑談ですが、現在は営業職なのであまり出来ておりません。

 

 もちろん営業にも雑談は付き物ですが、あくまでお客様。

そこは今までのような意味のない雑談というわけにはいきません。

 

 最低限の礼儀を踏まえた上での雑談になりますし、そのあたりの線引きがなかなか難しいです。

 

 本来であればこういったコロナ禍の中だからこそ、楽しいお話を提供すればいいのでしょうが、人によっては「こいつ常識ないな」と思われてしまうリスクもあります。

 

 大人(社会人)としての振る舞いの中に、学生さんのようなエッセンスを取り入れた楽しい会話を目指してはおりますが、私も51才。

 

 下手すれば「こいつ大丈夫か?」と思われるでしょうし、最近雑談に飢えていた私としては、線引きのジレンマに陥っている気がします。

 

 ただ最近は、博多の店舗スタッフもようやく私に打ち解けてくれたようで、今までは仕事の会話ばかりを私にしてきましたが、今ではまったく仕事に関係のない話をしてくれるようになりました。

 

 そりゃ急におじさんがやってきて、本社所属のセールス課の人間と言われても構えますよね。

 

 私は私なりに博多のスタッフに対し、私の人となりが分かるように接してきたつもりだったので、そういったスタッフの変化はとてもありがたかったです。

 

 あと、かなりの人見知りで、私と目も合わせてくれなかったスタッフがいたのですが、最近はそのスタッフも挨拶してくれるようになりましたし、会話もしてくれるようになりました。

 

 雑談エネルギーが不足してきたら、他の店舗に行き補給したいと思います。

 

 言い訳ではないですが、けっして自分だけが話したいのではなく、相手のたわいもない話を聞くだけでも私は満足しますので、最近自身の脳が凝り固まってきていることを、少しずつでもほぐしていければなと思いました。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

家族で花壇作り!

 新しい家に引越してから、約2週間が過ぎました。

 

 一軒家ということもあり、庭つきとなったため、外用のほうきや、草を刈るための鎌、巻き取り式のホースなど、今まで必要無かった物が必要となり、休みの日は庭の手入れもしています。

 

 そういった意味でマンションは管理が楽だと思いますが、幼い息子に土を触らせてあげたり、植物を触らせてあげられる環境ですので、管理に手間はかかりますが、自然のものに家で触れさせてあげられるのは良かったのかと感じでおります。

 

 私が車を停めている駐車場に、ブロックで囲まれた花壇のような区画があります。

 

 部屋を決めてから妻と、「あそこをお花いっぱいにしたら、なお明るい雰囲気になるだろうね」と話していたのですが、先日息子の風邪も治りかけになっていたこともあり、久しぶりに3人で買い物に出かけました。

 

 今までずっとマンション暮らしだったため、花といえば鉢に入った花を購入して飾ることはありましたが、花壇で花を育てるのは人生で初の試みかもしれません。

 

 事前に色々と調べて、いざホームセンターへと行きます。

 

 ほうきや鎌、ホース等をまず選び、いよいよ土と花の種を購入します。

土は花と野菜が良く育つという培養土を選び、花は今から種を蒔いたら、夏頃に咲くジニアという花を選びました。

 

 私も妻も、花壇で花を育てるなんて小学生以来のことです。

 

 まず、元々あった土をならして柔らかくし、買ってきた培養土を混ぜ、日当たりが良さそうな場所に花の種を入れます。

 

 息子は1才11ヶ月なので、まだ理解は出来ないかと思いますが、私と妻が土をスコップで掘っていると、息子も子ども用のスコップで見よう見まねに参加してきます。

 

 その姿はとても愛くるしく、自ずと私も妻も笑顔になります。

 

 本当に些細な日常の出来事ですが、とても幸せな時間が流れている気がします。

 

 一度種を埋めてからは、妻と息子には退場してもらいます。

それはなぜかというと、せっかく種を植えたのに、息子に掘り返されてめちゃくちゃにされる可能性があるからです。

 

 「ごめんね。〇〇(息子の名前)」

 

 このブログで息子の名前を伏せておりますが、よく考えたら私のペンネームはもとパパですね、、。

 

 息子はもとという名前から始まる名前です。

 

 今度からはもとと名乗ります。

 

 妻がもとを連れ去った瞬間、もとは何でパパだけ外に残るんだと言わんばかりに大泣きです。

 

 こんなにパパ大好きっ子になるなんて、ありがたい限りです。

 

 無事、種を植えて水やりも完了です。

私は平日仕事なので、普段の水やりは妻に託します。

 

 先日買ったホースが早速役に立ちますね♪

 

 夏に入る頃にはきれいな花を咲かせてくれることと思います。

 

 楽しみですね!

 

 暑くなったころ、家に帰ると様々な色の花がきれいに咲いてるっていいですね。

 

 花を成功させた暁には、今度は庭で野菜作りを計画中です。

 

 あまり外出しにくい世の中ですが、自宅でこういったことをしながら、家族団らんもいいものですね。

 

 自分たちで育てた花は、買ってきたものよりも何倍も価値があるでしょうし、さらにきれいに感じるのではないかと思います!

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

好みの変化は愛する息子のため!?

 突然ですが、皆さんは好きな色はありますか?

 

 私は昔から赤が好きでした。

 

 と言いますか、赤しか考えられなかったです。

 

 服も赤いシャツ、靴も赤いスニーカー、仕事の時のネクタイも赤と、どこかしらに赤を取り入れておりました。

 

 ただここ数年で変化が起こります。

今までは買い物に行っても、目に留まるのはまず初めに赤い物だったのですが、ここ数年は全く目がいかなくなりました。

 

 最近はむしろ落ち着いた紺系や緑系に目がいき、いつしか自分の周りの私物はそういった色の物ばかりに変化していきました。

 

 なぜそういった好みの変化が訪れたのか少し疑問に感じ、色の意味について調べたところ、これは完全に心境の変化かなと思わせる内容でした。

 

 赤が意味する表現は、情熱•強さ•積極的•攻撃的などです。

 

 青ですと信頼•誠実•冷静で、緑ですと、安心•癒やし•平和などです。

 

 これを見た時に思ったことは、子どもが生まれる前と生まれたあとでの自身の心境の変化と一致します。

 

 確かに息子が生まれる前と後では、自身の心境が大きく変化しましたし、生まれた後は今までよりもかなり穏やかな気持ちになりました。

 

 あおり運転こそしませんが、以前の私は道路をマイペースで走るドライバーや、駐車場の区間を自分さえ良ければという考えで、はみ出して駐車しているドライバーに常に怒りを覚えておりました。

 

 赤の示す「攻撃的」ってやつですね。

 

 それが息子が生まれてからというもの、そういったドライバーを見かけても「はいはい。そうですか」くらいの気持ちしか出て来ず、はみ出し駐車がいたとしても、店舗から少し離れて駐車するようになりました。

 

 やはり自分の中で、「守るべき存在」が出来たことが大きいんでしょうね。

 

 昔から無類の車好きだった私ですが、車はパワーがあってなんぼでした。

 

 決まって購入するのは全てハイパワー車で、少ない排気量でも2,000c cのターボ車が許せるレベルで、ターボよりもNAの自然なフィールが好きなこともあり、大体3,000c c以上の車を好んで購入していました。

 

 ただそれも、息子が生まれた時から好みが変わり、免許を取得してから31年目にして、初めてコンパクトカー1台のみの所有となりました。

 

 私が子どもの頃から唯一続いている趣味の車に、人生で初めて興味が無くなる瞬間でした(満足はしてませんが、特に不満も出てきません。いたって普通という感覚です)。

 

 興味がないとはいえ、街中で走っている車種はもちろん全て分かりますが、今までは街中ですれ違った時にあれこれと目移りしていたことが、自分でもあれ?っと思うほど欲望が無くなり「いい車買いましたね」くらいの感覚に変わったのです。

 

 これも自身の見解では、息子が生まれたことで「お前、車は金食い虫だぞ!今から子どもの成長にお金がかかるんだから、最低限走ればそれでいいだろ」という暗示を自分自身にかけているのだと思います。

 

 私が資産家で、ふんだんに使うお金でもあればそこは変わらなかったかと思いますが、いかんせんしがないサラリーマンな上に、今まさに絶不調の宿泊業界です。

 

 この先まだまだ子どもの成長は続いていきますし、これから学校に行くようになれば尚更お金もかかります。

 

 ちょっと前までの自分であれば、「好きな車に乗れないのなら、死んだ方がマシ」くらいの考えだったのに、子どもが出来た途端にいとも簡単に覆るなんて夢にも思いませんでした。

 

 子どもの存在って何ものにも代えがたいってことなんですね。

 

 私が年を重ねてからの子だから、こうも簡単に変われたのかもしれませんが、あと20年若かったら正直自信は無かったです。

 

 多分私の性格を見通した上で、「このタイミングならお前に子を授けよう」と天からの啓示でもあったのかもしれません。

 

 イヤイヤ期で毎日体力は奪われていますが、腹立つよりもかわいいという気持ちが先にきます。

 

 「パパの好きな色が変わったのは、〇〇(息子の名前)を一番に思う気持ちからの変化なんだね」。

 

 誠実に生きて、息子をいつも安心させる父親になりたいと思います!

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

サービス業の師匠

 私が社会に出てからの人生を振り返れば、何かと紆余曲折があったと思います。

 

 若い頃は役者として食べていくという夢を追いかけて、小さな事務所に所属するまでに至るも、結局は途中であきらめてしまいました。

 

 後悔が全くないかといえば、それはもちろんウソになりますが、今思えばそれはそれで貴重な経験させてもらいましたし、「後悔先に立たず」なわけですし、とてもいい思い出です。

 

 若い頃は考えられないくらい自己中心的な思考で、何かいつも斜に構えて世の中をバカにしていました。

まぁそんな人間でしたが、父親が死ぬほど厳しかったのと、おばあちゃんっ子だったため、おばあちゃんを悲しませたくないという気持ちから、人様に迷惑をかけるようなことだけはしてこなかったのが幸いです。

 

 簡単に言えば売れてもないのに、強がって自分なりに精一杯のかっこつけだったんでしょうね、、。

 

 そんな感じでしたから、目上の人の話はすべて話半分でしか聞かない、何かアドバイスをもらっても信じない、この方が向いていると言われても自分でしか決めない等、ある意味自分の信念はあったのでしょうが、その間違った信念が私の人生をどんどん波乱万丈な方向へ進めていったのだと思います。

 

 ただその分、何かとフリーダムだったので、今よりも生き生きとしていた気はしますが、、、。

 

 よく「社会の歯車」なんて表現されますが、昔の私はその歯車になりたくない気持ちしか無く、役者という浮世離れしたものへ憧れていたのだと思います。

 

 もちろん役者の世界だって人と人とのつながりは大切ですし、よほど飛びぬけた才能でもない限り、そんな姿勢では永遠に仕事なんてもらえない世界です。

 

 当時の私は人に頭を下げるのも苦手でしたし、売れてもないのにプライドだけは一人前だったのかもしれません(あー。かっこ悪い、、、)。

 

 そんな人生を歩んできた私の本日の本題ですが、ある人との出会いがなければ今の私はないというくらい、私にとってはサービス業の師匠とも言える方のお話です。

 

 今から28年前のことです。

 

 当時私は23才。

事務所に所属して3年が経ち、前にもお話したように事務所の社長が時代劇の仕事ばかりを取ってくるのに嫌気がさし、私は人生で初めてこれぞ接客業という仕事を始めました。

 

 そのお店は全国チェーンのカフェ&バーの業態で、皆様もよくご存知のプロン〇です。

当時、新宿に新店がオープンするということで、そのオープニングスタッフのアルバイトとして入りました。

 

 接客業が初めての私には期待と不安が入り混じる状態でしたが、そのメンバーは主に大学生のアルバイトが中心だったので、フリーターであった私はシフト的にもお店に重宝され、いつしかアルバイトのリーダー格となっておりました。

 

 仕事自体も楽しく、同年代の仲間と定期的に飲み会を開くなどし、オープニングスタッフということでみんなの仲が良かった店でした。

また、コーヒーの香りが好きな私は、その香りの中で働けるというのも最高の魅力でした。

 

 その店舗ですが、当時の本社のスーパーバイザー職であったIさんという方が担当されていました。

私はその方から接客業のイロハをすべて教わったといっても過言ではありません。

 

 当時生意気であった私が、なぜかそのIさんの言うことにはきちんと耳を傾けていたのですが、今となってなぜだったのかと考えると、Iさんが私に対して興味を持ってくれ、その上すごく気にかけてくれたことが要因だったのかもしれません。

 

 私は後にも先にも年上の方にかわいがられたのはIさんのみで、本当に不思議な縁だったと思います。

 

 Iさんは私よりちょうど10才年上で、当時33才でした。

いつも店に来ると私を呼び、店の外から見た時の見苦しい点、店に入ってからレジに向かうまでの導線の見苦しい点、陳列の見苦しい点、スタッフのお客様に対応する際のおかしな点や改善点等を的確に私に教えてくれました。

 

 要はお客様目線という、接客業に一番重要な客観視の大切さですね。

 

 また、私はただ立っているだけでも偉そうに見えるらしく「お前は他のスタッフより見た目で勘違いされるから、少し大袈裟に見えるくらいに低姿勢を貫け」と指摘されました。

 

 たしかにIさんの指摘は的確で、そのだいぶ後に接客業ではない職種に就職した際、そこの社長に「何で君はいつも偉そうなんだ」と言われたことがあります。

 

 私は至って普通に立っていたり、座っているつもりなのですが、なぜかそう見えるらしいです。

現に今の会社の上長にもWEB会議の際に「〇〇さん。相変わらず政治家の何々大臣みたいですねぇ」とよく冗談で言われます。

 

 政治家が偉そうだということではなく、私の顔の作りもあるかとは思いますが、身なりがだらしないのが嫌な私は、髪型やスーツをカチッとして仕事をしているので、最近髪型をカチッと固めている人が少ない世の中ではある意味目立つのかもしれませんね。

 

 余談ですが、つい最近も博多駅近くで「めちゃくちゃスーツがお似合いですね。すごくきちんとされていますね」と知らないお兄さんに話しかけられびっくりしました。

 

 話を戻します。

 

 そのIさんの指摘のおかげで、私はその後の人生でも振る舞い方に気をつけるようになり、逆に見た目と違ってめちゃくちゃ低姿勢で好印象というイメージを持ってもらえるようになりました。

 

 もちろんそれ以外にも店舗運営で大事なことや、スタッフの管理、棚卸や売上管理なども、ただのアルバイトの私に惜しげもなく教えてくれました。

 

 その教えがあったからこそ、一番最初に就職した飲食店で入社半年ほどで店長に抜擢されましたし、接客業の延長線上にあるホテルの仕事でも非常に役立ちました。

 

 生意気だった私が、この教えに関しては一切生意気な口答えをせず、Iさんの言う事をきちんと守ったのも、もちろんIさんの人柄が大きいかと思いますが、将来の私の行く末を見越しての予習だったのかなとも感じます。

 

 当時きちんとしたお礼が出来なかったので、この場を借りてお礼を申し上げます。

 

 「Iさん。お元気ですか?私が今年52才になるってことは、Iさんは62才ですね。定年され第二の人生を満喫していらっしゃるか、再就職されてまだまだ現役として活躍されていらっしゃるかと思います。当時役者になると言っていた私でしたが、今では立派までとは言えませんが、いち社会人として何とか頑張っております。現在の私があるのもIさんのおかげです。仕事で何かある度にIさんから教わったことを未だに思い返すがことも多いです。本当にありがとうございました」。

 

 私も長年接客業に携わってきましたが、いい教えを誰かに出来ているのかな??

 

 いい師匠がいたわけですし、出来ていると思いたいです!

 

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

 

捨てた時に限って

 先日、我が家の息子が夜中に高熱を出しました。

 

 仕事中に妻から連絡があり、息子がくしゃみと鼻水を出しているという報告だったのですが、その時は特に熱が出ている状態でもなく、私が帰宅してからも、鼻水は出ているけどいつもと同じ元気な息子だったので、ひとまずは安心しておりました。

 

 前にもお話したように、新しい住まいになってからは息子が私にべったりとなり、先日も私が帰宅してからずっとまとわりついておりました(かわいいです)。

 

 ただ、鼻水が止まらないことと、くしゃみもたまに出るので早めに寝かせたいと思い、私が起きている限りは息子も寝そうになかったため、いつもよりも早めに私も妻も就寝しました。

 

 早めに寝たこともあり、私も妻もあまり眠れなかったのですが、しばらくして息子の鼻が詰まりながらの寝息が聞こえてきて、それを聞いた私は安心したのか、いつの間にか眠りについておりました。

 

 さらにそれからしばらくして、息子の叫び声が聞こえてきたので、びっくりして目を覚ましたのですが、急に高熱が出たらしく泣きながら苦しそうにしていました。

 

 ひとまず妻が授乳して落ち着かせようとしましたが、かなり苦しいのか、授乳を拒み息子はずっと泣き叫んでおりました。

 

 まだ1才11ヶ月ですし、鼻も自分でかめない上に言葉も話せませんから、何かを伝えたくてもつたえられません。

そんな息子がただただ不憫でなりませんでした。

 

 私が起き上がって息子を抱っこをすると、少しずつ落ち着きを取り戻してきたのですが、体全体がかなり熱くなっており、どうすることも出来ない私たちは息子が落ち着くのを待つしか出来ません。

 

 その時に、以前の住まいで息子が熱が出た時に病院でもらった座薬のことを思い出したのですが、座薬は要冷蔵なので今回の引越し時に捨ててしまったことに気づきます、、。

 

 「あー。必要になった時にそれがない(もしくは見つからない)」

 

 確かに普段生活していてのあるあるですよね、、。

 

 何とか水分を摂らせてあげようと、水を飲ませようとしますが、息子に頑なに拒否されます。

 

 どうしたものかと考えましたが、本人が嫌がるためどうしようもありません。

 

 その時すでに夜中の2時。

 

 救急病院に行こうかと思い、スマホで検索しようと思ったのですが、苦しそうな息子を夜中に連れ出すのもどうかなという葛藤もあり、何か術はないかと、いったん「幼児 高熱」で検索してみました。

 

 すると、ある病院のHPが目に留まり、まさしく今の息子の現状に近い回答例が出ていたため、あまり頭も働いていない状況の中、長い文章を必死に読みました。

 

 その内容については割愛させていただきますが、症状的には緊急を要さない症状のようでしたので、少し安心しました。

 

 その中に、水分を摂りたがらない場合は氷をなめさせるだけでもよいと書いてあったため、息子に氷を持っていったところすごい勢いで氷をなめてからほおばり、バリバリ音を立てながら小さくした氷を2個ほど食べてくれました。

 

 妻が冷たいものが大好きで、普段から氷だけをなめたりするのですが、息子も全く同じだなと、そんな中微笑ましい感じでした。

 

 それから氷枕を用意し、枕の上にタオルを何重巻きにもしたところ、ひんやりしたのが気持ちよかったのか、ようやく泣き止んで寝る態勢に入ってくれました。

 

 息子が眠るまでの間は私も妻も心配で様子を見ていたのですが、さっきまでとは違い体温も熱いには熱いですが、だいぶ熱さが収まってきた様子でした。

 

 年齢は年齢ですが、新米パパママとしては突然の熱って焦りますね、、、。

 

 今朝はだいぶ回復したようで、朝起きた時は笑っていましたが、まだ予断を許さない状況だと思います。

 

 妻に容体が急変したら教えてねとお願いして仕事に出かけましたが、このまま良くなるといいなと思います。

 

 多分息子も息子なりに新しい環境に馴染もうとして、色々と疲れたのかもしれません。

すでに新しい住まいの配置も理解していますし、こうしたらこうなるっていうのが分かるためにあまり座ったりもせず、先週の引越しからずーっと家の中を回っておりました。

 

 1才11ヶ月でも必死に順応しようとする息子の姿勢に感謝です。

 

 早く治るといいね!

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!