ある男の波乱万丈人生の幸せ追及日記 ~愛する息子に捧ぐ~

元役者で転職12回、結婚4回、50才過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。過去を振り返り、これからの人生の幸せを考えて行きます!

根暗の夢は大きい!?①

 私は色んなことに目移りします。

未だにそこは変わらず、安定していると刺激が無くなり、そこを壊したくなる衝動に駆られます。

なぜそんなことを言い出したかというと、私の最初の夢は国家公務員1種試験に受かることでした。

根暗の割には幼いころの方が野心が強く、そこは絶対に人に見せない人間でしたが、子供なりに当時色々調べて国を動かすにはそこに受かるしかないと考えておりました。

多分根底には父親の影響もあり、子供の私に向かって「世の中は使うやつと使われるやつしかいねぇんだよ」という台詞が強烈に残っていた気がします。

私自身、いじめも経験しておりましたし、差別発言も多く飛び交っている時代でしたから、まずは自身が上に立ちそういったことを無くしていこうと子供ながらに決意したのかもしれません。

ただ小学校の高学年で抱いた夢も、中学校入学と同時に入退院を繰り返し、成績も思わしくなかったこともあって、勝手にもう間に合わないなと早々と打ち砕かれた気がします(おいおい)。

 

 もうひとつ小学校から思っていた夢があり、それは落語家でした。

外で遊ぶことが少ない私は、母が仕事から帰る間に祖母の家でテレビをよく見ていました。

ある日演芸番組か何かだと思いますが、高座でひとり何役かを演じている落語家さんの話を夢中になって聞いており、とても輝いていた印象を受けました。

元々ひとりが好きでしたし、共同作業の苦手な私としては最適ではないかと感じ、滅多に話さない父に対し「中学校を卒業したら落語家になりたい」と勇気をふりしぼり言ったのを覚えています。

ただ案の定「てめぇふざけてんのか!」「中学出て、もし落語家にもなれず社会人になったらどうすんだよ!」「バカ言ってんじゃねぇよ!」と立て続けに否定の言葉が私を襲ってきました。

それでもあきらめのつかなかった私でしたが、ある日新聞広告が目に留まりました。

それは劇団員募集という広告です。

父に言うのが怖かった私はまず母に話をしました。

母から返ってきたのは「まずお父さんに言わなきゃ、私がいいといっても許してくれないよ」という台詞でした。

「確かに…」と私も思い、ある日再度勇気をふりしぼり父に言いました。

帰ってきたのは意外な台詞で、「剣道を続けながらやるというんだったら許してやる」と。

補足ですが、私は母方の家系が剣道の師範をやるほどの家系だったので、小学校5年生から強制的に剣道部に所属させられていました。

話は戻ります。

「え?」と意外な返事にびっくりしましたが、「ありがとうございます!」と次には言っていました。

それからオーディションを受けて無事入団という運びとなり、週に1・2回のレッスンに通う日々が高校3年生まで続きました。

 

 なぜ父が許したのか後日分かったのですが、私の東京の祖父いわゆる父の父は舞台役者だったそうです。

私が劇団にと話した時に、あとから父が母に対し「血は争えないな」と話したらしいです。

その祖父ですが、若いころは進駐軍の通訳をやっており、その後名前は割愛しますが明治生まれの有名な俳優さんの付き人をやりながら舞台に出ていたようです。

ただ、役者だけで食べていくのが難しかったようで、色々祖父にも葛藤があったのでしょうが、父が中学に上がるころには年の離れた新しい女性を作り、家を出ていったそうです(これも成人になり父から聞きましたが)。

離婚後はその女性に食べさしてもらいながら(ヒモってやつですね)、新宿ゴールデン街の近くに住んでいたそうです。

私が生まれ、2才位の時に離婚した祖父に初孫を見せるため、父と母が私を連れていった際には「離婚した俺を恨んでいるだろうに、ありがとう」と言って泣いて喜んだそうです。

私も50才を過ぎて子供を授かりましたが、昔厳しかった父も私の子供を非常に可愛がってくれます。

孫はやはり可愛いいんですね。

 

私はに出会えるのかどうか…。

 

話がまだまだ長くなりそうなので、本日はここまでとさせていただきます。

 

本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!