仕事はまず職場環境ありき! ~最終話、岐阜よありがとう~
さて前回の続きです。
元妻の思いがけない温かい励ましの言葉で私は今後の動きを変えます。
最初はせっかく何かの縁で岐阜に行ったことだし、そこで就職しようと思っていました。
でも流れ的に違うのだと。
私はどちらかというと流れに身を任せるタイプの人間です。
え?そんなとお思いの方も沢山いらっしゃるかとは思うのですが、自身で起こした行動により導かれているのであれば、そこに抗っても仕方ないというのが考え方です(だから波乱万丈??)。
数々の転職や結婚を繰り返してきた私は苦労も数多くありましたが、その味わった苦労をバネに得た教訓も沢山あると思います。
人生って何才になろうが気づきの繰り返しですね。
出始めは自身がその状況で導き出した答えから始まったわけですし、流れというのはその後に決まる訳ですから、正しくは身を任せるというより、その時に少しでも光が差した方へ向かうと表現した方が正解なのかもしれません。
そこは年令を重ねた方が精度が上がりますね(若い頃は経験値的に失敗が多いです)。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」の意味が年を取って初めて気づくんですよね。
若い頃なんて恐いものなしですしね。
今回も元妻が全く相手にしてくれなければ、私はまた違う道を歩んでいたんだと思います。
余談はさておき本題に戻ります。
このまま派遣会社でチマチマ働いていても埒が明かないと考えた私はコンビニで求人誌を手に取り、とにかく稼げそうなアルバイトを探します。
その時見つけた仕事がク〇ネ〇ヤ〇トの宅急便の岐阜ベースでの仕分け作業の仕事です。
勤務時間はもちろん時給が一番高い深夜帯です。
早速電話連絡したのですが、選考云々は全く無く、登録会に来て下さいと言われます。
登録会の日に書類を記入し、軽い面接を受けます。
その時になぜこのアルバイトを選んだのかのみを聞かれ、私は「引越し資金を貯めるためです」と答えました。
結果はもちろん採用!
帰り際、心では「やったぁー」と思い車を運転しているとかつやの看板が目に入り、今日だけは贅沢するかと考えたものの、よく考えると公共料金の支払いをしないといけない事に気付きます。
コンビニに寄り公共料金を支払ったのですが、残金がまさかの8円!
もうすぐ44才を迎える私は逆の意味でついにここまできたかと唖然としました。
社会に出て一番貧乏な瞬間でした。
ただ家に帰れば元妻が送ってくれた食料もあり、月末には派遣で働いたお金が入ったため、薄氷を踏むような生活を送っていましたが、本当にギリギリ生活が成り立ちました。
気を取り直しアルバイト初日を迎えます。
基本的にはベルトコンベアの横に立ち、ベルトに流してはコンテナ、ベルトに流してはコンテナを繰り返します。
ただコンテナの荷物が無くなると、新しいコンテナがすぐに運ばれ荷物のわんこそば状態です、、、。
その単純作業が延々と続きます。
最初はゆっくりなペースで載せていっていたのですが、荷物をコンベアに載せるのが少しでも遅いと、そのライン担当の社員から「早く!早く!」「もっと!もっと!」と間髪入れずに檄が飛びます。
ベルトラインは基本的に紙製品や鉄製品等の重いものばかりで、物をコンテナからコンベアに移すだけの作業なのですが、これが実に辛いのです、、、。
私は重い荷物を移す度に心の中で「ひっこーしっ!」「金!」と叫んでいました。
そうでもしなければこの大量に且つ永遠に続く荷物地獄を乗り越えられないと思ったからです。
薄暗い地下でベルトコンベアに荷物を載せ続け、社員に檄を飛ばされる様は私には漫画のカイジの世界のように映りました。
働いている人たちも私がいた接客業の世界には絶対いないタイプの方達で、働く時のあの無表情な姿と地下でベルトコンベアの上に鉄製の枠に入れられた電球が並ぶ姿は今でも夢に出てくることもあります(悪口ではありませんのであしからず)。
ただこの作業ばかりやっていると人が続かないのかボーナスタイムが設けられます。
そのボーナスタイムとはベルトコンベアの下流で行う荷物引き込み作業です。
各支流があり、そこに番号が書かれています。
ベルトコンベア作業が一時中断すると、社員の方から「〇〇さん何番行って!」と言われ即座に走って移動します。
そこへ移動すると「ブー」というブザーの音とともにベルトコンベアが動き出し、どんどん上流から荷物が流れてきます。
流れてくる荷物が自分の担当している地区の番号であればその荷物を即座に支流に流し込みます。
確かに体力的には楽ですが、ひたすらベルトコンベアを注視し、少し先から判別しないと荷物はあっという間に流れていきます。
あと、箱は小さいのに鉄などが入っている箱などは視覚的感覚と体力的感覚がマッチしないので、流し込もうと思った瞬間「え?」となり肩をおかしくします。
そんな作業を1日8時間行い、日給は1万円ほどでした。
派遣で1万円など夢のまた夢だった私に取って、体力的には辛かったのですが非常にありがたかったです。
そのキツイ仕事を3ヶ月行い、何とか引越し出来るお金が揃いました。
新たな希望を求め知らぬ土地に出てきた私でしたが、何か様々な要因で歯車が狂い、また生まれ故郷である九州の地へ戻ることになります。
言い訳ではないですが、岐阜県は本当にいいところだと思いますし、私が好きな喫茶店も数多く存在する土地です。
また共働き世帯が多いこともあり、飲食店やスーパーの惣菜コーナーも非常に充実しています。
街と自然が融合し、とても住みやすい街だとは思いますが、私にはたまたま縁が無かっただけかと思います。
実際、今の妻と結婚した時にあえて岐阜県をひとつの旅行先にしました。
幸せな気持ちで行くと街の風景もあの時とは違って見え、とても楽しい旅行となりました。
岐阜県ありがとう!