子供の成長を見られた良い機会だった1年
こんにちはもとパパと申します。
現在私は51才。
一昨年、私が50才を迎える手前に子宝を授かり、現在も36才の妻と協力しながら子育てに奮闘中です。
昨年私は年明け早々に生まれて初めてインフルエンザにかかり、まだ生後9ヶ月の息子にうつるのではないか心配で約1週間家の中で隔離生活を送っていました。
インフルエンザになったことが無かったせいなのか、抗ウィルス剤と私の身体の相性が悪く、異常行動とまではいきませんでしたが夜中ひとりでトイレに向かったあとに記憶を無くしてしまい、用を足した後に廊下で倒れこんでしまいました。
何か廊下で大きな物音がしたと妻が思い廊下に出たところ、私が倒れているのにびっくりし、私のところへ駆けつけたらしいです(記憶に全くないですが)。
私は気を失っていましたが、そこへまだハイハイしか出来ない息子が私に近寄ってきてにこっと笑いかけてきたのですが、私は完全に夢の中と勘違いしておりにこっと微笑み返すとまた寝てしまったそうです。
するとかなり遠くから「大丈夫?」「大丈夫?」と妻の声が聞こえてきます。
ようやく正気に戻った私は「俺、何してるの?」と妻に聞き返し起き上がろうとしたところ廊下の木材から頭が離れません。
「え?」と思い少し強めに起き上がろうとしたところバリバリバリと音がします。
要は頭から血を流していたため、その血が固まり頭が離れなかったのです。
本当に年明けから大変な思いをしました。
そして2月。
職場で中国では何かすごいウィルスが蔓延しているらしいという話になっていました。
その時はあくまで違う世界の話で、その後私たちの生活を脅かすことになろうとは夢にも思いませんでした。
私はその時は石川県におり、あるホテルチェーンの支配人に業務に携わっておりました。
ホテルも日に日に稼働率が下がり、どんどん街から活気が無くなる様は何か見えない敵と闘っている気がしてなりませんでした。
3月に入ると駅周辺も見たことのない光景に変わり、あまりの人の少なさに何か今から恐ろしいことが起こる前兆のような雰囲気でした。
そんなコロナ禍の中でしたが、私たち家族は石川から福岡への異動が決まります。
子供が生まれたこともあり、前々から妻の故郷である福岡もしくは九州でも良いので、何か新しい案件があれば異動したいと本社に話していたのですが、2020年の秋頃にリブランド(現在運営しているホテル会社のブランド名称を新たに自分たちのブランドに変え運営することです。要は運営会社がチェンジするということです)だけど新店がオープンするという話が急浮上し、私はそこの開業責任者として異動する事になります。
妻とまだハイハイしか出来ない息子を連れ、4月中旬に石川から福岡へ移動しました。
その時生まれて初めての体験をします。
何と小松空港から福岡空港まで飛行機の乗客が私たち家族しかいないのです!
不謹慎かと思われるかもしれませんが、二度と体験出来ないであろう非常に貴重な機会となりました。
到着時はCAさんの粋な計らいで「本日は○○君(息子の名前です)、お父様お母さまご搭乗ありがとうございました、新天地でも家族で幸せに暮らして下さい」というアナウンスを流してくれたのです。
私も妻もうれしくて涙が浮かびました。
機内で許可をいただき、写真も何枚か撮らせてもらったので息子が物心ついたら話そうと思っております。
さて仕事の話の続きに戻ります。
さぁ新店舗の立ち上げ頑張るぞ!との思いで5月1日から出社したのですが、一向に何も始まりません。
何か出鼻を挫かれた感は否めなかったのですが、原因はやはりコロナです。
オーナーが東京の会社だったこともあり、コロナ禍の中全く動けずにいたのです。
オーナーも動けず、工事関係者も動けずでは何も始まるわけはありません。
結局1ヶ月の間ほとんどやる事もない私は6月から休業となってしまいます。
内心どうなるんだろうという不安で一杯でしたが、何かを境にここは前向きに考えようと思い、朝から掃除をしたり、洗濯をしたり、子供と遊んだりして、日々の生活を送りました。
妻も出産後子育てにずーっと追われておりましたし、私が休業中の間は少しでも妻にゆっくりしてもらおうとお乳以外の部分はすべて私がこなしました。
お昼寝タイム以外は子供と遊ぶのですが、毎日成長過程を見られるのは私にとって最高の時間でした。
本来なら会社に行っていて見られなかったはずの子供が初めて自分の力で立つ瞬間や、初めて2、3歩歩く瞬間などすべて目の前で見る事が出来ました。
年を取っているせいかその都度涙が溢れ、感動しておりました。
結局新しいホテルはオーナーがコロナ禍で今後宿泊客が戻ってこない事を懸念し、他の企業に売却してしまったため、新店の運営計画は頓挫してしまいました。
この1年の変化として大きかったのは家族のありがたみです。
いつもあくせく働き、疲れて家に帰るので、この1年が無ければ妻がここまで大変な思いをしているなんて気づかなかったと思います。
本当に子育てはひとときも目が離せませんし、歩き出したらなおさらです。
仕事から帰れば私はずっと子供と遊んでいましたが、1日中家にいたことで気づく点もたくさんありました(息子の興味や思考等)。
昨年は残念ながら年収も大幅に減り生活面は苦しくなりましたが、家族の絆は深まった1年だと思います。
現在私は配属変更で九州、中国、四国地方の担当セールスとなりましたが、これもこれで流れだと思い身を任せています。
仕事あっての家族より家族あっての仕事だと、自身の気持ちの変化が起きた1年。
健康であれば何だって出来るし、どうにかなる!
この1年のおかげで息子はママっ子にはなっておりません。
私と妻の両方にきちんと甘えてくれていますし、むしろ抱っこは私に求めます。
息子の成長スピードが非常に速い時期ですが、この新たな環境の中(withコロナ)でこれからも家族幸せに過ごしていきたいと思った1年でした。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。