3度目の結婚と再び業務委託始動!~そして3度目の離婚~
さて前回の続きです。
新しい生活に向け動き出した私たちでしたが、予想だにしていない地震により軌道修正を余儀なくされました。
ホテルは上層階のドアが開かなくなり、電気も不通、水道も出ず、一部の壁面や駐車場部分にもヒビが入っていたため、震災当日にご宿泊されていたお客様がチェックアウトされた時点で休業となりました。
もちろんこんな大きな地震のあとだったこともあり、妻も東京に住むのはイヤだと言い出し、妻の故郷である福岡に引っ越すこととなりました。
ホテルは震災で休業となり、契約期間満了まで残り1ヶ月でしたが、本社の方のご好意でその時点で満了とみなしていただきました(契約満了しないと預り金を没収されます)。
ただ震災直後。
引越し業者がなかなか見つかりません。
そんな中、ある大手の引越し屋さんのみが様々なルートを模索してくださり、JRとトラックを併用したプランなら何とか組めそうですとご提案してくださいました。
この時は本当にありがたかったです。
引越し業者は無事見つかりましたが、あとは引越し先でした。
震災が無ければ事前に動いた上で物件選びを行う予定でしたが、どうすることも出来なかった我々はひとまず妻の祖母が住んでいた空き家に引越しました。
それからそこを拠点に新居を探し、引っ越ししてから約1ヶ月ほどで改めて新しい拠点に引越しをすることとなりました。
ここでまたひとつ壁にぶち当たります。
それは就職先が決まらないのです。
その時私は41才、様々な業種に履歴書を送るものの、気持ちいいくらい全ての履歴書が書類選考のお知らせとともに戻ってきます。
当時は少し前にリーマンショック、さらに今回の東日本大震災と不況の最中でした(これを書いている今もですね)。
何か秀でたスキルがあるわけでもなく、中途半端に年を取ったおじさんなど雇ってくれるところはありません。
段々私は自暴自棄になり、妻にもふてくされ気味となり、しばらくは貯金で生活を送ることにします。
今思えばここから少しづつ亀裂が入ったんだと思います。
気分転換にと妻が私の好きなドライブにでも行こうと提案しても、私は「そんな気分になれる訳はない!」と全力で拒否したことは今でも鮮明に覚えています。
優しさをありがとうと言えず、全面拒否ですもんね。
ただそこから3ヶ月ほど経ち、契約社員でしたが私を拾ってくれた会社に入社します。
大きい会社ではありませんが、社長が非常に優しい方で、更に私を高く評価してくれていたこともあり、新規獲得営業の仕事でしたが何とか新規契約を獲得できるよう、飛び込み営業等も行い精力的に動きました。
内容は県から特産品として認められたある商品を、お土産として販売してくれる企業様の獲得及び代理店探しです。
契約期間中、福岡県全土をくまなく回り何とか数社と契約を交わすことが出来ました。
中でも個人商店(私が在籍していた時は個人商店でしたが、現在は法人化しています)とは契約の前例が無かった福岡空港関連の会社と契約に至った際は社長がすごく喜んでくれ私も恩返しが出来たなと一安心でした。
その仕事は県からの補助もあり、補助が打ち切られる契約期間満了時に退職しましたが、今でもその社長とは連絡を取り合っています。
さて妻との話に戻ります。
私のわがままが原因で妻とは夫婦関係が完全に破綻しており、会話をしてもなぜか喧嘩になることばかり。
同じ屋根の下にいましたが別な部屋で過ごす日々が続きました。
そしてその年の年末に私は離婚を申し出ます。
妻は驚いていました。
私の甘えかと思うのですが、私が仕事探しで苦労していた時に妻だけでも働きに出てくれればいいもののアルバイトやパートにすら行ってくれなかった妻を私は恨んでいました(妻としては急にやりがいを無くした私をそばで支えたいと思ってくれていただけかと思います)。
元々妻は明るい性格でしたし、根暗な私を楽しませようと色々と気遣ってくれました。
私が拒絶したことはその後絶対言わない性格でしたし、そんな妻の気遣いに支えられていた私はどんどんわがままになっていたと思います。
今思えば私が正社員に拘らず、私と妻でパートでも何でも行けば良かったんでしょうけどね。
当時の自分の中に何か変なプライドがあったんだろうなと思います。
もう少し考えて話し合いをしてからという妻に対し、聞く耳を持たなかった私は役所に離婚届を取りに行き、その年の暮れに離婚届を提出しました。
前回と違い私のわがままで起こした3度目の離婚。
離婚後、まさか妻に改めて助けてもらう事があるとはこの時点では思ってもみませんでした。
今回も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!