ある男の波乱万丈人生の幸せ追及日記 ~愛する息子に捧ぐ~

元役者で転職12回、結婚4回、50才過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。過去を振り返り、これからの人生の幸せを考えて行きます!

寮長って最高!

 さて前回の続きです。

 

 大学の寮に住み込みで寮長と寮母として働きだした私たち夫婦ですが、入社して初めの頃は仕込みとの格闘で時間に追われる生活を送ります。

 

 引継ぎ時はご夫婦と一緒に食事の準備をしていたこともあり、時間的に余裕を持って準備が出来ました(それも教えてくれるのは料理のプロです)。

ただ、私たち二人になってからは33名分の食事を作る作業は予想以上にかなりの時間との闘いでした。

 

 女子学生とはいえ柔道部。

見た目は普通の女子大生ですが、それぞれ各都道府県のインターハイを勝ち抜いた実力者揃いです。

 

 普段は普通の学生と同じくファッションやグルメ、芸能人のイケメン等、色々な事に興味がある年令の子たちです。

 

 なので普段は好きなものを好きなだけ食べますが、いざ大会や交流試合となるとアスリートとしての強靭な精神を発揮します。

 

 食事もきちんとコントロールし、自分の階級にしっかり体重を合わせていきますし、体重が落ちない時は落ちない時で、自主トレを合同練習後に行い、しっかりと自身の身体を仕上げていきます。

 

 さすがインターハイで輝かしい成果を出してきた強者たちの集まりだなと素直に感心しました。

 

 食事は個食ではなくバイキング形式なので、柔道部の顧問からのお願いは、提供時に食事を切らさないで欲しいということを強く希望されていました。

 

 もちろん顧問の先生も全日本で優勝経験を持つ方です。

 

 その時間に追われる仕込みの一例ですが、からあげなどは鶏肉を10kg以上使いますし、カレーなんかも100人前の量で作ります(そうなると野菜を切る量も・・・。想像つきますよね?)。

何から何まですごい量なので、最初の頃は自身の脳と作業が一致しませんでした。

 

 夕食に比べ朝食はそこまで量は作りません。

ご飯と汁物、サラダ以外のメイン料理は2品で少ないといえば少ないのですが、それでも初めの頃は朝4時台から仕込みに取り掛かっていました。

 

 夕食はメイン料理が3品なのですが、寮生たちは授業を日中受け、それから夕方に稽古をして寮に戻ってくるため、きちんと仕込んでおかないとあっという間に無くなってしまいます(最初の頃一度やらかしました・・・)。

 

 その量に対する不安を払拭するため、初めの頃は本来引き継ぎ時に言われていた目安時間よりかなり早めに仕込みに入りました。

 

 ただ寮に入ってしばらくすると、寮生さんたちもこの時期は食べる食べないの情報を教えてくれるため、仕込む量の調整も分かってきます。

 

 あと毎日の事なので、調理のスピードも段々速く出来るようになり、入社から2ヶ月程経った頃には余裕を持って準備に入ることができるようになりました。

 

 私も完全に筋トレ状態で、毎日3kgから4kgある量を、大き目の中華鍋で多い時で日に3セットから4セット炒めていたため、毎日が筋肉痛でした。

 

 基本的に月曜日から土曜日まで食事提供するのですが、毎週水曜日の朝食と土曜日の夕食は提供しないでいいため、そこでゆっくりお風呂に入ってマッサージをし、身体を休ませていました(私たちの前のご夫婦は20才近く年上だったので、プロの料理人ってやはりすごいなと改めて感じました)。

 

 あとボーナスタイムもあります!

 

 年に数回寮生さんが他校に遠征試合と合同合宿に出るので、その時の私たちは長期休暇となるため、一番長く休める時は2週間近く休みが取れ、オンオフのメリハリ好きな私には最適な仕事でした。

 

 長期休暇は妻とのんびり旅行に行けるし、家賃と光熱費はかからないし、それに普通の会社員と違い外部の人たちや、意見の合わない同僚や部下、また嫌な上司もいない環境の中で、寮生たちが満足のいく料理を提供していれば仕事になるのですから、私にとっては最高の環境でした(あと給与面も前の会社より良かったですし)。

 

 更にオリンピック選手に内定していた子も在籍しており、日本を背負って立つ一流アスリートが、私の作った食事を食べてくれるのには不思議な気持ちもありましたが、とても光栄な気持ちで働くことが出来ました。

 

 もちろん食事メニューは管理栄養士さんが栄養のバランスを考えて作ったメニューなのですが、その大学は学生が好きな物や、リクエストに応えて作るのは一品だけならOKだったので、いつも各学年にリクエストを聞き作っていました。

 

 そんなこんなで順調にいっていた仕事でしたが、入社して7ヶ月ほど経ったころに妻に異変が起こります。

 

 妻も最初は仕事が辛いとしか言ってなかったのですが、「辛い」の理由をその時の私は勝手に意味をはき違えて捉えておりました。

 

 辛いのは時間的な事を妻は言っていると思った私は、妻よりも先に仕込みに入り、後から妻にも入ってもらっておりましたが、それでもあまり妻の様子は変わりません。

 

 元々メイン料理や、ご飯、汁物は私がすべて担当しており、妻はサラダや漬物等の軽く作れるサイドメニューを担当してもらっていたので、それでもきついと言い出す妻と喧嘩をよくするようになりました。

 

 私は妻の完全なわがままと思っておりましたが、ちょうどその月にも寮生の合宿があったため、私たちに1週間ほど休暇が出来ます。

 

 その休暇を利用し、気分転換も兼ね、妻が行ったことのない北陸旅行に行きました。

ちょうど国道8号線が大雪で、福井から石川間で車が微動だにしなかったあの年の出来事です。

 

 私たちが行った時は、大雪から2週間以上が経っていたため、そこまでひどくはありませんでしたが、福岡出身で九州から出たことのなかった妻は、どこまでも続く一面の雪景色に感動しておりました。

 

 ただ、五箇山という富山県の観光地に行った時だけはホワイトアウト状態に一時なり、以前ホテルの仕事で富山に住んでいた私でも恐怖を覚えるものでした。

五箇山は一瞬だけ見て、そそくさと富山市の方に戻りました(今思い出してもあの時は本当に恐かったです)。

 

 自然の恐さって甘く見たら命取りですよね。

 

 石川と富山の観光を満喫した私たちは再び仲良く東京に戻ります。

妻の機嫌も完全に戻ったかなとその時は思っていた私でしたが、帰ってしばらくして再び妻に異変が起こるのでした。

 

 そしてまた再び転職の足音が私に迫ってくるのでした、、、。

 

 少し長くなりましたので、この続きは次回お話できればと思います。

 

 本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!