幼少期について(息子を見ながら感じる事)
私はもともと人とのコミュニケーションが苦手で、幼稚園に入園するまでほとんど記憶がございません。
ただ、幼稚園に入園してからも友達をつくれず、当時仕事に出かけていた母親が帰ってくるまで祖母の家でひとり遊びをしていた記憶が多少残っている程度です。
幼稚園時代から車やロボットに興味を持ち(これだけなら普通の男の子ですけどね)、ひとり駐車場に出向いてはあらゆる車の外観や内装を覗いていました。
そこは今でも変わらず、余程マニアックな車でなければ世の中の車で車名が言えない車はほとんどありません。
話は戻りますが、当時の軽自動車は排気ガスのにおいが独特で、その排気ガスのにおいが非常に自分の好みだったらしく、走り去る軽自動車を追いかけては排気ガスのにおいを嗅いでいた記憶があります。
普通車の排気ガスでは味わえないにおいでした。
今考えるとかなりあぶない子ですね(汗)。
あぶないついでで記憶をたどると、当時画用紙に絵を描いており、自分の中での流行は2体のロボットを左右に描き、互いにミサイルを出すのですが、ミサイルで壊れた部分を消しゴムで消し、むき出しになった中のメカを描いていた記憶もあります。
その日の気分でボディや手足をどんどん壊していき、左右どちらかのロボットがバランスが取れなくなると完全に消しゴムで消して勝ち負けを決めていました(あくまで自分のさじ加減ですよね…)。
うーん根暗…。
私は長男で弟が7才年下なので、小学校に入学するまでは幼稚園のころ多少友達と遊んだ記憶もありますが、ほとんどひとり遊びだったと思います。
父親も高度経済成長時代のサラリーマンだったので毎日夜中に帰宅しており、母親は夕方まで仕事に出かけていたため、祖母と話す以外は完全にひとり遊びがメインになったと思われます。
そんな私にも現在1才8ヶ月の息子がおりますが、私のように寂しい思いをしてほしくない事もあり時間がある限りは遊んであげています。
私も妻もどちらかというと活発なタイプではないのですが、息子は私のマイナス作用と妻のマイナス作用が重なり完全にプラスタイプになってしまいました。
まだ話も出来ないのに外でも奇声を上げながらキャッキャッと明るく人がいる方に向かって行きます。
あと、知らない人にもどんどん手を振り「アイアイ(多分バイバイの事かと)」と言いながら歩いていきます(妻と二人ですいませんすいませんと謝りながら散歩しています…)。
元気で明るいのとても喜ばしい事ですが、いかんせん51才…(身体が軋む)。
話が逸れましたが、三つ子の魂百までと言います。
私の両親が決して愛情が無かったかというとそんな事は無いと思いますが、自身の幼少期を考えると幼い頃の記憶がほとんど無いので、のちのちボディブローのように社会不適合者のような道筋を私は歩いて行ってしまったのではないかと思います。
ですので息子にはまず遊んであげられるだけ遊んであげて、色々な体験をさせて上げたいですし、何より明るく元気に育ってくれればなと感じます。
のちのち話すつもりですが、私は根暗なので何かしら物事を斜めに見る癖があります(ただ根暗ならではのメリットも感じる機会も社会に出てからは多いのですが)。
息子には法に触れる事以外は色々なことや好きなことにチャレンジして欲しいので、これからの成長を楽しみにしつつ私も振り返りブログを更新して参ります。
長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!