便利屋って人材の宝庫
本日は、私が以前お話させていただいた便利屋で一緒に働いていた人たちの話です。
今思えば、便利屋はある意味個性豊かな方が多く、正直言って社会不適合者の集まりでした。
何を持って社会不適合者と言うのかは難しいところですが、まともに朝から晩まで働くのなんてばからしいという考えの人たちが特に多かったです。
昔の私は完全にその考えだったので、便利屋にいると非常に居心地が良いと感じていました。
あの頃は私も20才そこそこ。
役者で売れてやるという希望に満ち溢れていた時代でした。
実際便利屋にも役者をやっている先輩が数名おりましたが、そこから売れたといえる人はいませんでした。
ある方は私のように20才くらいから事務所に入ったのですが、私が出会った時にはすでに40才半ばを過ぎており、未だにちょい役のみで芽が出ずという大先輩もいました。
その中で唯一、お昼のタモリさんのバラエティ番組にレギュラー出演した人がおりましたが、芸能生活も長くは続かずいつの間にか自然消滅した人もいました。
便利屋で一番お世話になった先輩で、劇場のワンマンライブにコンビで出て頑張っている先輩もいましたが、相方さんがなぜか結婚相手のお嫁さんの実家で喫茶店をやると言い出し、するとその先輩も相方さんの後を追うように奥様の実家で美容師である奥様の手伝いをすると言い、東京を後にしました。
その先輩の友人では今でもご活躍されている方は数名いらっしゃいます。
芸能界で生き残るって本当に難しいですね。
便利屋には結構優秀な人材が揃っておりました。
それはまず昼間っから酒浸り(ほぼアル中です)のKさん。
Kさんはある国立大学を卒業した後、海外をずっと放浪していて、インドに行ってからというもの働くのが馬鹿らしくなったらしく(なぜかインドに行くとそういう人多くないですか?私の周りは結構いました)、日本に帰国後はたまたま便利屋に出会い、気が向いたらたまに仕事をして、あとは自宅で翻訳の仕事を自分に無理が生じない範囲でやりながら生計を立てている方でした。
お世辞にも身なりは完全に無職感満載で、頭はいつもぼさぼさで、ヨレヨレのTシャツに穴の開いた靴下、そしていつもの口癖は「働かないで酒飲んでゆっくり暮らしたいなぁ」でした。
その時Kさんは30才半ばほどで、さすがの私も「こんな人にはなってはいけない」と感じてしまいました。
そのKさんと幕張メッセのイベントブースを作る仕事に行った時の事です。
海外のイベントだったこともあり、事前準備のため多くの外国人が会場内におりました。
アメリカやイギリスそしてフランス等、様々な国から集まってきているようで、会場内に各国の旗も掲げられており、会場内は完全に外国状態でした。
日本に初めて来る外国人も多く、まだ事前準備段階なので方面看板の表記もすべて日本語です。
会場内は何かを探したような外国人が溢れていて、私は心の中で「あー何か探しているんだろうな」とは雰囲気で伝わってきました。
すると普段は酒浸りのKさんがおもむろに外国人に話しかけます。
普段日本語の呂律もまわっていないKさんですが、その時はシャキッとした態度と言葉で、それも流暢な英語でペラペラ話しかけていくではないですか!
外国人も「助かったぁー」という雰囲気で、Kさんと結構な時間話していました。
話し終えた外国人は満面の笑みでKさんに「Thankyou!」と言って去っていきます。
私はKさんに「すごいですね!びっくりしました。あまりに流暢に話されているし、海外放浪の話って本当だったんですね」と言います。
するとKさん「お前普段俺を馬鹿にしてるでしょ。やる時はきちんと俺だってやれるんだから」と返してきます。
普段の私を見て、私の心の中がばれていたんだなとその時反省しました。
それから設営を再開したのですが、今度は別の外国人ががKさんのもとに来ます。
さっきの外国人がKさんと話していたのを見ていたらしく、この人なら話せると思い近づいてきたようです。
「フランス語っぽいなぁこの人。Kさん大丈夫かな?」と私が思っていると、Kさんがすかさず流暢なフランス語(私にはそう聞こえました)でその外国人と話し出すではないですか!
私は短時間で2度びっくりしました。
会話が終わり再びKさんに言います「フランス語も話せるんですか?」
Kさん「あぁ話せるよ。その外にもスペイン語やイタリア語も何とか話せるかなぁ」と言ってきます。
私は便利屋の社長にKさんは翻訳の仕事をやっていると聞いたのですが、これはまさしく本物だと改めて思いました。
普段酔っぱらっているイメージしかなかった私ですが、この日を境にKさんを見る目がすっかり変わっていました。
放浪っていうと何か現実世界からの逃避って感じですが、それだけの語学力を持てたのなら放浪したのも間違いではなく、Kさんのひとつの特技になったのだし、それはそれでかっこいいですよね。
あと別な方のお話をします。
それはIさんです。
IさんもKさんと同じく私が出会った時は30才半ばの人でした。
Iさんは以前交通取り締まりで嫌な思いをしたらしく、完全にIさん側に落ち度は無いのに警察に切符を切られたことで、その不当な扱いを受けたことをバネに、徹底的に交通違反や取り締まりを取材し研究し続けた人です。
私が便利屋に在籍していた時にはまだまだ駆け出しの交通ジャーナリストだったため、便利屋でもアルバイトをしている方でしたが、今も現役バリバリの交通ジャーナリストとしてご活躍されています。
著書も数多く世に輩出していますし、不当な交通取り締まりの裁判で検察に勝つための主人公を描く漫画の原作者もやっております。
あまりご本人は自慢したがるような方ではなかったため、私が在籍中は人のいいおじさん(私が20才そこそこだったので30才過ぎている人は皆おじさんに見えました)って感じだったのですが、しばらくして漫画の連載が始まったり、ある交通事故の事件でコメントするコメンテーターでテレビに出ているIさんを見て本業を知りました。
その他にも直せない機械はないというくらい、何でも器用に分解して直す別のIさん。
土木仕事の要領や、庭いじり関係にめっぽう強いYさん。
どんなクライアントでも信頼を得、リピーターを作るのが上手いOさん。
過酷な肉体労働を得意とする別なOさん等、スペシャリストがかなり揃った職場でした。
社長のあっけらかんとしてさっぱりした性格が、そういった人たちを自然と集めたのかもしれませんがとても楽しい職場でした。
先日もお話しましたが、こういうスペシャリストが多い職場だったにも関わらず、何も触発されなかった私って、、、。
でもそういった人たちを間近で見てきたからこそ、今となっては何かしら生きる上で役に立っていると思います。
回り道もいいもんですね!
本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!