親となった自身の心の変化について
前回夫婦喧嘩の事に触れ、まだまだ親として未熟な点についてお話させていただきました。
今回は子供を持つ親となってからの自身の変化についてお話させていただきたく思います。
子供が出来て一番大きく変わった点は自身の心の持ち方です。
こう記すと何か前回の話と矛盾するような気がしますが、これはこれで事実です。
今まで何気なく見ていた風景も、子供に見せて上げたいという視点で見るように変わり、木々の鮮やかな緑や海のキラキラした青、きれいに咲いた花、大きく真っ白な雲等、この素晴らしい景色を子供に見せて上げたいという気持ちが出てきたため(本人はまだまだ理解していないとは思いますが、葉っぱや木の枝、土などを積極的に触らせて感触を覚えさせています)、ただただ自身で生きていく上では既に当たり前のだったはずの物が、子供が出来た事で改めて自然の豊かさに気づき、そういう考え方も相まって自ずと自身の心も豊かになったと思います。
自然の素晴らしさや、自然界のきれいな色をいつの間にか俗世間で当たり前のように暮らしていた自分に再認識させてくれました。
我が家の息子に感謝です!
あと変わった点として行動の仕方です。
今まではどこか行けば普通に歩き、目的地にただ何も考えずに向かうだけでしたが、子供が生まれてベビーカーを使うようになり、周囲の人の動きや車の往来、ベビーカーの動線上の先の状況(あの段差は無理かな等の道路のつなぎ目やちょっとした隆起を気にするようになりました)など、今まで移動する上で全く考えなかった事も考えるようになりました。
ましてや歩けるようになってからは尚更です。
常に息子の目線の高さで物を見るようになり、このまま走り出すと頭がぶつかるのではないかとか、周りに息子の手が届くところに触ってはいけない物は無いか、さらにこの段差を息子は歩いて超えられるのかとか、この傾斜は転ばないかとか予測しながら動くように変わりました。
もちろん過保護過ぎてもダメだと思うので、私がいけると判断した段差や傾斜はあえて制止せずに見守っていたりもします(多少ケガをした方が本人も学習するかと考えています)。
あと本当はやってはいけない事ですが、交通量の少ない交差点で以前は黄信号から赤信号に変わりそうな時に小走りで渡っていたのですが、今はきちんと信号を守るようになりました(これについては、おいおいお前って感じですが)。
とにかく今までは何かとあくせくして生きていた気がしますが、子供が生まれたことで無理なく焦らずゆっくりとといった感じになり、ただただ公園で無邪気に遊ぶ息子を見ながら木々の葉っぱの音を感じたり、気持ちいい風を感じたり、海辺や川辺だと水の音を聞いたりと、情報過多な社会の中で何か忘れ去っていた大事な五感の使い方を思い打出させてくれた気がします。。
今まで子供を持つ経験が無かった私ですが、こんなにも子供の存在が自身に影響を及ぼすなんて夢にも思いませんでした。
何か新たなアクションを起こせるようになった息子に対し、うれしくてその都度息子に拍手をしていたのですが、今では何か成し遂げると息子は自分で自分に拍手しています(それはそれでかわいいです)。
もちろん妻も私が守るべき存在と思ってはいましたが、子供だとさらに強く思いますね。
母性って良く聞きますが、父性ってのもあるんですね。
私の父が昭和の典型的なサラリーマンで、遊んでもらった記憶は全くありません(現に父親もそう言っていますから間違いないのでしょう)。
私が何かと紆余曲折の人生を歩んだのも、何か幼い頃の愛情の注がれ方にも起因しているのではないかと自己分析しています。
昔、車メーカーのCMで「物より思い出」というのがありましたが、息子には沢山の体験や経験をしてもらい、良い思い出をいっぱい作ってあげたいなと思います。
息子は何事にも興味津々な性格なので、その性格をつぶすことなく最大限に活かしてあげ、失敗から学ぶ事も多いかと思うので、これから挑戦したいと思うものにはどんどん挑戦していってもらいたいです!
本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!