3度目の結婚と再び業務委託始動!③
さて前回の続きです。
鹿児島から茨城に移った私たち夫婦ですが、本社が言っていた人が続かないという洗礼を受けるのです。
まず、アルバイトスタッフが誰もいない状態からスタートします。
客室数も前の店舗よりも30室ほど多く、さらに人がいない状態で運営しないといけない事もあり、前店舗から比べて急に環境が悪化しました。
早速求人広告を出し、人を募りました。
応募自体はまあまあな反応で面接をするのですが、面接時に本社が人が続かないという理由が何となく理解出来ました。
それはただ時給に釣られて来る人が大半なのです。
要は接客がやりたいとかいうことではなく、ただただ周りよりも時給が良さそうだし、面接を受けてみるかということです。
もちろん動機は何でも構いませんが、やるからには化けてもらわなければこちらとしても困ります(私たちは極論どうでもいいですが、お客様にそれをされると成り立ちません)。
その数少ない要素を持った人を4人ほど採用しました。
研修も丁寧に行い、無理しない程度のシフトを組み、徐々に育てていくしか術はありませんでした。
ただ、接客云々以前に問題が起こるスタッフも出てきます。
それは遅刻の常習者です。
私は基本臆病なので今まで遅刻をしたことがありません。
なのでその感覚は理解出来ないのですが、数少ない人材なので根気強く向き合うしかありませんでした。
遅刻の常習者であるスタッフは私があまり怒らないことを知ってか、だんだん酷くなっていきます。
ある日私もさすがに頭にきて「いいかげんにしろ!」と言ってしまいました。
その時スタッフが出た行動は「何で怒られなきゃいけないんですか!帰ります!辞めます!もう嫌です!」でした(えー、どうしてあなたがそう言えるのと思いますが)。
私は唖然としましたが、基本が出来てない人に何を言っても無理かと思い諦めました。
残った3名のスタッフはとても接客業向きではない、ぼそぼそと話すタイプでしたが、ここも根気強く育てていきました。
人を使うのって本当に大変ですね。
そうこうしている内に契約期間満了まであと数か月となり、私たち夫婦は延長するか、契約終了するかを話し合いました。
ここでの大変さも身に染みて辞めるという結論に至りました。
二人で話して決めたのは、せっかく茨城まで出てきたし東京に部屋を借りて東京で仕事探しをしようという内容でした。
この至った結論がまさかの出来事で覆されるとはこの時点では夢にも思いませんでした。
それは東日本大震災です。
震災が起こった日、私たち夫婦はある山手線の駅の物件を見に行っていました。
数件の物件を見て、あまり納得がいかず、せっかく東京まで出たのだからもうひとつ不動産を回ってから帰ろうと話し、その山手線の駅の不動産屋さんに行って物件を案内してもらっていました。
非常に日当たりも良く、コンパクトな物件だったため入居者も少なく、また屋上は入居者が自由に使っていいという物件で、案内してくれた人と私たち夫婦でそこからの良い景色を眺めていました。
その時非常に良い天気だったのですが、なぜか黒い筋状の雲がかなり長い範囲ではっきり出ていて、「あれは何だろうね、不気味だね」と話していました。
その後事務所に戻り、契約するかしないかを話していた時です。
鈍い音とともに縦揺れが始まりました。
ただその時に横の敷地でボーリング作業をしている現場があったため、私はてっきり工事現場の揺れだと思いました。
しかし全く揺れは収まりません。
それで初めて地震と気付くのです。
不動産屋さんが年配の女性だったこともありパニック状態で、「早く早く机の下に隠れて!」と私たちに言い、私たちもしばらく机の下で身構えていました。
しばらくしてようやく収まりましたが、そんな事もあり契約はぜずに茨城に戻ろうと思いました。
ホテルへ電話するも電話が繋がらず、電車に乗ろうとするも動いておらず、これはやばいなと思い、東京の地理に明るかった私は妻を連れて水戸街道方面に歩き出しました。
浅草近辺まで歩き、レンタカー屋に駆け込みました(やはり同じ事を考える人が多く、最後の1台だったらしく、不幸中の幸いでした)。
そしてレンタカーを借りて茨城に戻ろうとしたのですが、車が流れたのは最初だけで荒川、中川、江戸川を超えるのに5時間以上を要しました。
車道は車だらけ、歩道は電車が動いていないことで帰宅難民の大量の列、長い事東京に住んでいた私でも初めて見る光景でした。
映像を見ていない私たちは一体何が起こっているのかはっきりは分からず、ラジオからしか情報を得ることしか出来ません。
何かすごい地震が起こったんだなということは理解出来ましたが、後日テレビで映像を見た時は本当に驚きました。
14時頃東京を出た私たちが茨城に到着したのは約12時間後でした。
あちらこちらで液状化が起こっており、道はあちらこちら隆起していて、街頭が点かない暗闇の中、道路に大きな亀裂が急に出てくるという恐怖は未だに鮮明に覚えています。
平穏無事に送れる生活って素晴らしいですね。
震災の時とは意味合いが違いますが、今も違った面で色々と不便ですね。
長くなりました。
次回茨城最終編をまたお話させていただきます。
本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!