ある男の幸せ追及と子育て日記

元役者で転職15回、結婚4回、50歳を過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。子育てや所感を中心に人生の幸せを追求していきます!

世の中そんなに甘くない!?

 事務所に所属して半年も経たない内に芸能界デビューを果たした私はすっかり調子に乗っていました。

稽古は稽古で続けていましたが、社長が取ってくる仕事は時代劇が中心で、現代劇に出たい私はどんどんモチベーションが下がっていきました。

今思えば仕事があるだけでもありがたいのに、便利屋でそこそこ稼いでいた私は何と役者の仕事を断るという暴挙に出るのです(あーダメな男の典型パターン)。

事務所は小さい事務所でしたが、社長もすごく思いやりのある人で、ギャラに関しても事務所3割、役者7割と非常に厚待遇でした。

大河ドラマギャラもかなりの額が振り込まれており、私は有頂天になっていたかもしれません。

 

 徐々に事務所からも仕事の依頼も減り、時代劇ではなくキャラクターショーイベント等の被り物の仕事ばかりが増えていきました。

色々仕事をしている内に制作会社の方たちとも仲良くなる機会があったのですが、たまに裏方の仕事を手伝わせてもらうこともありました。

当時私は21才。

制作会社の方も、「役者はなかなか難しい世界だし、裏方として働いてみない?」とお誘いも受けました。

制作会社の方からの紹介で、あるマニア向けの写真集の雑用の仕事等、裏から見る芸能の世界の仕事も経験させてもらいましたが、自身がまだ若いということもあり、「ありがたいんですが、夢を諦められないのですいません」とお断りしました。

 

 それから数年経ち、ある雑誌の1コーナーに記事を載せていただけるという話がありました。

それは夢に臨む人がどんな暮らしをしているかという記事で、見開き2ページでしたが私の記事が掲載されました。

やはり雑誌に掲載されるのはうれしく、2冊買って1冊を実家に送り、何度も読み返したのを今でも覚えています。

 

 その雑誌の編集者の方も非常にいい方で、ある日電話がかかってきたのですが、テレビ局のプロデューサーを紹介したいと言われました。

もちろん二つ返事でお願いし、後日港区周辺のバーに会いにいきました。

会った瞬間から感じましたが、非常に高圧的な態度で偉そうにされており、席に着くなり「〇〇さんの紹介だから仕方なくあった」や「お前何かアピールできることあんの?」、「酒も飲めないなんてつまんねぇ奴だな(私は下戸です)」、「俺を納得させる自己アピールをしろ」とかなりむちゃな要求をしてきたことを鮮明に記憶しています。

 

 もちろん何も起こらないし、何も変わらないという結果です。

会いに行くまではラク的な要素を勝手に想像し、ワクワクドキドキしていましたが、帰り道はげんなりと肩を落として家路につきました。

 

 またしばらくして今度はロマンポルノ映画の出演依頼がありました。

私の頭によぎったのは、「そんな映画に出演したら祖母が悲しむし、出演自慢も出来ないな」でした。

またまた今考えれば本当に役者になりたいんであれば何でも貪欲に取り組むべきですし、チャンスと捉えるべきだと。

断った際に先方から「じゃ顔はあんまり出ない、電車の中で女性のお尻を触る役でもいいから」と言われましたが、私は結局断ってしまいました(何のプライドだか)。

 

 話は変わりますが、昨年ジムキャリー主演の「イエスマン」という映画を妻とDVDにて鑑賞しました。

"YESは人生のパスワード"というサブタイトルで、簡単にお話すると主人公が「ノー」という言葉を口癖にし、人生を後ろ向きに生きているのですが、あるセミナーに参加した事で「イエス」を繰り返すように変わっていくのですが、「ノー」から「イエス」に変えたことで人生がどんどん前向きになっていくというお話です。

 

 その映画を見た時に、私は今日の記事の内容を思い出しました。

やはり私は役者になりたいといいつつも、心の底から願っていたわけではないのでしょう。

本当になりたいなら何でも「イエス」と言っているはずです。

 

 話は戻りますが、その後私はバブル崩壊とともに便利屋の仕事もだいぶ数が減り、アルバイトを転々とする生活を送ることとなります。

アルバイトに関しても私の転職同様、かなりの数のアルバイトを経験しました。

便利屋のあとはカフェ店員、飲食店ホール、DPE店、レンタルビデオ店、服飾店倉庫、焼き鳥店、惣菜店、駐車場係、コンビニ店員、ビラ配り、レンタカー等上げればキリがないですがどれも長続きせずただただ生きていた気がします。

 

 一番最初の妻に出会ったのはカフェでアルバイトをしている時でしたが、その出会いによって私は役者を諦め、社会人としての1歩を後々踏み出すこととなります。

 

 最初の妻と付き合いだし、数年経った頃、私も26才になる年になっていました。

妻との結婚話も出てきて、「親に会って欲しい」と。

「いいよ」と気軽に言ったものの、フリーターの私に親御さんは「そんな訳も分からないどこの馬の骨ともいえない奴に娘は嫁がせられらない」と。

心の声「至極真っ当な意見です」。

その後には「役者やっているって言ったって、それで飯は食っていけないだろ」と。

心の声「おっしゃる通りです」。

 

 結局、その結婚話は延期という事になり、私の中で色々葛藤が生まれるのでした。

 

 また次回お話出来ればと思います。

 

本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!