ある男の波乱万丈人生の幸せ追及日記 ~愛する息子に捧ぐ~

元役者で転職12回、結婚4回、50才過ぎて初子育てと、何かと波乱万丈な人生を歩んでいます。過去を振り返り、これからの人生の幸せを考えて行きます!

根暗の夢は大きい!?②

 先日祖父の話をしましたが、私の家系はなかなか夢が叶わない遺伝子が働いているようです。

祖父も役者の夢は叶いませんでしたが、私の父も叶わなかったようです。

父の夢はボートレーサーだったそうで、事実大田区大森にて研修生として入所はしました。

研修生の中では父は背が高く、体格が大きいことで何かと苦労はあったようですが将来の賞金王を目指し頑張っていたそうです。

どういった経緯で出演に至ったかは定かではありませんが、大森の競艇に所属している時に高倉健さんの映画で、高倉健さんの恋人役の弟がレーサーという設定の吹替で出演したそうです。

結局、競艇選手の夢も私の母に出会ったことで叶いませんでしたが、叶わなかったから私が存在していますし、非常に複雑です。

当時母が大井町に住んでおり、祖父がいない家庭の家計(弟と妹の学費の補助等)を助けるために私の父が研修中に副業で喫茶店の夜間のマスターをしていたそうです。

そこで私の母と出会ったそうですが、父が一目惚れし猛アタックに根負けして付き合いだしたと聞きました。

母とはうまくいっていたようですが、父の母(私の祖母です)が大事な息子を取られるといわんばかりに嫌がらせをしたようで、しばらくしてから東京を離れ実家に帰るという話になったそうです。

母を失いたくなかった父は、後日ボストンバッグをひとつ持ち母の実家まで追いかけてきたそうです。

ずっと東京で育った父は右も左も分からぬ九州の田舎で暮らす事を決心したようでした。

当初は東京にやはり未練があり、私が生まれてからしばらくして母を連れ東京に戻ったようですが、やはり母と祖母の折り合いが悪く、完全に諦め九州でその後暮らすこととなります。

私が生まれた県は方言が強めの県なので、就職した際に父は他の同僚から「こいつは頭がおかしいんじゃないか」や「何を言ってもはいとしか言わない」「質問と答えが全く合っていない」と辛い思いはしたようです。

そりゃそうですね。

方言の無い所から、名詞の名称すら違う表現の県に移った訳ですから。

今はエセ方言を使えるまでにはなりましたが、父もコミュニケーションが取りづらいなかでとても苦労したのではないかと思います。

 

 話がだいぶ逸れましたが、もうひとつ夢が叶わぬというエピソードがあります。

それは私の7才年下の弟です。

弟は非常にクールで、慌てふためいた場面を見た覚えがない人間で、私が高校卒業後は東京に出てしまったため、小学校高学年から高校生までの弟の事は良く分かりません。

話が前後しますが、劇団に通いだしていた私は次第に音楽にも興味を持ち、何か楽器が出来ないかなと考え高校1年生の頃にドラムセットを購入し(無メーカーの安物でしたが)練習を始めました。

その練習風景を弟がそばでじっと見ている事が多かったのですが、「お前もやってみる?」と聞くと首を横に振りやろうとはしませんでした。

ただ練習中は必ず横で見ており、私も気にはなり「やる?」というとまた首を横に振ります。

そんなこんなで私が上京したあとですが、母から弟が憑りつかれたようにドラムの練習を毎日していると…。

「やはりやりたかったのか…」

正直年が離れた分、今まで兄弟喧嘩も一度もしたことが無い私と弟ですが、年の離れた兄に遠慮してたんだなというのを強く感じました。

その後弟は高校入学時にはバンド結成し、文化祭では自慢のドラムテクを披露し、楽しみながら演奏するまでに至ったそうです。

 

そこから話はまた続きますが、また次回お話したいと思います。

 

本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!