中学1年で十二指腸潰瘍デビュー
私は十二指腸潰瘍で中学1年生と中学3年生の時に2回入院しています。
原因としては小学校時代から色々悩み続けたこと、さらに中学校というまた違う環境の変化に違和感があったことが原因かと思います。
今のように学校へ通わないという選択肢が無い時代でしたし、学校は必ず行くのが当たり前の世の中でしたし、長男ということで父親の期待が大きく、勉強に関しては「俺の息子だから成績良くて当たり前」というプレッシャーをかけられ続けられました。
前にもブログに書きましたが、父親が非常に厳しい人でしたし、私としては学校に行きたくないと思ったことも多々ありましたが、そんなことは恐くて一言も言えず、とにかく我慢我慢の連続だった気がします。
中学校に通いだして最初の夏休みが終わり、2学期に入ってからだったと記憶しています。
ある日、胃に激痛が走り、保健室へ運ばれたのですが、保健室の先生も私の青ざめた顔を見るなり「今日は早退して病院に行きなさい」と言われ、その日は早退しました。
やっとの思いで自宅に帰り、母親に事情を話し、祖母と母に連れられ近所の内科に検査を受けに行きました。
いきなり看護師さんに人生初めての浣腸をされ、思春期に近い人間としては非常に恥ずかしかった思いをしました。
浣腸後お腹に違和感を覚え、トイレに駆け込むと見た事ないような真っ黒なう〇こが出ているではありませんか!?
そのことを先生に伝えると「それは血便といって血が混じった便なんだよ」と教えられ中学生の私は驚いた記憶が残っています。
そのまま即入院となり、しばらくは点滴のみで食事なしの生活を送り、食事もできずにひたすらベッドの上で点滴を1日3回打つという日々が続きました。
若かったため回復は早かったのですが、それでも1ヶ月は入院生活を送りました。
なぜか中学2年の時は問題なく学校生活を送れてはいましたが、3年に上がりまた同様の時期だったと思います。またまた胃に激痛が走り、再入院となってしまいました。
高校受験を控えた身として、2度の入院はかなり学力に後れを取ってしまう結果となってしまい、特に数学は何をやっているのかすら分からず、計算問題のみで点を取るということしか出来ない状態でした。
全校生300人ほどで、いつも大体100位以内にはいたのですが、3年生のころには140位前後まで落ちてしまいました。
自身はそんなに気にしてなかったのですが、テストの結果が出るたびに父親の前に正座をさせられ、各教科の点数を見ながら点の取れなかった要因を父に説明しないといけない地獄の時間があったため、落ちていくたびに自身がどんどん萎縮していくのが分かりましたし、残りの中学校生活は悪循環をひたすら繰り返すこととなりました。
この記事を書いていて思ったことは、周りと溶け込むのが苦手な自身が学校での集団生活を送るのも苦痛な中、家では父にひたすら勉強勉強と言われ続け、逃げ場のない自分がどんどん追い込まれ病気になってしまうという悪循環を繰り返していた結果だなと感じます。
家を飛び出す勇気や、グレる勇気も無かったですしね…。
私の場合だと息子が13才の時にはすでに63才…。
間違いなくグレてしまえば簡単に打ちのめされる年齢ですね…。
私の父親は私が13才の時に何と38才!
脂がのった年代だ…。
息子が私の年齢に達した時に私は間違いなくこの世にいません(医療の発達で生命維持装置で生きてる100才はいやだなと思いますが、約50年後はどうなんでしょうね)。
まだまだ言葉も話せない1才8ヶ月の息子ですが、話せるようになったらたくさんたくさん話を聞いて上げたいと考えています!
息子が大きくなった時に私の人生に触れてくれる機会を作りたく、過去の記憶がある今のうちにブログに書き留めると決めました。
これからも正直に私が歩んできた人生をアップし続けていきます。
本日も長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!